寄稿・みんなの作品

【孔雀船96号 詩】  床屋で 松下育男

お客さん

ウチの犬が生きていたときにね
どうしても面倒をみられない時には
おふくろの所に時々
預けていたんですよ

おふくろ
はじめは面倒くさがっていたんですけどね
だんだん
可愛がるようになってくれて
引き取りにいくと
ずいぶんさびしそうな顔をするように
なってきたんです

それでね
こないだ話をしたように
犬が突然死にましてね
もちろんおふくろも
ひどく驚いていたんです

でもまあ
仕方がないかと
思っていたんですけどね

こないだおふくろが
電話をかけてきて
「一晩犬を預からしてくれないか」って
言い出したんです

あっ
これはまずいなと
思いましてね

だって
ウチの犬が死んだことを
知っているはずなんですよね

だから
とうとうおふくろ惚けたかなと
覚悟をしまして

来たら様子を見て
病院に連れて行こうかと思っていたんです
それでね

来ました

来たんですけどね
おふくろ
犬の骨壷と写真を大きな袋にいれて
さっさと帰って行ったんです

翌日
返しに来ましたけどね

一晩
骨壷と一緒にいたんだなと
思いましてね

それで何をしていたんだろうと
思いましてね

一晩で
いいのかなと
思いましてね

たまらなくなってきたんですよ

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【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【寄稿・詩】  卒業電車 ☆神山暁美☆

山のふもとにある ちいさな町の小学校


校庭をとりまくフェンスの向こう側

授業と授業のあいだの休み時間に

毎日きまって赤い電車が走ってくる


あすは卒業式 六年生はさいごの授業

「つぎの休み時間は校庭に集まってください」

担任の先生のことばがチャイムにかさなる

でも みんなは集合の理由(わけ)を知らない


ウィーンウィーン ガタゴトガタゴト

いつもの電車が菜の花をゆらしやって来た

先頭(せんとう)の車両に運転手と もうひとり

紺(こん)の制服・制帽(せいぼう) 真っ白な手袋(てぶくろ)で敬礼をして


在校生もふり向くような まのびした警笛(けいてき)

止まりそうなほどゆっくりと電車が通る

その窓のひとつひとつに大きな文字が


「祝 卒 業 ・ 夢 の 実 現」

白い手袋はこの小学校の卒業生

若かった校長先生が始めて送り出した

「電車の運転手になる」と約束した男の子

いま この町の駅長さんになっている

            卒業電車 ☆神山暁美☆ 縦書き・PDF


関連情報

 神山暁美さんのプロフィール

 岐阜県大垣市生まれ

 詩誌「那須の緒」同人

 栃木文芸家協会 会員

 日本ペンクラブ 会員 電子文藝館委員会・委員


 詩集「卒業電車」 定価 1500円+税 

 問合せ先 : オフ出版

         〒250-0124  神奈川県南足柄市内山772
           ☎     0465-72-0033  

【寄稿・山行】 奥多摩の山は招く、最も人気コースを登る = 佐藤京子

日 時  :  2019年9月22日(日) 晴れ

登る山 * 麻生山(794m)・日の出山(902m)

参加メンバー : L上村信太郎、宮本武、佐藤京子、他9人 

集合 : 武蔵五日市駅 

コース : つるつる温泉行バス乗車 「白岩滝」下車 ~ 白岩ノ滝 ~ 麻生山 ~ 日の出山 ~ (御岳山登山鉄道) ~ 御嶽駅



  前日まで雨だったので、天候が心配でしたが 良いお天気になりラッキーでした。


 白岩滝バス停を10時10分に出発。    

 白岩ノ滝バス停から川に沿って歩きます。水の流れの音と鳥の声に、何とも言えない心地よさを感じます。
 白岩ノ滝まで地図では、約30分とあります。歩いてすぐ滝が出現です。それも登りながら五つ位の滝があったかしら?

 どれがその滝なのか? 全部ふくめて白岩ノ滝というのでしょうか。

 私たちは、出発が遅かったので、先を急ぎます。残念ながら立ち止まって滝をゆっくり見ることはできませんでした。

  青年が一人、滝をじっと眺めている姿に
 (いいな、今度また来たい)
 と思いました。


 滝と川の流れに別れを告げ、麻生山を目指します。

 正午を過ぎてしまったので、麻生山の山腹でお弁当タイムとなりました。 参加者の一人の女性が突然、大麦の粉(はったいこ)を水で練り、バターを入れたお菓子を作りはじめました。
 麦こがしというのでしょうか。


 これは、昔、日本人の河口慧海という僧が、仏教の経典を持ち帰るために、初めてヒマラヤを単独で越えた時の食糧だそうです。
(もちろんバターなどはないですが)
 これは、リーダーの上村さんのサプライズ企画でした。


 麻生山の登りは急で、あまり整備もされていないので、荷物を置いて登りました。


 昼食後、日の出山に向けて出発です。

 このコースには、杉が植えられていて、よく手入れされているようです。日の出山の頂はとても眺めがよく、麻生山も頂上がとんがってかっこよく見えます。

 初日の出を見る人で、正月はにぎわうということです。また、この山に、「皇太子殿下浩宮様 平成24年御登頂」と記されたプレートがあることもリーダーが教えてくれました。


 帰りは、御岳山の御師集落を通り、御岳登山鉄道~青梅線御嶽岳駅のコースで帰りました。
 予定よりも遅くなったため、女性の大半は反省会に参加せず、そのまま帰りました。


 今回の登山でもそうですが 私は、連れて行かれるまま登ってきたので、これからは地図をもっと見ることが大事とつくづく思いました。

 つるつるの湯とセットで行くには、どういうコースを取ればいいか? 時期はいつがいいかなど考える楽しみを見出していきたいものです。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№241から転載


                                                        

山梨県・都留アルプス(尾崎山968m)=関本誠一

1.期日 : 2020年1月22日(水)  晴れ時々曇り

2.参加メンバ : L関本誠一、栃金正一、武部実、開田守

3.コース : 都留市駅~金毘羅神社登山口~富士山展望台~蟻山~白木山~長安寺山
~天神山~(尾崎山分岐A)~尾崎山~(尾崎山分岐B)~古城山~東桂駅

 今回行くところは国内各地にある『なんちゃって…アルプス』の一つ。3年前に、地元山岳会と都留市が協力整備した標高500~600mの新しいハイキングコースだ。

 途中で、下山できるエスケープルートはいくつもあり、体力や時間に合わせて家族・初心者でも歩ける親切なコース設定になっている。


 富士急・都留市駅に集合8:45。

 登山口まで徒歩で、金毘羅神社に到着9:05。

 ここからいきなり急登が始まる。落ち葉で滑らないように、慎重に登る。急登が終ると、最初のピーク、富士山展望台に到着9:20。

 山頂にかかっていた雲も取れ、富士山を眺めることができた。

 ところどころに数日前に降った雪が残っている。発電所上部を通過して、尾根沿いに進む。蟻山、白木山、長安寺山と、小さなピークが続き、さらに少し下ったところにあるパノラマ展望台に到着した。

 富士山は雲に隠れて見えなくなってしまったが、三つ峠山が存在感たっぷりで屹立している。

 鍛冶屋坂の水道橋を通り過ぎ、天神山を過ぎと11:05。

 元坂の水道橋の先に友愛の森(学校林)にある東屋に到着11:20。

 ランチタイム(30分)をとった。そののち、千本桜植栽地を過ぎ、尾崎山分岐Aに到着12:25。

 都留アルプスはミツマタ群生地など、尾崎山の中腹をトラバース気味に設けられている。われわれは尾崎山山頂を経て、都留アルプスにもどるルートをとる。

 今までの登山道とは違って、荒々しいバリエーションルートで、残雪の急登が待っていた。軽アイゼンを装着して登る。だが、急すぎて滑る! 最低でも6本爪のアイゼンが必要だと痛感させられた。やがて、尾根に出たらなだらかな気持ちいい斜面になった。


 三等三角点がある尾崎山に到着13:55。


 下りは急斜面を慎重に下降し、尾崎山分岐Bに到着14:35。

 ここで都留アルプスに合流した。このさき整備された道を進み、最後の登り、住吉神社を祭ってある古城山に到着15:10。

 下山後は舗装路を東桂駅に到着15:40。


 後半は大変だったが、反省会で盛り上がった。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№246から転載

中央線沿線・御前山づくし=武部実

山行日 : 2020年2月8日(土)  晴れ

参加メンバー : L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、関本誠一、市田淳子、開田守

コース : 四方津駅~四方津御前山~西御前~コモアしおつ~大野貯水池~御春山~綱之上御前山~斧窪御前山~梁川駅


 御前山といえば、思い浮かべるのは、大岳山や三頭山、とともに奥多摩三山に数える、山容が大きく春にはカタクリの花で有名な山だ、とほとんどの人が言うに違いない。

 しかし、今回の御前山は、大月市と上野原市に7山もある同名の山のことである。そのうちの四方津駅から、梁川駅の北側にある4山を登ろうと計画を立てた。
 なぜ、狭い範囲にこんなに御前山があるのかは、少し調べてみたが不明であった。


 9:25 四方津駅を出発。

 国道を右折して、トンネルを抜けた先には「四方津御前山」の登山口の標識がある。山道に入ってすぐ、雑木林から草をかき分ける音がしたと思ったら、7~8m先に、猪が悠然と登山道を横断しているではないか。
 私たちに向かってこないか。猪のほうが立ち去って、ほっとする。

 10:03 四方津御前山(461m)着。

 山頂からは南の方向しか眺望はない。だが、道志の山々の先には、富士山の山頂部分がはっきりと眺められた。
 すこし休憩し、西御前(421m)に向かう。
 いま来た道を下り、10分ほどで着いた。ここからは西の方向が開けていて、これから行く「コモアしおつ」の家並みが眺められた。


 山道を下って、しばらくは道路歩きである。
 小きれいな住宅街の「コモアしおつ」を通りぬけて、大野貯水池に着いた。大野貯水池の周辺登山道として整備されている。この道を登ったところには東屋があり、貯水池のきれいな水を観ながらの昼食タイムとなった。


12:15出発。

 周辺登山道に沿って行くと、20分強で御春山(おはんなやま 463m)着いた。扇山、笹尾根等が眺められる、眺望の良い山であった。
 ここで下山すると、大野貯水池の周辺登山道を歩いたことになる。が、われわれは次の御前山をめざして反対方向に進む。40分ほど歩くと、今回のコース一番の急登となった。這いつくばって登るような感じで、キツイ。


13:42綱之上御前山(568m)着。

 ここからは、最初に登った四方津御前山や上野原市の街並みが眺められた。いったん下山し、線路沿いに歩いてガードをくぐったところに、お馴染みの大月市の標識がある。ところが、斧窪御前山の文字が消えかかっていて、目を近づけないと判別不明だ。


15:19斧窪御前山(523m)着。

 山頂には標識がなく、テレビのアンテナが林立しているだけで、見通しはあまりよくない。これで今回の御前山巡りは終了だ。
 この次は鶴島御前山と栃穴御前山を登れば、本当の御前山尽くしだ。

(四方津御前山の山頂)

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№246から転載

【寄稿・新型コロナの知識について】(下) 抗体とはなにか=井上園子

 新型コロナウイルスの第2波はいつ襲ってくるのか。そのときはどうするべきか。実態がわからないものにたいしては、人間は不安で、戦々恐々(せんせんきょうきょう)とする。

「東京アラート」が出された。また、すぐに引っ込めるらしい。
「それってなんなの?」
 よく解らないな。
 青とか、赤とか、大阪のバクりだよ。
 これが巷(ちまた)の無難な回答かも知れない。

 写真:ネットより(グーグル・写真フリー)


 来月は、東京都知事選(18日告示、7月5日投開票)である。「東京アラートなんて、現都知事の巧妙な選挙運動だ」と、毒舌の対抗馬が批判する。

 現職の彼女(67歳・兵庫県生れ)は、まだ立候補を表明していない。意思表示をすれば、そうそうテレビには映してくれない。公平感を失くするから。
 いまはカタカナ英語を乱発して、彼女はテレビに出まくっている。

 巷の声を拾ってみた。20-30歳代の将来をになう若者たちに。


「67歳って、初老だろう。初老がコロナに感染すれば、恐怖だ。だから、怖い、怖いと、騒ぎまくっているだけさ」
「そういう見方もあるか」
「だってさ、若者が愉しくあつまる新宿・歌舞伎町をヤリ玉にあげて、夜の街を悪玉にしているんだよ。これって、3.11のとき流行った「風評被害」にちかいかもね」
 福島原発で、放射能汚染の野菜、果物と風評被害で、農民を困らせた。

「あれも、可哀そうだった。こんどは、歌舞伎町で働くひと、遊ぶ人、呑むひと、若い世代がコロナで風評被害を受けているんだ」
「コロナの感染者は、歌舞伎町で1日5人くらい? 盲腸炎の発生率よりも、少ないんじゃないか」
 1200万都民が1日20人の感染者にしたら、0.00000166%だ。これでアラームかい。

 若者の声が、都庁のトップには届いていないらしい。

 赤い色のレインボーブリッジ、東京タワー、新宿の都庁が観光名所になったくらいか。大勢が出かけていく。外出の自粛なんて、よく言うよ。まるで逆じゃないか。

            *


抗体とはなにか】2回続けてきて、最後に、もう一度、井上園子さんに語ってもらいます。


 人間のからだは骨、神経、筋肉、脂肪、血液、すべて細胞でできています。
「血液も細胞ですか」
「そうです。ことごとく『ヒト細胞』と呼んでいます」

 怪我をして、皮膚から病原菌が入ると、からだはどんな働きをするか、ご存知ですか。人間は高等動物ですから、自己防衛できます。

 私たちは日常、物を食べますと、口から細菌もウイルスも同時に入ってきます。腸の粘膜には、体中の白血球(免疫細胞)の70パーセントが集結していて、胃の胃酸を潜り抜けてきた細菌やウイルスがいます。

 白血球は、それら異物を呑み込み、細菌を分解したり、食べたり、消化したり、破壊してしまいます。
「この働きをするのが、食細胞(しょく さいぼう)と言います」

 ところが、インフルエンザ・ウイルスがヒト細胞に入りこむと、
「憎きウイルスを捕らえて、食べてしまうのかと思いきや」
 食細胞は、自分の仲間の細胞かと誤解して、なにもできなくなるのです。


「食細胞って、軟弱だな。弱いんだな」
「悪かったわね」
「人間の細胞の破壊とは、おだ仏か」
「はい。御臨終です」
「冗談じゃない。頑張ってくれる細胞はいないか」
「それでは探してやる」
そこで、防衛力の強い細胞を探します。だって、人間は本能的に死にたくないし。
「いたぞ、いたぞ。NK(ナチュラルキラー)細胞だ」
「キラーって、殺し屋か」
「そうさ。生まれつきの殺し屋だ」
「からだのなかに、殺し屋がいたなんて、初耳だ」
「ひと呼んで、リンパ球だ」
 全身をパトロールしながら、がん細胞やウイルス感染細胞などを見つけ次第攻撃するんだ。

「殺し屋のリンパ球さま、NK細胞さま、ウイルスが私の細胞に入り込みました。拳銃でも、槍でも、刀でもいい。殺してください。あなたの出番です」
「ここは、腕のみせどころだな」
 NK細胞は、ヒト食細胞を殺した敵(ウイルス)の増殖をおさえはじめるのです。

 すると、マイクロフィージャ、樹状細胞、好中球といったなどが総動員されて、あらたなる戦争をはじめるのです。

 ウイルスの大きさは、0・1マイクロメートルです。数えている暇はない。ともかく戦うのみだ。この戦争は、初期段階の「食細胞」と「NK細胞」が攻撃と防御をくり返します。

「ギブ・アップ」
 
 ここで勝てないと、より高度な防衛が必要です。それが二段階の獲得免疫です。

「まだ死にたくないよ。ぼく人生でやりたいことはいっぱいあるんだ」
 白血球は、骨髄で産生される。からだがウイルス、細菌、寄生虫に攻撃されると、突然、免疫アラームが作動する。
「そんなややこしいことは、どうでもいいんだ。早く治してくれ」
 この間にも、強敵のウイルスがなおも強烈な攻撃をしかけてくる。初期段階(自然免疫)の樹状細胞が、食べたウイルスの一部(抗原)をもって、リンパ節のT細胞に知らせに行く。
「最後の出番は、いよいよ、俺さまだ」
 戦争でいえば、T細胞から分化したキラーT細胞とB細胞が放出する抗体は、大砲や小銃の弾で、ウイルスとの防備戦線に、次つぎに運ばれてくるのです。
 
「そんなの。どうでも良いんだ。治してくれよ」
「わめくな。ウイルスを攻撃してください、B細胞さま、というんだな」
「おねがいします。3番目に出てきた、本命中の本名の防禦隊の皆さま」
「それならば、ベッドに横になりながら、聞いておれ」
 
 リンパ節は、ヒトの体中に300から600個あります。大きく重要なものは、喉の扁桃腺、肺、脾臓・腸です。
「リンパ節が腫れても、治ってくれないや。ぼく死んじゃうの」 
「次の手で行くか」
 キラーT細胞とB細胞の各一個では、防衛力が足りないので、クローン拡大して、敵に対抗できるまで、数を増やします。
「クローンってなんなの?」
「それも知らないで、よく人間をやっているな。かんたんに言えば、一卵性双生児だ。Y字型抗体(一卵性双生児)という。次つぎに連鎖で拡がっていくのさ。敵をやっつける抗体を一杯つくるんだ」
「それってネズミ算といわない?」

「だまって、ベッドに寝ていろよ。わが白血球(免疫細胞)が勝利するまで」
「わかった」
「ほんとうに、解っているのかな。人間っていいな。免疫や抗体を学ばなくても、俺たちの知らないうちに、ウイルスを攻撃させて、治すんだから」
 ウイルス感染が抑えられると、増殖した細胞たちは死滅して通常数にもどります。

           *  

 敵の抗原が初感染か否かにより、B細胞の機能が異なってきます。初めての感染では、抗体の量が最高になるのに、10日間ほどかかるのです。
 おなじウイルスと戦った経験があると、5日間で最高の量になります。つまり、抗体ができれば、抵抗力がつくのです。
 かれらを信じ、がんばって、とエールをおくりたいものです。

【寄稿・新型コロナの知識について】(中) 抗体とはなにか=井上園子

 新型コロナウイルスの予防ワクチンについて、メディアではいろいろ取りざたされています。
 専門家は、いとも簡単に、こういいます。  
「はやい話しが、コロナの抗体をつくれば、感染しないことです」

 そんな説明されても、【抗体】とはなんなの? そこが解らなければ、チンプンカンプン、まったく意味不明です。TV局に出演する医者は、平易な説明ができず、ひとりよがり。
 まるで、医科大学・大学院の教室で、小学生が聴講しているような感じ。

 そんなのを引っ張り出してくるテレビ局のプロデューサーも、視聴者のだれが理解できるのか、それすら解ってないんじゃないの。
 

 人間のなかに、「抗体」はどのように存在しているのでしょうか。

 井上さんに、(上)に続いて、文章と絵で説明してもらいます。


井上さんのレポート

 抗体そのものは、グロブリンというタンパク質からなっています。

 皆さんが受診される健康診断には、血液検査の項目に、「白血球」は必ず入っています。その白血球には、8種類の免疫細胞が含まれています。

 その中の一つが、抗体を作るB細胞です。ことばを代えると、白血球のなかで、抗体は生まれます。
 生まれたB細胞は、たくさんのY字型抗体をミサイルのように発射して、敵(ウイルス・病原菌など)に付着します。抗体が付着してしまった敵は、
「参った」
 となり、ヒトの細胞に侵入できないのです。ギブアップして、もはや増殖できず。私たちのからだの炎症はなくなります。

 つまり、私たちの白血球のなかにB細胞の「抗体」ができれば、それが防衛力を発揮し、弾丸として「ウイルス」を攻撃し、その活動を停止させて感染拡大にならないのです。
 
 図で、説明しますね。



(画像の上を左クリックすれば、大きくなります)

           *

 白血球の数は、正常血液1立方メートル(一辺が1ミリの立方体の体積)当り4000から10000個です。

「ウイルスが侵入したぞ」
「どこだ」
「ノドの粘膜と、眼球のようだ」
 こうした異常事態のサインをうけとると、ふだんは丸っこい抗体の彼らは、アメーバのように体をくねらせ血管を通り抜け、敵が侵入した現場に攻撃にいくのです。

 とくに防御が弱いと、体の炎症が強くなり、白血球の値は基準値を超えてきます。それ自体は、白血球が増殖して、敵と戦っている証拠です。
 炎症は私たちにはとても辛いものですが、白血球が敵と戦いを優位するための手段です。

 私たちが風邪で熱が出たときは、白血球、つまり「免疫細胞」たちが敵と熾烈(しれつ)な戦いをくり広げているさなかだと、想像してほしいのです。

 しかし、抗体だけが細菌、ウイルス、ガンなどから守っているのではないのです。からだを造る一つひとつの細胞を含めて、すべてが情報を伝達しあい、私たちの体をつねに守っているのです。


「ウイルスめ。油断も、すきもない奴だ。鼻の粘膜から突入してきたぞ」
 敵であるウイルスが、鼻孔(びこう)入ったとします。


 闖入したやっかいな敵は、ヒトの細胞に穴を開けて入り込み、その栄養を吸い取り、なんと一個のヒト細胞から、約1000個まで増殖します。
 なおも、敵はヒト細胞を次つぎに破っていきます。

「たいせつなノドの細胞、肺臓の細胞までも、むしゃむしゃ食べはじめた。畜生」
 24時間後には、敵のウイルスは1万個にもなる。もう天文学的な数字になっていく。

 1万個になると、ふつうの風邪のような喉の痛み、鼻汁、咳などに加え、38度以上の高熱、頭痛、関節痛、筋肉痛といったインフルエンザ症状があらわれてきます。

                 *

「やられたら、やりかえせ」
 侵入されたヒト細胞は、ただ敵のウイルスにやられたままではいかない。すぐに、「敵にやられた」というサインをまわりの細胞にだします。


「こやつめ。このコロナの敵は強烈だな」
 鼻や肺臓のまわりに常駐する食細胞という、免疫細胞たちが、敵(ウイルス)を食べはじめます。
 大きい食細胞はマクロファージ、その2分の1の、小さい食細胞は好中球、ほかに樹状細胞がいます。

 好中球は、免疫相棒の中で一番数が多いのです。だが、その寿命は短い。敵を食べると、すぐに死んでしまうのです。
「応援だ。応援をよこせ」
 血液からは、応援の仲間が次つぎにやってきます。


                      『つづく・(下)』  

【寄稿・新型コロナの知識について】(上) 抗体とはなにか=井上園子

 新型コロナウイルスとはなにか。一言でいえば、風邪(かぜ)の一種でしょう。

 ならば、初夏から真夏にかけて感染者が減少するのは当たりまえ。それを「自粛の成果」だとか、「国民の努力の結果」だとか、行政関係者のアナウンスように、単純に喜んでも良いものなのだろうか。そんな疑問もあります。


 風邪ならば、晩秋、初冬に寒さとともに、ふたたび大流行しないとも限らない。過去の事例からも、「新型コロナウイルス」の第二波も予測できます。

 メディアで、取り上げる専門用語はずいぶん聞き慣れてきました。ただ、理解したつもりでも、あまりよく解らない。その実、なんら役立っていない。

 今後の第二波の到来に備えるためにも、「抗体とはなにか」と、知識が豊富な井上園子さんに文章と絵で説明してもらいました。


【寄稿・井上園子さん】

 2019年暮に、新型コロナウイルスが中国武漢市で、患者が確認されました。

 ことし(2020年)3月11日には、世界保健機構(WHO)がパンデミックを宣言しました。この新型コロナウイルスの感染で、この5月の今も、世界中は大混乱し、39億の人々はステイホーム(在宅生活)を余儀なくされています。


 ヒトの細胞、細菌、ウイルスの大きさを比べてみます。

 ヒトの細胞(平均0・02ミリ)は目にみえないのですが、そのおおきさを西瓜に例えますと、細菌はみかん、ウイルスとなると、お赤飯に入っている小豆のようなものです。

 ヒトの細胞と細菌は光学顕微鏡で見えます。しかし、ウイルスは、電子顕微鏡でないと見えないのです。

 日本は、2020年2月に感染症指定をしました。

 安倍首相は4月8日に1ヶ月間の緊急事態宣言をだしました。が、この緊急事態宣言は5月になってさらに延びることになりました。
 これにより、国民は引き続き、不要不急の外出を禁じられました。さらには県境を渡っての移動もできません。

 イギリスでは、この新型コロナウイルスに抗体ができた人には、普通の生活をして良い、という証明書をだしました、と報じられています。

 抗体とは、私たちの体を細菌・ウイルス・ガンなどの敵から守る免疫システムの一つです

 抗体ができれば、二度とおなじ病気にかかっても、細胞が過去を覚えていて、症状が出る前に敵(ウイルス)をやっつける抗体を産出することが可能だからです。
 通常なら、これでおしまい、めでたしめでたしになります(図の通り)。

 しかし、世界保健機構(WHO)から、待った、がかかりました。今回の「新型コロナウイルス」に関しては、そうはいえない、というのです。まさに、今までの常識を覆(くつがえ)したのです。

 抗体はできた方がよいのです。

 そのためには、「新型コロナウイルス」にかかる必要があります。しかしながら、感染すれば、最悪の場合は、重篤(じゅうとく)な状況になってしまいます。

 この矛盾に立ち向かうためには、私たちはどうすれば良いのでしょうか。この新型コロナウイルスのワクチンができる、(推定)一年以上先まで、コロナにかからないことです。
 
 このコロナに対する効果ある薬が、まだ完全にできていないのも、私たちを怖がらせる要因となっています。

 たとえ、薬がなくとも、私たちの免疫システムが正常に働いていれば、乗り越えられるはずです。そのためには、健康な体を造ることです。

 寝不足をしないことです。なぜならば、寝不足は、からだの中に老廃物がたまります。それを食べて処理するのに、一番大きい食細胞のマクロファージ(白血球の一種)が、余分な仕事をしなければならないからです。

 ここはとても、重要な点です。
                  『つづく・(中)』

【寄稿・「未完の風景」より】 「まえがき」、「なかりしか」  神山暁美

まえがき
 
 もうすぐ平成の世が終わります。大正10年に生まれ、激動の昭和を生きぬき、私と暮らした平成の世は、父にとって穏やかな日々であったのでしょうか。

 「もはや戦後ではない」昭和31年(1956)版経済白書は、そう記して戦後復興完了を宣言しました。しかし父にとっての戦後は、未だ続いています。毎年8月15日が来るたび、昭和20年の夏に引き戻され、父の心の復興完了はまだまだ先のようです。

 そんな父を想いながらも、戦争の話にいっさい耳を傾けなかった私。うしろめたさを感じながら、ここに父を書いた七編の詩と、エッセイを纏めました。

 娘がこのようなものを書いていること、父は知りません。読んでいただきたい方の宛てもなく、詩集への明確な心づもりもなく、そのすべてを、詩友の村山精二さま(オフ出版)にお願いしました。

 戦後を引きずったままの父と、それを言葉にした娘が生きた時代があったということ、平成の世の終わりに、ひと区切りつけたかっただけかもしれません。

 写真は、いよいよ覚悟を決めた父が、軍服姿で撮った最後の写真のようです。裏に「二〇・五・二六 於・佐世保」と記されていました。

 私と父の戦後に寄り添い、この詩集を手にしてお目通しくださった皆さま、ありがとうございました。



なかりしか


一、 至誠に悖る勿かりしか

一、 言行に恥づる勿かりしか

一、 氣力に缺くる勿かりしか

一、 努力に憾み勿かりしか

一、 不精に亘る勿かりしか


 黒々とした筆文字、故郷の家の表座敷、襖を開けると真っ先に眼に飛び込んできた額。父の仕業だ。初めてこの部屋に通された客は、誰もが額を見て驚き、父の思う壺に嵌まる。そして、いつものように話題は海軍から始まることになる。


 私はそんな父がずっと好きになれなかった。
 八月六日のヒロシマ、その三日後のナガサキの惨状を想像できる年頃になると、父への嫌悪感はさらに増していった。誰もが悲惨だったと口にする戦争体験を、自慢げに語る父を恥ずかしいとさえ思うようになっていた。海軍に拘り続ける父、それを聞きながし諌めない母、親に不信感を抱きながら生きていたのだ。

 岐阜から栃木に両親をよび寄せ同居する際、私たちが用意した和室に「なかりしか」の額が架けられるのではないかと気に病んでいたが、私の想いが通じたらしくそれはなかった。

 父は今年九四歳になる。戦争映画が好きで、おしゃべりがいつの間にか海軍のことになるのは相変わらずだ。
 毎日一キロの道を一時間かけて歩いてくる。艦(ふね)の周りを難なく泳ぐことができた脚が、どうしてしまったのかとしきりに嘆く。


「戦ったことはあるの?」
 実戦の話をしない父に一度だけ訊いたことがある。
「あるさ」
 と言っただけであとは黙ったまま、戦の話にも海軍の話にも発展はしなかった。

「自分は生かされとんのや。仲間はみんな海に放り込まれて、遺骨さえ在らへんのやからな。生きなあかんのや」
 毎年、敗戦の日が近づくと訛り言葉で寂しげにつぶやく。

 夏のこの時期、故郷でよく同窓会が開かれる。
 青春の思い出を語り合いたくて、必ず出かけて行く私。父にとって海軍兵としての数年間は、まさに青春、輝いていた時代だったのかもしれない。
 戦友と共に乗りきった訓練、空と海、緊張の青に包まれた艦内での日々、語り合う友のいない思い出なのである。心の奥底に、多くの話せないことを沈めたまま、今日も父は重い足どりで時速一キロの散歩に出かける。私はインターネットで「なかりしか」を検索している。


一、誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか

二、発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか

三、物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか

四、目的を達成するために、惜しみなく努力したか

五、怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか


パソコンの画面には「海軍五省(ごせい)」と記されている。


『詩人・神山暁美さんの略歴』

岐阜県・大垣生まれ

1988年 詩集『花思愁』 (私家版)

1989年 詩集『風詩集』 (私家版)

2001年 詩集『糸車』 (青肆青樹社)

2011年 詩集『ら』  (青肆青樹社)

詩誌「こだま」に寄稿

栃木県文芸家協会、日本ペンクラブ  会員

【寄稿・詩集「未完の風景」より】 天使のはしご=神山暁美 

雨雲のきれ間から

天と地をむすんで光がおりてきている

そこだけ ひときわ鮮やかな彼岸花が

あぜ道を滴ってこぼれていく

フロントガラスの隅に

貼りついたままのぬれ落ち葉 ひとつ

カーラジオから流れる

昭和の歌を聴いていた助手席の父が

とつぜん思い出したように口をひらく

「五島・福江島沖を航行中

東方の上空に

妖しい火柱がたつのを見たんだ」 と

ヒロシマの朝が裂けた日から三日後

船渠(ドック)入りしていた駆逐艦が

ナガサキの港を離れて間もない頃という


父の記憶のおわりを占めている

あの年の夏の風景が

ワイパーの残した

扇形にひろがるこの視界と

どのように重なったのか


天使のはしご かわいい名をもつ光線は

さらに幾すじもおりてきて

つぎつぎと棚田を照らしだしている

稔りの波を黄金色に輝かせながら


『未完の風景』より「天使のはしご」  PDF 縦書き


『詩人・神山暁美さんの略歴』

岐阜県・大垣生まれ

1988年 詩集『花思愁』 (私家版)

1989年 詩集『風詩集』 (私家版)

2001年 詩集『糸車』 (青肆青樹社)

2011年 詩集『ら』  (青肆青樹社)

詩誌「こだま」に寄稿

栃木県文芸家協会、日本ペンクラブ  会員

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