荻外荘(てきがいそう)通り 井上 彦清
フーテンの寅さん風に言えば、
「わたし、生まれも育ちも現在も、東京杉並荻窪です。祖父の頃から数えて三代目です」
令和三年・コロナ二年が始まってもう一月中旬です。今日一六日は、日本で初めてコロナ感染者が出てからちょうど一年が過ぎました。
昨年四月七日に新型コロナイルス防止のため緊急事態宣言発出があって以降、我が家は、巣ごもり生活を余儀なくされている。今年に入ってから感染爆発を受け、政府はやっと年明け七日に再度七都府県に緊急事態宣言を発出した。
「とにかく国のやることは遅い」とテレビの前でいつも怒っている。
家に居続けることで、注意しなければいけないのは、体力、筋力が落ちることだ。いざ歩こうと思ったら思ったように歩けないでは情けない。
その危険を察知した我が家のコロナ検疫官である妻は
「あなた、今日は、天気がいいから散歩をしなさい」
と勧める。
彼女には、先を読む能力があるようで、絶えず先回りしてくるので、ときには、癪に障る。
一日合わせて一時間のヨガ・真向法、テレビ体操などを、メニューを時々入れ替えながら半世紀近く続けている。
朝晩の瞑想も、三十年を越える。
しかし、これだけでは、十分ではない。外に出て、新鮮な空気を吸い、陽射しを浴びながら自転車を漕いだり、歩いたりすることが重要なことを、コロナ下で嫌というほど痛感している。
コロナ前は、自宅からの散歩の方角を、東西南北まんべんなく決めていた。しかしコロナ後は、我が家から南の方角、最寄りの荻窪駅の南側が定番の散歩コースとなっている。最近、妻から「また南側なの」とよく言われる。
北側方面は、最近大規模の老人ホームの建設がアチラコチラで進んでいる。わたくしも八十歳に近づき、老人ホームが身近に迫ってくるみたいで気分が重くなる。
妻からも朝刊の折込広告を見ながら
「この辺って、老人ホームだらけになっちゃうわね」
とよく言っている。
なんとなく北の方角は暗い感じがして、散歩の足が遠のいている。
それに比べ、荻窪駅の南側は、荻外荘・大田黒公園・角川庭園の三庭園や、昨春、新装なった杉並区の中央図書館もある。
荻窪は、百年前は「西の鎌倉、東の荻窪」と呼ばれた、別荘地のイメージだった。関東大震災後、文化人を含む多彩な人々が暮らす、緑豊かな郊外の屋敷町に変貌を遂げた。
私が、四季折々に足を運ぶ「大田黒公園」の由来を見てもわかる。戦後、NHKラジオの番組「話の泉」のレギュラーとして知られた音楽評論家の大田黒元雄氏は、昭和八年にこの地に移り住んだ。
洒落た洋館を建て、八十六歳で亡くなるまで四十七年間音楽活動を続けた。氏の屋敷跡を杉並区が日本庭園として整備し、昭和五十六年に開園した。
園内には、樹齢百年を超える銀杏並木や、武蔵野の巨木がうっそうと茂っている。桜や紅葉の季節など四季を通じて訪れる人の眼を楽しませてくれる。
駅から歩いて十分ほどと交通の便も良い。祖父が、神田から移って荻窪の地に家を建てたのも昭和八年だ。幼い時父から、移り住んだ頃は、家がポツンポツンと点在していたと聞いた記憶がある。
三年前に、自宅近くのゆうゆう桃井館で開催している、「おとこのおしゃべり会」に荻窪地域区民センター副会長をお呼びして講演会を企画した。
同センターは、設立四十周年記念事業で『荻窪の記憶』とりまとめた。
今回はその中の「大田黒公園周辺百年の歴史」を、戦前に撮影された貴重なホーム・ムービーの映写を交えながら、興味深い話の数々を聴いた。同センターでは『荻窪の記憶』を伝える道の愛称を公募した。その結果「荻外荘通り」と名称が決まった。
この地域は、昭和史の舞台になった国指定史跡の「荻外荘(近衛文麿旧宅)」のほか、四つの国登録有形文化財「西郊ロッヂング」(昭和初期に賄い付き下宿として建てられた。現在も形を変え営業中)、「旧大田黒家住宅洋館」、「渡邉家住宅主宅(戦後旧八幡製鐵社長を勤めた渡邉義介氏の敷地にある、建築家吉村順三氏による昭和の名建築)」、「幻戯山房(旧角川家住宅主宅、俳人で角川書店の角川源義氏の旧宅)」が至近距離に集まっている都内でもまれなエリアだ。
近くを流れる善福寺川が造り出す起伏豊かな地形も魅力の一つだ。
蛇行する川の両側には、桜並木や、常緑樹、広葉樹の多彩な樹々がそびえる。例年、桜や紅葉の季節には、妻とともにサイクリングで訪れる。
私は、距離と時間を稼ぐのと、自転車運転の勘を維持するため、自宅から駅前の自転車駐輪場まで自転車を使っている。そこから南側を散歩するのが定番になっている。
「荻外荘の道」に面したマンションに住んでいる俳句仲間の女性が、季節の折々に、中央図書館横の「読書の森公園に睡蓮が咲いているわよ」とか、「大田黒公園の紅葉が見頃で王朝絵巻みたいよ」と知らせてくれる。
こうした情報にも助けられ、俳句のテーマや、スケッチのモチーフになったりして、「荻外荘通り」は、私の創作活動の源泉になっている。
イラスト:Googleイラスト・フリーより