東京下町の情緒100景(094 あわもちや)
地蔵尊は江戸時代の1686(貞享2)年に、中川沿いに建造されたものだ。川辺の「あわもちや」の横にあったという。
「あわもちや」とはどんな店だったのか? おおかた粟で餅を作って売る店だったと思われる。その店はいつの時代まであったのか。どんな味だったのか。明瞭な資料は見当たらない。
地蔵尊のみが遠い昔を知っている。
中川には川舟が係留する船着場があった。上流・下流からの荷舟が接岸すると、荷揚げの場はたちまち活気づく。上半身裸の褌(ふんどし)姿の人足たちが集まる。
「ドンと行こうぜ、どんと。ほいさ、ほいさ、ほいさ」
力自慢の人足たちが威勢よく米俵を担ぎあげる。
半纏をきた馬子(まご)が汗を流しながら、荷馬車のうえで受けとる。
「えっさこら、えっさこら」
別の人足が塩の袋を荷揚げする。
こんどは雑貨だ。袋は大きく、思いのほか重いようだ。
ひと段落が着いたようだ。馬が嘶(いなな)く。
「皆の衆、精が出るね。粟もちを食べていかないかね」
「いいね、粟の餅とは。これだけ働いたら、腹も空くって」
「うちはあんたらの掛け声が好きでね、ドンと行こうぜ、ありゃさ。ほいさ、ありゃさ」
女将が口真似する。
「馬子も食べていきな。わしのおごりだ」
「家で腹を透かしておる、坊主にもらってくよ」
「坊主は何歳だ?」
「8歳のガキを先頭に、6、5、3、それに先月もうひとり生まれた」
「つごう5人か。5皿もっていきな」
「あんたも人がいいね。先月生まれた赤子が粟もちは食べられんよ」
女将が店内から口をはさんだ。
「いいってものよ。子だくさんの女房にも、一つ持たせてやりな。いい乳が出るように」
「女の子がいる。4つと、1つだ」
「じゃあ、もう二つ追加だ。竹の皮一つじゃ無理だ。女将、別に包んでやんな」
「ありがとうな」
馬子が荷馬車を引いて立ち去っていく。後姿が畦むこうに遠ざかった。
「聞いているほうがイライラするよ」
「いいじゃないか。子育て地蔵さんが笑ってる、それで充分ってものよ」
「目配せしてあげてるのに、気づかないなんて。あの馬子はまだ婚礼前だよ、やられたね」
女将が呆れていた。