A065-東京下町の情緒100景

東京下町の情緒100景(045 銭湯の開店)

 一番風呂の湯がそれこそ一番だ。江戸っ子だ、内風呂なんて、好かないね。銭湯が一番。開店15分前から待つのも楽しい。

 それなのに、うちのカカァはわかってないね。出かけぎわに、決まってこういう。
「開店してから行けば、なにも銭湯が逃げるわけじゃないし」
 バカいうんじゃないよ。銭湯が開店したら、服をさっと脱いで、一番風呂に飛び込む。江戸っ子は、二番煎じが嫌いだ。二番手だったら、面白くない、今夜の晩酌がまずくなる。

 湯船に入れば、いい人生を感じるね。ところで、姐さん、ずいぶん白髪頭になったね。
「あら、わるかったわね」
 そういう意味じゃない。花街の芸者でならしていたころも、いまも色っぽいよ。
「旦那は、口が上手いね」


 思い出すね、姐さんが一番風呂に入って髪結にいって、和服を着てお座敷にいく。遠くから見惚れていたものだ。街ですれ違っても、敷居が高くて、声もかけられなかった。
「いいこと言ってくれるね。うれしいね」

 下っ端の職人だったころ、一番風呂にいく街の旦那衆がうらやましかった。あんないい人生を送ってみたいと思った。
「そのために生きてきたようなもの?」
 正解だ。姐さんもそうかい? 一番風呂じゃないと、風呂に入った気分になれない?
「うちの場合は、芸者のころに身についた習慣が止められなくてね。昼間だと、男風呂、女風呂の天井に桶の音がよく響くし、天窓から陽が射す。それがたまらなく好き」

 湯船に陽が射す。姉さんの白っぽいからだが浮かび上がる。色っぽいね。想像するだけでも、たまらないね。
「お待たせ」
 番台が出てきて暖簾をつるした。

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