東京下町の情緒100景(049 ビヤー樽の誘惑)
更新日:2007年3月27日
夕暮れ前に見る、あの二つのビヤー樽は目に毒だな。夜が近づくと、招き猫だ。きょうも、きっと帰りがけに誘惑されて、立ち寄るだろうな。
それよりも、会社に帰る足が重いな。朝、出かけ前に、「9分9厘、まちがいなく受注できます」と胸を叩かなければよかった。後悔するな。上司の怒鳴り声がいまから聞こえてくる。
やさしさがみじんもない上司だから、『努力だけでは飯が食えないんだ、営業成績だけがすべてだ』といかつい顔で、ガミガミ怒る。
うちの上司はふだんから『手柄は自分のもの。失敗は部下の理由(せい)』にする。部下は、まいど無能扱いにされる。面白くないんだよな。
あんな上役の下では、サラリーマン人生最大の不幸だ。悲しいかな、親と上司は選べないというし。
自家(いえ)に帰れば、これまた女房の小言だ。給料が安いだの、働きが悪いだの、こどもの世話は押し付けぱなしだのと。
おれの勤め先は、10人たらずの下町の小さな零細会社だ。女房は誤解している。大企業のエリート・サラリーマンの年収と比較し、何だかんだという。肩身は狭いし、わが家での晩酌は気が引けてしまう。
夜の帰り道、下町の路地にネオンがつけば、きっとビア樽の前は素通りできないだろうな。きょうの愚痴と不満はスナックで処理しておかなければ、明日の人生が暗くなる。
スナックのカウンターで知り合った仲間の友との語らいが唯一の楽しみか。『一度選んだ女房は、そうかんたんに変えられないし、ストレスがたまるよな』。この言葉はかなりウケル。まわりの客は妙に同調してくれる。どこの家庭もおなじか。