A065-東京下町の情緒100景

東京下町の情緒100景(067 廃墟)

 廃れた工場を見るたびに、「あの会社の社長さんは? どうしただろうね?」
 と老婆は孫の息子に話しかける。

「うちらが若い頃は、羽振りが良かったのに」
 中川沿いには染物工場、ゴム工場が並んで、町全体がことのほか活況だった。だから、駅前には花街もあった。老婆はそんな時代を知る。

 住いの窓を開けると、繊維とゴムの臭いがぷーんとにおってきたものだ。それで風向きがわかった。異臭だと毛嫌いするのではなく、景気のよさだと思っていた。

 工場はやがて時代の荒波に乗り切れなくなった。

 新製品が出回ると、競争力を失い、海外の製品が安価で入ってくるので、なおさら斜陽化してきた。給料に不満を持つ職工たちが一人ふたりと姿を消していった。

「人間はいつしか老いてくる。華やかだった会社もおなじよね。若い働き手を失った工場は、耐え切れず、とうとう倒れてしまった」と話す。

 歳月とともに、建物の取り壊しで空き地になったり、トタン屋根が錆びて風化したり。以前の面影が消え、町工場の町から、住宅地に変貌していく。どこか淋しいものがある。

 過去から栄枯盛衰を語れるのは、もはや老人のみだ。

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