東京下町の情緒100景(085 格子戸)
更新日:2007年9月21日
格子戸の家があると、妙に懐かしい情感をおぼえる。なぜだろうか。格子戸から、ごく自然にちょっと奥をのぞき見る。もう何十年前の情景だろうか。格子戸の家が残っているだけでも、下町に情緒を感じる。
碁盤の升目の奥には、庭の花壇に四季の花が咲く、縁側の老夫婦が日向ぼっこする、幼子が庭で三輪車のぺたるを漕ぐ。生活が明け透けにみえるそんな時代があった。「胸襟を開く」ということばがあるが、格子戸の家と家は、良い近所付き合いができた。
「奥さん、いる?」
「まだ、使いから帰ってないよ。どこかで立ち話しさ。井戸端会議が忙しい女房だから」
「煮物を作ったら、食べてみて」
ガラガラと戸が開く。
「悪いね。いつも」
「あら、こちらこそよ。昨日は奥さんに、魚をいただいたわ。新鮮で、とてもおいしかった」
「外房に、釣りに行ったもので、な。お裾分けさ」
「あら、そうなの。坊主だったから、魚屋で買ってきた、ときいたけど」
「余計なこというものだ。亭主の恥をさらして、喜ぶ女房さ」
「先月の末、戴いた、ハゼは甘露煮にしたら、おいしくできたわ。うちの亭主が酒のつまみに良い、と独り占めするから、こっそり他に隠したの」
「あのハゼは正真正銘、浦安で、わしが釣ってきたものだ」
「ごちそうさまでした。じやあ、煮物はここに……。器は後でいいわ」
「女房が帰ってきたら、持って行かせる」
「急ぐものじゃないし、いいのよ」
格子戸の閉まる音がした。家に鍵を掛ける風習はなかった。近隣どうし、心の鍵をも掛けず、あけすけなふれ合いができた。
ガラガラと格子戸が開いた。中学生の娘が帰ってきたようだ。