東京下町の情緒100景 (多子化の公園 006)
更新日:2006年7月24日
町工場が昨日もひとつ、きょうもひとつ減っていく。十数年前から目に付くようになった。跡継ぎがいない、採算が合わないと、巷には悲しく淋しい話題が多い。下町からは工員の数が減っていく。他方で、小さな公園には子どもの声が増えてきた。
中川に面した伝統的な繊維工場が止まったのは約10年まえだ。かなり歳月が経つ。錆びれた廃墟の工場が、なにかしら鈍色の下町に溶け込みはじめていた。
ある日、解体屋の若い衆がトラックで乗りつけてきた。廃業した工場の周囲には味気ない鉄製の囲いができた。数日にして 更地になった。それからも月日が経った。空地は町に太陽を恵んでくれる。あたたかい陽射しと視界の広さが住民に心地さを与えていた。町が光ってみえた。
忘れかけたころ建設業者がやってきた。下町には不釣合いな真新しい建売住宅ができた。
引っ越してきた新住人は三十代、四十代が多い。新しい住処を大切にするように、夫人が家のまわりを丹念に掃除している。隣どうしの挨拶もまだ板についていないようだ。町に溶け込むにはまだ数年はかかるだろう。
閑散としていた公園には、いつしか親子連れが多くなってきた。だれかしら母親が幼い子を遊ばせている。
災害避難公園がいまや児童公園に様変わり、多子化に変貌しているのだ。町工場が廃れた見返りで、忘れかけていた幼い子どもたちの遊び声や笑い声が聞けるようになった。淋しさとうれしさとが半割の町になった。