東京下町の情緒100景(泣かないでね 012)
「泣かないで、先生が拾ってあげる」
保育園の先生が路面に両手をついて、なにやら探しはじめた。
「博ちゃんがわざと落としたの」
女の子は声をあげて泣く。
「泣かないで、先生が拾ってあげる」
保育園の先生が路面に両手をついて、なにやら探しはじめた。
「博ちゃんがわざと落としたの」
女の子は声をあげて泣く。
江戸時代から昭和の半ばまでは、本田、川端、原、という地名が存在していた。田んぼの蛙、ドジョウ、メダカを覗いたあぜ道の田園風景が画のように地名から連想できていた。いまはどれも洒落た地名にt変わってしまった。
まつりといえば、幼いごろの故郷の社が思い出される。昭和40年代からの高度成長期には、まつりは下火になった。神輿(みこし)の担ぎ手がいないことが理由だ。
日本全体が猛烈に経済一辺倒になった。勤め人がまつりの行事に参加できなくなってしまった。同時に、地域との連帯感がなくなった。消えていったまつりは多い。
東京下町では、有志が細々と伝統的なまつりを残してきた。
駅前には踏み切りがある。赤い京成電車が通り過ぎると、遮断機が開き、買物客が左右に行き交う。線路に分断された商店街がある。かつては下町最大級の商店街だった。
実に長い距離で、3駅続きの商店街だ。道の両側には切れ目がなく、店舗がならぶ。
成田方面から京成電鉄の行商専用車両に乗ってきた、農家のおばさんたち。青砥駅で下車したのは九時半頃。荷物を仕分けしてから背負いなおす。押上線に乗り換えていく。
この道何年?
「さあね。嫁にきた頃だから、行商はもう何十年になるのかね。数えたことがないね」という八十二歳のおばさん。色気のあった女の盛りから、これだけの荷物を担いでいたのかね。
「どこに行くんだい? そんなにおめかして」
「ちょっと音楽会よ、シンフォニーヒルズさ」
「へえ、洒落てるな。木戸銭はいくらだい?」
「もらったチケットだから、解からねえ」
「ちょっと、見せてみな。これがチケットね。この西洋の音楽家はなんって、楽器を弾くんだい?」
「琴や三味線じゃねえそうだ」
こんな落語が似合いそうな町である。
駅前の小さな広場に、『ワルツの塔』がある。バイオリンを弾くのはモーツアルト。大理石の円形柱の上には、楽器を弾く天使たちが羽ばたく
多くは待ち合わせ場所に使われている。ここから徒歩7分で、巨大な建造物のシンフォニーヒルズがある。
「なんで、寄席を作らなかったのかね。下町には不似合いな音楽堂をこしらえて」
「錯覚だよ。西洋文化が時代の最先端だ、とおもったんだよ、きっと」
「お偉い人は、落語を聞かないのかね」
「わからねえ。寄席を聞くのは浅草や上野だと決め付けてるんだろうよ」
「ところで、これはだれだ?」
町工場が昨日もひとつ、きょうもひとつ減っていく。十数年前から目に付くようになった。跡継ぎがいない、採算が合わないと、巷には悲しく淋しい話題が多い。下町からは工員の数が減っていく。他方で、小さな公園には子どもの声が増えてきた。
三十代の女性が三歳の女児の手を取り、駅舎の階段を上っていた。駅舎とはいかにも古めかしいひびきだが、エレベーターも、エスカレーターもない、昔ながらの造りだった。
足元をぬらせば、乗降客が滑って転倒するから、ことのほか慎重だ。
「がんばって、あといくつかな」
母親は一段ごとにわが子を励ます。幼子は懸命に歩幅を広げている。
駅員が如雨露(じょうろ)に水を汲んできた。植木鉢ひとつずつ丁寧に水を撒く。 さっきの幼子が指す。
「この小さなバラは、今年よく咲いているわね」
それはわが子よりも、駅員に聞かせる口調だった。駅員は日ごろの手入れを誉められたかのように微笑む。それだけことだが、親しみのある情景だ。
駅舎は近ごろすこし洒落っ気を出して自動改札になった。ホームへの下り階段の踊り場には、窓枠を利用した、小さな花壇がある。小ぶりの植木鉢が8鉢ばかりならぶ。
路地の奥には風呂屋の煙突がにゅっと立ち上がる。雑然とした家並みから飛びだす巨きな煙突には、にゅっという比ゆが似合う。スマートさも美観もないが、違和感もない。
風呂帰りの二十代の女性とすれ違う。石鹸の匂いがぷんと鼻腔をくすぐる。
下町の家々狭く、内風呂をもつ家庭がすくない。昔ながらの銭湯の利用者が多い。そこからも裸の近所づきあいがはじまる。
どの時間帯をのぞいても、富士山のペンキ絵を背にした近所どうしの語らいがある。まわりをはばからない話し声が、高い天井に反響する。女風呂の会話が、男風呂でも筒抜けだ。
江戸っ子はぬるま湯が嫌いらしい。いつも熱い湯だ。足指を入れても、すぐに引っ込めたくなる。浴槽には気泡がぶくぶくと音を立てるから、なおさら熱く感じてしまう。
この熱い湯になれないと、下町の団欒の場に溶け込めない。がまんして浴槽に沈む。初老の男性が話し相手になってくれた。
下町には昔い風景や風習が残っている。裏を返せば、まったく進歩に鈍感な街なのだ。 昨年、今年、来年。いままで通りの環境をいままでどおり水平に維持している。
下町に住む住民はそれに慣れきっている。それは過去への単純な順応かもしれない。
住民たちはサンダル履きで商店街に出かけ、復路は隣近所の家先で、長々と立ち話をしている。それが日常の風景だ。あしたも、きっと変わらないだろう。
十代の若者たちは進歩を好む。流行から遅れつづける、古い体質の街は好きになれない。過去そのものは苦痛を意味する。それが若さだ。
若さのもうひとつのの象徴は、現状打破への執念だ。古い体質を嫌う若者は、ときに文化の大胆な破壊者になる。