東京下町の情緒100景(067 廃墟)
更新日:2007年6月19日
廃れた工場を見るたびに、「あの会社の社長さんは? どうしただろうね?」
と老婆は孫の息子に話しかける。
「うちらが若い頃は、羽振りが良かったのに」
中川沿いには染物工場、ゴム工場が並んで、町全体がことのほか活況だった。だから、駅前には花街もあった。老婆はそんな時代を知る。
住いの窓を開けると、繊維とゴムの臭いがぷーんとにおってきたものだ。それで風向きがわかった。異臭だと毛嫌いするのではなく、景気のよさだと思っていた。
工場はやがて時代の荒波に乗り切れなくなった。
新製品が出回ると、競争力を失い、海外の製品が安価で入ってくるので、なおさら斜陽化してきた。給料に不満を持つ職工たちが一人ふたりと姿を消していった。
「人間はいつしか老いてくる。華やかだった会社もおなじよね。若い働き手を失った工場は、耐え切れず、とうとう倒れてしまった」と話す。
歳月とともに、建物の取り壊しで空き地になったり、トタン屋根が錆びて風化したり。以前の面影が消え、町工場の町から、住宅地に変貌していく。どこか淋しいものがある。
過去から栄枯盛衰を語れるのは、もはや老人のみだ。