東京下町の情緒100景(047 自販機屋さん)
更新日:2007年3月25日
むかしこの界隈(かいわい)はずいぶん栄えていたよ。裏手に流れる中川沿いには、繊維工場があったしね。川の水はきれいだった。
染めた織物を、春先の冷たい川で洗っていた。あれは中川の風物詩だったね。いまじゃね、川の水も汚れたし、面影はないね。
うちは雑貨屋だった。染物工場の職人が店頭に買いに来てくれていた。日用品も、飲料も、タバコもよく売れたよ。小僧さんがお菓子を買いにきた。あの子たちは、もういい歳のお爺さんだろうね。
世の中が成長だ、成長だといっているうちに、川の水が汚れてきた。繊維工場がだんだん廃れて、廃業がつづいた。さびしかったね。私(うち)は足腰が弱ってきた。
年寄りが雑貨屋を取り仕切るのはつらいものがある。それでも、親の代からの店だったからね、それなりに頑張ってきた。
悲しいけど、寄る歳にはかなわない。廃業はいやだったね。脳みそはしっかりしているつもり。銭勘定はまだできる。からだをあまり動かさないで、できる商売を考えたよ。それが自販機だった。
最初はずいぶん抵抗があったよ。お客にたいして愛想もなければ、素っ気もない。無味乾燥で、申し訳ない気持ちだった。うちもお客と何も喋らないんだからね。こっちの心までが荒んできた。
缶ジュースやペットボトルは重いから、業者に頼んでいる。タバコの詰め替えは、うちでやっているよ。新製品が出ると、これまでの売れ筋が違ってくる。
自販機商売でも、品物の動きがわかる。商売の味が多少でも残っているんだ。自販機も捨てたものじゃないと思いはじめたね。
詰め替えのときに、通行人の客が
「いま買っていいかな。マイルドセブン」
と声をかけてくる。うれしいね。
むかしのタバコ販売を思い出すね。口を利ける商売が一番だよ。