東京下町の情緒100景(038 唐揚げ屋)
更新日:2007年2月14日
赤い電車が通過した。遮断機が上がった踏切を渡った。唐揚のにおいがぷーんと鼻を突く。鶏肉屋からだ。
主婦が陳列ケースをのぞき込んでいた。モモ肉、手羽、胸肉の生肉がならぶ。唐揚を売る陳列ケースはない。生肉を買えば、その場で揚げてくれるからだ。
「うちの父ちゃんには、こっちの大き目のモモにするわ」
主婦が指す。
「きょう入荷した、いいピンク色の肉だ。唐揚には最高だよ」
鶏肉は時間が経つと白っぽくなるが、ピンク色は新鮮な証拠だという。店主がモモ肉を計量器にのせた。すべてが量り売りだ。
「私は否(い)いわ。肉類をひかえなくちゃ」
「食べないと、元気が出ないよ」
「このごろ、ちょっと太りすぎだから」
「好きなものまで、我慢することはないよ。食べられるときが、華だ」
「でも、やめておくわ。ちょっと酒屋さんまでいってくるから。揚げておいてね」
「てらっしゃい」
店主が200gの鶏肉に塩コショウを付けてから、奥の若手職人に手渡す。
バンダナを巻いた若手職人が、長箸を持ち、油のなかで鶏肉を回転ダンスさせている。昼間でも、裸電球が煌々と灯るのは、食用油の温度をみるためだろう。年期が入った大鍋に、新たに鶏肉が飛び入りした。油が跳ねた。じゅじゅと弾む音をひびく。均一な温度で、こんがり仕上がっていく。
「できた?」
酒を抱えた主婦が帰ってきた。
「上手な時間に帰ってくるね。ちょうど揚がるところだよ」
網の上に掬いあげられた唐揚は、とてもいい色合いだ。唐揚が昔ながらの竹皮に包まれてから、主婦に手渡された。