東京下町の情緒100景(052 ビルのリボン)
下町の街並みが変化しても、まだ平屋建て、二階建てが密集する。突出したビルがあった。見上げると、ビルがリボンを結んでいた。リボンでなく、気取った蝶ネクタイなのか。いろいろ想像が膨らむ。
ビルのショーウィンドーには数多くのおもちゃが展示されていた。遠いむかしは小さなおもちゃ工場だった。
下町の街並みが変化しても、まだ平屋建て、二階建てが密集する。突出したビルがあった。見上げると、ビルがリボンを結んでいた。リボンでなく、気取った蝶ネクタイなのか。いろいろ想像が膨らむ。
ビルのショーウィンドーには数多くのおもちゃが展示されていた。遠いむかしは小さなおもちゃ工場だった。
区役所通りの桜並木が満開になった。淡いピンク色の並木が歩道沿いにつづく。桜の古木がしっかり順序良く整列していた。奥行きのある風景だ。
それぞれ枝ぶりはよいが、自慢するほど本数はない。世間に知られた名所でもない。それでも、下町のふだん着姿の人たちが寄り道していた。
「やっと咲いたわね」
ひとりの女性が、向こうからきた自転車のひとを呼び止めた。
下町の仲見世の乾物屋さんは、憩いの場だ。店頭いっぱいの平台には乾物が並ぶ。お客が来れば、3人で『いらっしゃいませ』と声をかける。
ひとりが店主だ。ほかの2人は「うちらは店番の手伝いだよ」という。立ち寄る客はだれも高い安いなど価格はいわない。
「急がなければ、話していきなさいよ」と、見ず知らずの人をも店番仲間に誘い込む。『うちはそろそろ帰るから、こっちの椅子に座るといい』と場所を空けてくれる。
それでいて、3人の会話は続く。
夕暮れ前に見る、あの二つのビヤー樽は目に毒だな。夜が近づくと、招き猫だ。きょうも、きっと帰りがけに誘惑されて、立ち寄るだろうな。
それよりも、会社に帰る足が重いな。朝、出かけ前に、「9分9厘、まちがいなく受注できます」と胸を叩かなければよかった。後悔するな。上司の怒鳴り声がいまから聞こえてくる。
やさしさがみじんもない上司だから、『努力だけでは飯が食えないんだ、営業成績だけがすべてだ』といかつい顔で、ガミガミ怒る。
人間ならば、願いごとはだれにでもある。下町の小さな神社はよく願い事をかなえてくれる。
朝に神前で、無病息災を祈れば、きょう一日が無事に過ごせる。交通安全を願えれば、バイクや自転車の飛び出しに出会わない。娘の安産を祈れば、おぎゃあ、と赤子の声が聞こえた。下町の神様は頼もしい。
人間ならば、多少なりとも、縁起をかつぐものだ。賭け事に神様を利用するひとがいる。きょうもあの人が神社の前にいる。椅子を出してきて、真剣なまなざしでスポーツ誌の競馬欄を広げている。
むかしこの界隈(かいわい)はずいぶん栄えていたよ。裏手に流れる中川沿いには、繊維工場があったしね。川の水はきれいだった。
染めた織物を、春先の冷たい川で洗っていた。あれは中川の風物詩だったね。いまじゃね、川の水も汚れたし、面影はないね。
うちは雑貨屋だった。染物工場の職人が店頭に買いに来てくれていた。日用品も、飲料も、タバコもよく売れたよ。小僧さんがお菓子を買いにきた。あの子たちは、もういい歳のお爺さんだろうね。
4歳と2歳の姉妹が草土手で遊んでいた。きょうは澄みきった青空だ。太陽がいっぱいにそそぐ。土手の草が陽光でつややかに輝く。春の匂いを発散させている。伸びる草は育つ子どもたちにエネルギーを与えている。
一番風呂の湯がそれこそ一番だ。江戸っ子だ、内風呂なんて、好かないね。銭湯が一番。開店15分前から待つのも楽しい。
それなのに、うちのカカァはわかってないね。出かけぎわに、決まってこういう。
「開店してから行けば、なにも銭湯が逃げるわけじゃないし」
バカいうんじゃないよ。銭湯が開店したら、服をさっと脱いで、一番風呂に飛び込む。江戸っ子は、二番煎じが嫌いだ。二番手だったら、面白くない、今夜の晩酌がまずくなる。
乳牛工場の構内には、川向こうから朝の陽射してきた。きのうから降り続いた雨がやっと止んだ。空は雲がちぎれ、青く透き通ってきた。
緑の濡れた芝が水滴で光る。そのうえで、ホルスタインの仔牛が、甘えるように母牛に寄り添っていた。
ママの生まれた家と、パパの生まれた家は遠いんだよね。踏切を越えなければ、行けないんだよね。小学校も中学校も、別々で、踏切の反対側だよね。
でも、学校の屋上に上がれば、両方がいっぺんに見えるんだって。ママに聞いたよ。