東京下町の情緒100景(071 看板)
明治時代から昭和半ばまで、物資の大量運送は陸路よりも、河船による水運が中心だった。荒川の四ツ木は荷揚げ場だった。河船が船着場に着くと、雑貨や穀物などの生活物資が荷揚げされ、大八車で各方面に運ばれていた。
当時は住居にしろ、店舗にしろ、ほとんどが平屋だった。晴れた日には荒川の遠景として富士山が浮かんでいた。往年の人々の目には、その手前に「玉子屋」の看板が映っていたものだ。
「玉子屋」の屋号からすると、鶏卵料理専門の店だと思ってしまう。その実、ウナギ、鯉などを使った川魚料理の大衆割烹屋だ。値段は手頃。だから、下町の人たちの会席場としても利用されている。
屋号のルーツは玉子と無関係ではなかった。昭和初期には養鶏業者だった。四ツ木周辺が船着場として栄えてきたことから、兼業で飲食店をはじめたのだ。
東京下町の情緒100景(070 修理工場)
津々浦々には自動車の修理工場がある。車が走るところには、必ず痛々しい事故が発生する。下町も例外ではない。
空地を利用した修理工場では、油汚れの修理工が傷ついた車をなおす。新車もあれば、中古車もある。フロントガラスの飛散、バンパーの破損、ボディーの傷など多種多様だ。
乗用車はアクセル一つ踏み込めば、豹、ピーターなどの野獣より速く走れる。なおかつ長く距離が延びる。
天が人間に与えた平衡感覚、スピード感覚となると、人間が両足で走れる範囲までだ。それを超えた速さになれば、あらゆる感覚が狂い、神経が高ぶる。だから、運転が粗雑になったり、乱暴になったり、疲労蓄積から運転中に眠ってしまったりする。そして、事故を起こす。
東京下町の情緒100景(069 のうてんき)
東京下町の情緒100景(068 七曲)
関東地方の川は秩父連峰、丹沢連峰から流れてくる。河口近くになると、直線の形状で東京湾や相模湾に流れ込む。
一級河川の中川は葛飾の町なかに入ると、とたんに曲がりくねる。曲がりは一つや二つではない。幾つも蛇行をくり返す。そのうえ、極度の鋭角で曲がる。
中川・七曲の朝は東京湾からかもめが飛来し、鳴きながら、群れて遊ぶ。日中になると、河船がエンジン音を響かせ、橋下を潜り、上り下りする。日暮れになると、茜色の夕焼け雲が川面に映る。夜には河岸の灯火が揺らめく。どの情景も良い絵になる。
東京下町の情緒100景(067 廃墟)
東京下町の情緒100景(066 朝の公園)
東京下町の情緒100景(065 交差点の信号待ち)
東京下町の情緒100景(064 金魚屋)
江戸時代から、夏の風物詩のひとつに金魚売りがある。『きんぐょ、金魚え~』という抑揚のある声を聞くだけで、涼感を満たしてくれる。袢纏姿で、天びん棒を担ぐ男が『きんぐょ、金魚え~』と江戸城に近い大名屋敷の街なかを歩き、金魚と風車を売る。
大名たちは立派な鯉を買い求めて山水をかたどる庭の池に放った。豪商は武士の真似をしたがる。豪華で色鮮やかな、数十両もする金魚を求めて自慢する。華美を追求する道楽となった。
江戸川の川べり一帯は沼地で、農耕に適さない不毛の地だ。農民は沼に小舟を浮かべて蓮を取る。収入は少ない。貧農たちが金魚に目をつけて、沼に囲いを作り、金魚の養殖をはじめた。金魚売は江戸川の沼池で仕入れ、江戸の町なかで売る。