東京下町の情緒100景(086 汽罐と煙突)
更新日:2007年10月15日
白髪の老人がふいに足を止めた。かれは若いころから船乗りだった。日本の主要な港を知り尽くす。60歳で引退したけれど、あるときは隅田川の川船で船長帽を被っていたこともある。
老人のそばには十代初めのひ孫がいた。
「汽罐の意味はわかるかな?」
ひ孫は首をかしげた。まるで難しい国語のテストに出会ったような表情だ。
「ポンポン蒸気船って、どんな船か、わからないだろうな?」
知らない。ひ孫は素っ気ない口調で、まったく興味を示さなかった。
「焼玉エンジンって、聞いたことがあるか?」
ぜんぜん。
「焼玉エンジンは煙突からポンポンという音を立てて、煙を吐きだしていた。小太鼓をたたくようなリズムで。だから、ぽんぽん船といわれたものだ。いい情感があった」
もうないの? ぽんぽん船は。
「いまはジーゼル・エンジンなどに変わってしまったからな」
じゃあ、みられないんだ。
「ポン船のあの懐かしい響きは、もう聞けないだろうな」
「機帆船って、わかるかな?」
初めて聞いたよ、ぼくは。
「太古の船は手漕ぎだった。やがて帆船となった」
それだったら、ぼくだって知っているよ。
「明治時代になると、船はエンジンで走るようになった。でも、石油は貴重で、割高だから、帆を利用して、ふたつの推進力で、船が動いていた。石油の節約だ」
ふーん。
「この爺が若いころ、まだ機帆船が走っていた。東京湾にも、大阪湾にも、瀬戸内にも。帆を揚げて走る船は情緒があったものだ」
爺はいろいろなところで、船に乗ったんだね。
「木造船はいつか腐る。鋼船も海水で錆びるのが早い。どんな船にも寿命があるんだ。スクラップになれば、船乗りは次の船をもめて、全国の船会社を渡り歩くのさ」
老人とひ孫はそんな話をしながら立ち去った。