寄稿・みんなの作品

【孔雀船99号 詩】 思い出集め  望月苑巳

公園で孫とキャッチボール

鬼ごっこ

かくれんぼ

家では誕生日のケーキの上の蝋燭を吹き消す

(何だか命の灯を消すみたいで悲しい気分になるが、本当のことは誰にも言えない

お正月、普段顔を見せない娘夫婦が

birthday-cake 2022.2.14.pngこぞって笑顔を持ってくる

(作り物でないことを祈ろう

そんな時、ビデオで撮っておきたいと思う

ビデオならいつでも再生できるから

(ただ、ビデオには心まで映らないから残念だ

友人が訪ねてくる

スリッパを出す

たくさんの人を招き入れたスリッパだ

匂いがつけば鼻つまみものにされ

ボロボロになれば即お役御免

それまでは文句ひとつ言わず

どんなに臭い足で

穴の開いた水虫たっぷりの靴下も

受け入れてきた可哀想なスリッパよ

お前も思い出集めの仲間になりたくはないか

そうだお前こそ家族の一員だった

ビデオの主役になる権利がある

だからこっそり撮っておこう

孫たちから文句が出ようが

消去しはしない

(そう決めたのに今朝起きてみるとスリッパラックにお前がいない

妻に問えば「昨日、ごみに出したわよ」

思い出集めの終楽章はいつもこんなに

たわいなく残酷だ


思い出集め (1).pdf


【関連情報】

 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
  発行所 孔雀船詩社編集室
  発行責任者:望月苑巳

 〒185-0031
  東京都国分寺市富士本1-11-40
  TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船99号 詩】 青へ翔ぶ 高島清子

郭公や鶯や名も知らぬ鳥の声が満ちている朝

私は窓の奥に逃げてジャマイカのコーヒーを淹れ

ひと時の安らぎを飲みながら

危険な隣人となったコロナのことを思った

2022.2.15 003jpg.png
テレビにはIQ240だという

台湾のオードリー・タンの大顔が映り

私は心は女性なのよと言っている 

救世主となった今はそのどちらでも差し支えは無いだろう

あの時いち早く世界中のマスクを買い集め国民を救った

超天才の次の言葉を待ちながらテレビは消せない


私は香しいカフェインのせいで詩的脳になる

地球が首に巻いている青い紗のスカーフは

バンアレン帯でありそのまた奥は漆黒の宇宙で

正体不明の暗黒物質だと知ったのだが

そこまでで夢は終りなのだ


私の夢の先のそのまた遠くで

静かにサイコロを振っている者がいる

ひとまず神とすればイメージしやすいので神とすると

台湾の天才も釈迦もキリストも私たちも

神の手が振るサイコロの目で

この世界は神の遊びの庭であると思えば

なんだか嬉しくはないか

君の運命も私の今日も設計図の点に過ぎないとすれば


北半球に六月の匂いが満ちているのに

この頃は人たちの心の枠が少しづれて

無いものをかき集めて無理やり(幸福)と言ったり

当たり前のことにやたら(ありがとう)と言うのには

うんざりである


今朝私の窓を掠めて飛び去った一羽の鳥が

澄んだ声で歌いながら

碧の中へと落ちて行くのを見た


青へ翔ぶ(高嶋 (1).pdf


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 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船99号 詩】 贋札の肖像 尾世川正明

おんな友達と住む

庭付きの小さな家を

東京の西の方で林のなかに探して借りる

朝晩に

わざとゆうれいのようにそっと裏口から出入りすると

なんだか彼女の同居人としてのよろこび

シックリ感がたまらなく心地よく
2022.2.15 002.jpg
たとえば試みに

わたしの新品のシャツを洗って庭に干して

わざと十日間ぐらいそのままほっておいても

なんの違和感もなくぶら下がったまま

シャツは干物のように干からびてしまう

ところが深夜のためにかるい菓子など買い揃えて

テレビの前にそっと置いておくと

いつの間にかちゃんと減っているので

うれしくなって庭の木にも

小鳥箱を作って餌を置いてみたりしたくなってくる

掘り返した

庭の隅に

水仙の球根などを植える

出てきた先のとがったうすみどりの芽を見ている

彼女の横顔が

おさな友達の女の子の顔に見えてきて

ある日

「××ちゃん」と呼んでみたところ

ちょっと不思議な虫のような顔に変って

「それは私の名前じゃないみたいだけど」と

振り向いてくれたりもする

ほとんど食事は別々だけど

たまに食堂で一緒に食べる夕食で

きまって彼女は冷えた白ワインを飲むので

つきあって飲んでしまうわたしが

いつも先にすっかり酔っぱらって

知らないうちに床で寝てしまう

そんなときも

朝にはたいていテーブルの上は

百人の女官の仕える

宮廷の奥の掃除が行き届いた

ちりひとつない鏡の表面ように片付いている

夏の夕暮れには彼女がゆったりと風呂場で歌うので

家中に

古いイタリア歌曲がとてもよく響く

それがなにより楽しみでわたしは

仕事もせずにじっとリビングで音を立てずに待っている

旅行好きの彼女が旅行にでると

家の中はすっかり隅々まで空白に満たされて

わたしの生活は

時計のように金ぴかで無機質で正確になる

ところが

年初に南方の島でひどい火山の噴火があった年に

彼女は春になって旅に出かけたまま

いつまでたっても帰ってこない

わたしは彼女との楽しかった生活を小説に写そうと

記憶をたどりながら

なんとか数百枚の原稿を書いたところで

ある朝目覚めたら

ずっと思い描けなかった

彼女の顔が

財布のなかの

外国から持ち帰った贋の十ポンド紙幣に描かれた

ジェーン・オースティンの肖像のように

美しく

脳裏にくっきりと見えてきた

贋札の肖像(尾世川.pdf


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 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船99号 詩】 スノードーム 䑓 洋子

透明な 空になったジャム瓶の蓋の内側に

一〇〇均の小さなサンタを貼り付け

ラメと星形のスパンコールをひとつまみ入れ

薄めた洗濯のりをビンいっぱいに流し込み

しっかりと蓋を閉め

さかさまにすると

2022.2.15 004jpg.jpg
サンタの上に煌めく雪が降りしきる

大人たちの玩具づくり


ささやかな 一〇分足らずの工芸を

「ひさしぶりに楽しかった」と口々に言い

ひととき病は影を潜め

デイルームに 笑い声が降りしきる


くるりくるり さかさまにしては

舞い踊る雪の中の人形に微笑み

話しかけている


棚に飾ります

いいクリスマスになります

誰も来ないけど 今夜は寂しくありません


大切に 大切に両手で包んで

それぞれの

吹雪の部屋へ帰っていく


孔雀船99号 スノードーム(臺).pdf


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 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【孔雀船99号 詩】 父の書架 福間明子

晩春の書斎にはうっすらと黴がはびこり

ひっそりとして その静けさの中に侵入する

主がいないとはこういうことかと思いながら

いない主を探しているわたしだった

2022.2.15 005.jpg「その名を水に書かれし者 ここに眠る」⋆

父の愛したキーツの本がずらりと並んでいる

生前聞いたイタリア旅行の話を憶えている

ローマのスペイン階段のそばのキーツ館

病療養中に住んでいたという館の寝室のこと

残されたキーツのデスマスクのことなど


今思えば内なる魂のありようを問われていた

通り過ぎていった声の先には表現のありようを

わたしは父に問われていたのだ

デスマスクの存在は死後に他者によってとられる

「わたしの死はわたしのものではない」⋆

デスマスクの前で父はキーツに何を問われたのか


小さな額縁の父が描いた桃の絵が掛かっている

やわらかな風合いの桃の実ひとつ

わたしが食べますと言ってしまいそうな絵

桃色とはこんなにも美しいものだったのか

「こんな風に世界は終わる」のフレーズの

T.Sエリオットの詩集を選んで持ち帰った

*キーツの墓碑銘
*岡田温司著「デスマスク」から


父の書架(福間明子.pdf


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【寄稿・エッセイ】若返った私 青山 貴文

 令和4年の正月の朝が来た。私は、朝型人間で、正月だろうが4時ごろ目が覚める。といっても朝5時頃は真っ暗だ。

 数年前、「正月くらいはのんびりしなさいよ」と妻にいわれ、目が覚めてから、寝床の中でいろいろ考えたり、本を読んだり、ラジオを聞いたりした。

 その日は、一日中だらだら過ごしてしまりがなく、体調がおかしくなった。それ以来、正月でも目が覚めると、すみやかに床を離れる。


 書斎で、お湯を沸かしお茶を飲みながら、読書や調べものをしたり、数日前に記述したエッセイの推敲をしたりする。文章を数日寝かせると、矛盾点や表現のおかしなところがたやすく見つけられる。
 そこで、いつも数編のエッセイ原稿を、パソコンに保存し、これはという数編を選んで推敲を重ねたものだ。ところが、81歳ともなると、作文力が落ちたのか、1編をパソコンに保存するのがやっとだ。その一編を、数日おきに推敲して、今までなんとか毎月一回、私のブログに掲載してきた。


 私は、新橋のエッセイ教室に、毎月一回通い続けて14年になる。このブログに載せた作品をエッセイ教室に投稿し、穂高健一先生や読者の皆さんのご意見をいただいている。

 先生や皆さんの感想文・ご意見を原作文の次にブログに載せる。数日して、主に先生に添削していただいたエッセイを改作文としてブログに掲載する。エッセイ好きの読者の中には、「青山さんのブログは、どのように改作すればよいか分かるのですごく勉強になる」と言われる。

 「エッセイを志す後輩あるいは同志のために、恥を忍んで、拙作エッセイを世間様に晒している」人間何か一つ世の中のためになることをやっていると、生きがいを感じ、若返るものだ。
 
 私には、この早朝が新鮮で、脳細胞が活性化して事象を深く把握し、文章化できる唯一の時間帯だ。この朝のひと時を有意義に楽しく過ごせば、午後からは何をしても充実した1日になる。
 さて、そんな凡庸な朝型人間だが、今年の正月の雰囲気はいつもとどこか異って感じる。特に、居間から見える奥行きのない狭い平凡な庭の景色も、いつもと変わりはないか、今年はなにか明らかに違う。


 昨年暮れに夫婦して、居間の一間半の大枠の透明ガラス引き戸の網戸を取り外し、裏の軒下に冬場だけ置くようにしてみた。居間から見えるいつもの庭の垣根や草木が、二倍広く見え、大げさだがパノラマの景色を見ているようだ。
 
 さらに、昨年暮れ、吹き抜けの玄関の間接照明にもなっていた二階の洗面所の鏡の蛍光灯を取り外した。そして、LED電球に変えた。すごく明るいわりに電力は17ワットと少なく頗る経済的だ。
 この蛍光灯は、30数年前、家を改築した時の古いものだ。ここ数年接触が悪いのか、点いたり消えたりし、最近はつかないことが多かった。
 
 居間の網戸を外し、二階の用をなさない蛍光灯をLEDに変えた。ともにいつかやろうとしていたことを実行したまでだ。
 懸案の2カ所を明るくしただけで、今年の正月は若返った気がする。

                                  了

【寄稿・エッセイ】永遠の命とは 石川 通敬

 最近テレビで考えさせられる番組を見た。サイボーグとして生きる科学者ピター・スコット・モーガンの話だ。サイボーグがどういうものか知らなかったので私は、妻に聞いた。すると彼女は、
「もう五十年もまえから知られている言葉なのに、ほんとに知らないの。あなたが野球も、サッカーも、相撲のことも知らないでよくビジネスマンが務まったものといつも思っていました」と。

 これ以上口論しても仕方ないので、とりあえずネットで調べると、彼女の言うことが分かった。
 石ノ森正太郎が1966年に作成した大ヒット作、SF漫画「サイボーグ〇〇9」で知られていたのだ。私が好む漫画は、サザエさんとかドラえもん,サトウサンペイなどで幅は狭い。

 アニメにも、SF映画にも関心がない。だから飲み会等がこうした話題で盛り上がっている時は、自分はしゃべらず、静かに酒を飲んでいた。名誉のため付言すると、私が参加した飲み会でサイボーグ009が話題になったことは、一度もなかったと記憶している。

 面白そうな話題なので、過去のことにとらわれず、今回はこのテーマでエッセイを書くと決めた。先ず参考にしたのは番組の録画だ。多分私みたいな人がかなりいると考えたのだろう、再生が始まってしばらくすると、
「サイボーグとは、人が機械と一体化して機能しているシステム」
 との説明があった。

 さらにより話を分かりやすくするための事例がいくつか紹介されている。例えば胃の役割を外付けの器機にさせるとか、排せつ物の処理だ。

 しかし話はすぐわかり難くなった。主人公ピーターのアバター(分身)によるデモンストレーションだ。それは、自分の脳が考えることをAIに覚えさせ、自分の顔をスキャンして映像化された装置がアバターだ。しかもそれを彼の母国語(英語)ではなく日本語に翻訳して話させているから驚かされる。

 もう少し知りたいとネットで調べると、先ず彼の著書の広告が見つかった。同書のカバーには、
「ネオヒューマン 究極の自由を得る未来 今とは違う自分になりたいと闘う全ての人へ」
 と書いてある。
 同氏は、・ロンドンの大学をでた人間工学の専門家で、コンサルタントとして欧米で活躍していた。ところが五〇歳を過ぎた二〇一七年に運動ニューロン疾患(ASL)(手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気)と診断され、余命二年と宣告を受けた。

 彼はこれを「画期的研究の機会」と受け止め、自らを実験台として「肉体のサイボーグ化」「AIとの融合」をスタートさせたのだ。
(実は、その後四年を経て今も健在で、今回のテレビ出演を実現している)。
 私は、彼の著書を早速読んでみた。しかし同書はピーター氏の自伝だったため、私が求める疑問に対する分かりやすい説明は一つもなかった。


 私がまず知りたいと思ったのは、頭脳のサイボーグ化問題だった。それを刺激したのが、将棋の藤井さんだ。彼がAIで勉強しているとよく聞く。
 私は、その彼の頭脳の一部がすでにサイボーグ状態となっているのではないかと考えた。昨年急逝された早稲田大学の高橋透教授は「人間の脳はコンピューターと融合しサイボーグ化せざるを得ない」
「ヒト化するAI対サイボーグ化する人」と言われたが、藤井棋士はその生き証人なのではないかと私は思うのだ。


 次に知りたいと思った問題は、現在全世界の企業が血眼になっている自動車の自動運転だ。

 人間は自分の頭脳・目・耳・手足の機能をまとめて自動車にゆだねようとしている。人間と機械が融合することをサイボーグと定義するのであれば、自動運転車は、人間から独立したロボットに過ぎない。しかしそう遠くない将来両者が、接点を見つけ一体となって機能するようになるのではないかと私は想像する。

 最後に、私が知りたいと思ったのは、人の命とは何かだ。完璧なサイボーグ装置が完成すれば人間は理論的には、永遠に生きられるはずだ。
 生身の肉体を全て機械に置き換え、自動車をメインテナンスするように耐用年数に応じてすべての部品を交換して行けば、そのサイボーグの命は永遠のハズだ。

 しかし頭脳を新しいものに交換する時、
「今後は私の過去にとらわれず、新しい考えで人生を切り開きなさい」
 と指示しときどうなるのだろうかという思いが頭をよぎった。もし新しい頭脳に自分の人生を独自に切り開き、永遠に生きるようにと指示すると、果たして自分の命は永遠だったと言えるのだろうかと、ふと考え込んでしまった。

                      了

コロナ禍の城南五山めぐり 市田淳子                          

日時:2020年12月13日(日)
コース:花房山~ねむの木の庭公園~池田山公園~島津山~雉子神社~高輪南児童遊園八つ山~御殿山庭園

 この春、新型コロナウイルス感染症が流行してから近所の友だちと実行している活動の一つがウォーキングだ。
 家から出かけて戻るまでたいていの場合、交通機関を使わない。

 今までの最長記録は目黒の自宅から神代植物公園の往復だ。この日は、紅葉を楽しみながらゆっくり歩くことを目的とした。コースは城南五山めぐり。花房山・池田山・島津山・八つ山・御殿山を城南五山と呼ぶ。五山はそれぞれが近くにある。
 つまり、山あり谷ありの地形というわけだ。

 ところで、東京スリバチ学会という名前を聞いたことがあるだろうか。ブラタモリでもお馴染みだが、凸凹地形に着目した、東京の楽しみ方を教えてくれている。
 目黒駅周辺は急な坂が多く、坂を下ると例えば目黒川のような川やスリバチの底に行きつく。アップダウンの多い散歩コースで、絶好のスリバチ散歩だ。

 まず目黒駅前の花房山からスタート。今ではただの高台だが、目黒から花房山通りを下り五反田駅に至る。
 五反田に下りずに池田山の高台にある「ねむの木の庭公園」に向かう。ここは上皇后陛下のご実家・正田邸の跡地を整備し、2004年に開園した区立公園だ。公園の中央にはネムノキがあり、庭にはプリンセスミチコが上品に咲いていた。

 次は池田山公園。坂道の下から入っていき池の畔を歩き、山を登りながら紅葉を堪能した。上から池を望むと、地形がよくわかる。
 公園を出て国道1号を渡ると、島津山、清泉女子大学がある。中にある重要文化財「旧島津家本邸」を見学したかったが、現在は見学ができないようだ。その島津山の地域にある雉子神社をお参りした。

 慶長年間に徳川三代将軍家光公が、この地に鷹狩りに来られた時、1羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追って社前に詣でられ、珍しいこの地を「雉子宮」と称したとのことだ。

 島津山から坂道を下る途中、高輪南児童遊園に立ち寄り、高低差を利用した公園であることを感じた。そして、八つ山を通り最後の御殿山庭園へ。
 東京マリオットホテルの南側にあり、江戸時代は桜の名所だったそうだ。ここも高低差を生かした庭園で、モミジの紅葉が素晴らしい。
 山を下りていくと水の音がし、人工的な流水は池に注ぐ。四季折々の自然が楽しめる庭園だ。こうして城南五山散歩のゴール。遠くの山に行かなくても1日楽しむことができる。これもコロナのおかげと言ったら言い過ぎだろうか。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報255から転載

コロナ禍の権現山(1312m)   佐治ひろみ       

日時...2021年4月1日 晴れ

• コース...猿橋駅8:18 → 浅川バス停8:50 ~ 浅川峠9:40 ~ 権現山11:10 ~ 雨降山12:35 ~ 初戸バス停14:30/14:54 → 上野原駅

• メンバー...佐治他4名

 久し振りの権現山山行に心は弾む。山頂から綺麗な富士山は眺められるだろうか?

 猿橋駅発8:18のバスに乗り、浅川バス停まで約30分。里山には山桜があちこちに咲いている。終点のバス停に着き身支度を整えて5人で出発した。
 今日は久々の千メートルを越える山、まずは浅川峠を目指してゼイゼイしながら登る。
 9:40 峠に着き、小休止をとる。

 ここから権現山へ行く道と、扇山へ行く道に分かれている。いつも権現山しか行かないが、今度は扇山方面にも行ってみたいものだ。
 休憩を終え歩き出すと、あちこちに鳥の声がする。綺麗な自然林の新緑の中で、きっと小鳥達も気持ちがいいのだろう。人間も同じ。
 権現山へのジグザグの急な登りに喘ぎながらも、心は何だかウキウキしてる。自粛生活の中でのたまの休みに、こうして山の中を歩き回れる幸せをしみじみと感じてしまう。

 山頂までの辛い登りもようやく終えると、尾根に出る。ここからは尾根伝いにもうひと頑張りだが、まわりの景色が開ける分やる気が出てくる。
 平日のせいか、すれ違う人はゼロ。山頂に着いても私達だけで、広々とお昼ご飯をいただく。
 あいにく富士山の方向だけ雲がかかっていた。だが、北側の笹尾根、東の坪山、南の扇山、これから行く雨降山等、素晴らし景色に、ご飯も一段と美味しく感じる。

 30分の休憩の後、雨降山に向かい出発すると、今日初の登山者に遭遇した。恰好からして、サイクリングの人? 少し下った祠の近くに、かっこいいマウンテンバイクが止めてあった。この山道をチャリで登るとは恐れ入る。

 尾根上に2つのピークを踏む。以前は名札など付いてなかったけれど、大窪沢ノ頭と次に鍋割沢ノ嶺を越えすみれの丘?を通り、雨降山の雨量観測施設に到着する。
 今日はここから初めての黒房尾根を通って下りるのだ。どんな道なのだろうと興味津々だったが、ほとんどが檜林の下り一直線である。
 こちら側から登るのは大変だろうと思ってしまう。

 ようやく里の家々の屋根が伐採地から見えるようになると、山の中腹には山桜が咲き、川が流れ、足元には小さな花が現れた。
 さらに下りバス停近くにはスイセン、色鮮やかな花桃、さくらが咲き乱れ、こんな山奥に桃源郷! と思わせるような景色に疲れも吹き飛んでしまった。
 最後にこんなステキなお花見ができて、本日の山行も大満足でした。


         ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報261から転載
 

コロナ禍の山行・宇都宮アルプス=佐藤京子

                                  
日時 : 2020年11月7日(土) 快晴

参加者 : L武部実 佐治ひろみ 宮本武 金子直美 佐藤京子
                         
集合 : 宇都宮駅 8時00分 集合
 
コース : 宇都宮駅 8:30のバス(日光方面行き) ~ 一里塚停留所下車 ~ 平成記念子どものもり公園内 冒険活動センター管理棟から山に入る 榛名山 ~ 男山(527m) ~ 本山(562m) ~ 飯盛山(501m) ~ 晴嵐峠~高舘山(477m) ~ 黒戸山 ~ 登山口 ~ 中徳次郎バス亭 ~ 宇都宮駅

 新幹線に乗ったのは今年になって初めてである。7時8分発。コロナのせいか普通車両はガラガラだ。宇都宮で下車した。西口歩道橋下からバスに乗り約30分で、一里塚バス停で下車する。

 少し歩くと、一里塚と書いた高い標識が立っている。船生街道入口交差点を左折した。約2キロで、「こどものもり公園」に入る。宿泊棟や炊事場もある大きな公園だ。
 木々の紅葉が私たちを迎えてくれた。遠足なのだろうか。小学校の名前を書いたバスが2台駐車している。


 冒険活動センター管理棟から榛名山を目指した。低山ながら、けっこう急登で岩場もある。きつい。ハアハアいって登っていると、子ども達の声が聞こえてくる。もう榛名山に登頂し、下山のようだ。
 聞くと市内の小学五年生だ。2校の長い列だった。軽々と下りてくる子どもたちがほとんどだが、恐々おしりをついて下りてくる子もいる。
「お弁当が楽しみだね。」
 なんて声をかけた。

 遥かに日光の山並みがくっきりと見える。男体山と女峰山だと、仲間が教えてくれた。メンバーではもう登った人が多い。
(私は、いつか登ることがあるかしら。)

 昼前に本山に到着する。待ちに待った昼食だ。朝が早かったので、お腹はペコペコだ。陽だまりの中、昼食を楽しむ。

 帰りは、急坂があるとは聞いていたがけっこうきつい。ロープを張ったところが何か所もある。このロープがなければ、もっときつかっただろうと話す。ロープをきちんと張ってくれた方々に心の中で感謝する。

 そういえばスーパーボランティアとして有名になった尾畠春夫さんが、今年、緑綬褒章を受章された事を思い出した。
 登山道の整備がボランティア活動の最初だそうだ。私にも何かできることはあるのだろうか。ゴミ拾いくらいか?

 時間が押してきたので兜山は省略した。バスに乗って宇都宮駅に戻り餃子屋さんを探す。「GO TO EAT」のせいか? 各店には行列ができている。空いている店を見つけて入る。
 宇都宮餃子とビールで静かに乾杯だ。


 当日の天気予報は、「曇り。夜は雨」だったが大外れ。温かい山歩きだった。
 晴れ男の武部氏と同行者に感謝する。Kさんが落とした上着を、すれ違いで登って行った若い男性が見つけてくれたようで、管理棟に届けてくれたことは、本当に嬉しい出来事だった。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報256から転載

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