東京下町の情緒100景(061 焼却炉)
東京下町の情緒100景(060 愛犬)
夕暮れ前になると、犬を連れたひとが下町の河岸を散歩する。むかしも、いまも変わらない。でも、何かが変わってきている。
かつて犬の散歩は男性が多かった。女性の姿となると、父親に連れられた少女たちだった。主婦は夕飯の仕度とか、大勢の子どもの洗濯とかで、とても犬まで手が回らなかった。余裕がなかった。
このごろは核家族で、なおかつ一人っ子の時代だから、婦人が犬を散歩させる姿が目立つ。
犬の種類も変化してきた。戦後の一時期はほとんどが雑種だった。残飯を与えて育つ番犬が主流だった。勇ましい犬、大型犬が好まれた。
TV時代になると、外国のTV映画に出てくるシェパードがもてはやされた。警察犬にも登用された。散歩するひとたちの間では、シェパードが自慢の種だった。
近頃は大型犬が土手から消えた。座敷で飼うような、胴長で小さな犬が風靡してきた。尻尾はなくても、血統書付きならば、持てはやされる。みるからに犬のファッション・ショーだ。「●○ちゃん、かわいいわね」と、たがいに褒めあう。
可愛さがすべてを象徴する。愛らしさが、言葉にしない暗黙の評価になる。
東京下町の情緒100景(059 少年サッカー)
細い路地で、ぼくたちは毎日サッカーボールを蹴る。この時間が一番楽しい。将来はJリーグだ。もっと、その上だ。
独りチームだから攻撃、防御、すぐに入れ替わりだ。相手にスキを与えられない。うかうかできない。スピードが勝負だ。
ぼくたちにはユニフォームなんて要らない。グラウンドや広場がなくてもいいんだ。狭い路地のほうが、コントロール力がつく。俊敏になれる。センスだ。
南米の少年だって同じだ。レンガ造りの家々の路地裏で、ボールを蹴り、上手になり、ワールドカップのヒーローになっていく。路地裏から出た1億円、10億円プレーヤーは沢山いるんだ。僕たちは木造作りの家々の路地で、ボールを蹴る。地球の裏側の少年プレーヤーとおなじ条件だ。
自転車に乗った人がくれば、カーブでシュートだ。まずい、自転車の荷台カゴに入ってしまった。これじゃあ、バスケットボールだ。
東京下町の情緒100景(058 駅前広場)
東京下町の情緒100景(057 富士山)
東京下町の情緒100景(056 惣菜屋さん)
東京下町の情緒100景(055 裏側の花道)
高度文明によるモータリゼーションは、東京下町の街を分断した。幹線道路が縦と横に走り、升目を作る。一つの町が幾つものブロック割にされてしまった。隣近所ということばが死後になりそうだ。
かつては田園のあぜ道だった。いつしか一車線の舗装道となった。だれもが水溜り、ぬかるみから開放された。雨の日が歩きやすくなったと、みんなして喜んだものだ。
一車線の道は狭すぎる、車の通行には細すぎる、と言い出したものがいた。こうも狭いと、車がすれ違いの際、子どもが巻き込まれる、死傷事故が起こる前に拡張すべきだ、と声高にいうものがいた。子どもをダシにすれば、格好よくひびく。
『下町の道路は一車線で良い』と反対はできにくい雰囲気となった。
声高の男たちが中心になり、陳情がくり返えされた。道はやがて二車線になった。他方で、車の交通量が年々多くなってきた。
道路が直線的でないと、大型車がカーブを曲がりきれず、民家に突っ込む怖れがある。危険だといい、希望もしない民家が立ち退かされた。直線道になった。それもつかぬまのことだった。
東京下町の情緒100景(054 小さな滝)
下町の一角にはお洒落な滝がある。知っている? 知らないよね。人工の滝だけど、それなりの美観があるんだ。
岩をかたどる壁面に、白糸の滝のように澄んだ水が落ちる。朝夕に絶えることなく、さらさら流れ落ちている。昼時にはそばに滝を感じるだけで、涼感はたっぷり。だから、ぼくたち若い連中には人気がある場所なのさ。
東京下町の情緒100景(053 歩道売りの花屋)
花屋さんが店内から色彩豊かな花を路上に運びだす。赤、青、紫、黄色の花を並べる。原色の鮮やかな花売場が即席で、路上にできてきた。運び出す大半がスミレだ。
ベビーカーを押す主婦が、路上売場をのぞきこんだ。