東京下町の情緒100景(048 神頼み)
更新日:2007年3月25日
人間ならば、願いごとはだれにでもある。下町の小さな神社はよく願い事をかなえてくれる。
朝に神前で、無病息災を祈れば、きょう一日が無事に過ごせる。交通安全を願えれば、バイクや自転車の飛び出しに出会わない。娘の安産を祈れば、おぎゃあ、と赤子の声が聞こえた。下町の神様は頼もしい。
人間ならば、多少なりとも、縁起をかつぐものだ。賭け事に神様を利用するひとがいる。きょうもあの人が神社の前にいる。椅子を出してきて、真剣なまなざしでスポーツ誌の競馬欄を広げている。
神社の前ならば、予想的中。そう信じて疑わないのだろう。あるいは大穴が狙えるのだろうか。
人間は悲しいかな、迷いの心がある。神社の前で、間違いない、きょうはこの予想で取れる、と確信しておきながら、いざ馬券を買う段になると、気が変わってしまう。結果は外れだ。
「ああ、神様の前で誓った、あの通りに買えばよかった」と嘆いても、手遅れだ。
神様がバチを与えたのだ。そう考えると、自分を納得させられる。
自家に帰れば、女房は横目でチラッと見て、「いい加減に賭け事をやめたら。損ばかりしているんでしょ」という。しっかり見抜いている。女はいい勘をしている。競馬か競輪に、その勘を使えば、儲かるのに、と思ってしまう。
「きょうは負けたけど、平均したら収支はとんとんだ。ちょっとプラスくらいかな」
言い訳にも、ちょっとミエが入ってしまう。勘の悪さを見せたくないのだ。
「だったら、ハンドバックの一つも買ってよ」
「来週のダービーで、一発当てる。そしたら、買ってやる」
「あてにしてないわ。あんたはいつも神頼みだからね。神様は一人だけに味方しないのよ。運は平等にあるんだから」
女房は痛いところをつく。