東京下町の情緒100景(042 新装開店)
街に新しい店ができた。真っ赤に塗られた派手な建物だ。遠くからでも目立つ、中華料理屋さんだ。
玄関の両側には大きな花束が四つ、五つとならぶ。お祭り気分だ。
街に新しい店ができた。真っ赤に塗られた派手な建物だ。遠くからでも目立つ、中華料理屋さんだ。
玄関の両側には大きな花束が四つ、五つとならぶ。お祭り気分だ。
下町っ子は、隠れん坊が大好きだ。狭い路地裏にはいくらでも隠れるところがあるからだ。
缶を蹴って、裏道から逃げた。
4年生の鬼がぼくたちを探している。
仲見世に入ってすぐ足を止めた。白い帽子を被った職人が店頭に向かって器用な手つきで人形を焼く。膝前には五つの焼き器具を並べる。順送りに焼き上げていく。
(この職人さんはこの道、何十年だろう? 何代目だろうか)
洋品屋の店構えは、全景が額縁におさまった絵画だ。
空間の奥行き、立体感、遠近感、どこからも申し分がない。衣料品がバランス良くならぶ、奥の突き当りには風格のある旦那が座る。
絵画のなかのモナリザの姿に似る。
赤い電車が通過した。遮断機が上がった踏切を渡った。唐揚のにおいがぷーんと鼻を突く。鶏肉屋からだ。
主婦が陳列ケースをのぞき込んでいた。モモ肉、手羽、胸肉の生肉がならぶ。唐揚を売る陳列ケースはない。生肉を買えば、その場で揚げてくれるからだ。
「うちの父ちゃんには、こっちの大き目のモモにするわ」
主婦が指す。
仲見世通りに近づくと、とたんに煎餅を焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
細長いアーケード街の角の小さな店からだ。一畳間の狭いスペースでは、おばさんが煎餅の生の素材を一つひとつ丹念に金網にならべ、真っ赤な炭火で焼いている。
東京湾の河口近くにも、中流にも、上流にも。荒川には球戯場がいくつあるのだろうか。
右岸にも、左岸にも、グランドがある。土日曜ともなると、どこかしこで、サッカーや野球のクラブ対校試合が行われている。
将来は華やかなプロ選手になりたい。憧れのプレーヤーと自分の姿を重ねてみた。目指すプロはまだまだ遠い。いまのぼくは明日のレギュラーを取ることだ。
ぼくは控え選手だ。聞こえがいいけど、ボールや器具の見張り番だ。
どこからかチャイムが鳴る。夕暮れの決まった時間に、自転車にのった家路に向かう通勤者たちがやってくる。対岸の町工場からの帰りだ。橋を渡れば、わが家が見えてくるのか、漕ぐペダルも軽やかに見える。家に着けば、晩酌でいっぱい。そのまえにひと風呂浴びるのかな。
仲間からいっぱい付き合えといわれた。「最近は付き合いが悪いぞ」と嫌味をいわれたが、断ってきた。妻子の顔を見れば、一日の疲れが早く取れる。居心地の良さが、わが家にたっぷりある。やはり寄り道は断ってよかった。
橋の袂には『KOUBAN』がある。下町にはなにかしら不釣合いな横文字の交番だ。その交番前にはふたりの警官が立つ。警視庁警察官では堅苦しい。巡査では階級として残るが、ことばとしては古い。警官というよりも、この町にはお巡りさんが似合う。
お巡りさんは不審者、交通違反に目を光らせる。住民にはやさしい親しみの目をむける。ふたつ顔を上手に使い分けている。