夏は旅行会社から、世界各国、冬向けの音楽旅行冊子が来る。
私はそれらを丹念に見る。ウイーンの今年の大晦日から元旦のニューイヤーコンサート指揮者が、フランツ・ヴェルザー=メストに決まったと報じている。うれしくなった。
オーストリヤ出身の指揮者ということで、ウイーンの人たちも喜んでいるそうだ。
1昨年までの私は、演歌から、クラシックまで、音楽にはほとんど興味関心が無かった。聴くのも、演じるのも苦手なのだ。ところが、昨年の元旦、たまたま掛けたテレビから、優美な画像と美しいメロディーが流れて来た。何曲かは聴き知っていた。解説者の言葉から、これが有名なウイーン楽友協会「黄金ホール」でのニューイヤーコンサートと知る。結局、最後まで見てしまった。
以来、私は、そのコンサートホールで聴きたいと思い始めた。たまたま、ボランティヤーで、数人の女子学生と一緒になった折、そのコンサートの話をすると、事務局のT子1人を除いて、皆が「いいわね。行きたいわ」と言っていた。
さっそく周囲の音楽好きや外国旅行好きな人たちに、ニューイヤーコンサートに行った経験や行き方を聴いてみた。だが、誰もが、チケットの入手が困難だという。
行くのは無理、と言っている。がっかりしてしまった。
そんな折も折、あの時黙っていたT子から、「とよさん、私、行きたいのだけれど、連れて行って」とメールがきた。びっくりして、「連れてなんか行けないけど、ただ、一緒に行くというならOKよ」と返信する。
それからは情報集めに弾みが付き、聴きまくり、探しまくった。50年前に行った人からは、楽友協会「黄金ホール」はすばらしく、チケットは現地留学生に頼んだとの返事がきた。
別の知人は、「家にきた冊子に出ていた」と言い、そのページを切りとって送ってくれた。しかし、その計画は余りにも高額で、私たちには手が出なかった。
どの計画書も、帯に短しなのだ。
「ニューイヤーコンサート」の券はエージェントが買い占めるから、一般には出回らないのだとわかった。以前、相撲の切符をお茶屋が買い占めていたのと同じだ。
私たちでガイドブック、インターネット、旅行社を総動員し、スケジュールを作り、ホテルも決め、チケットの取得に漕ぎ着けた。指定席の一覧が示され、希望を聞かれた。席はこまかいカテゴリーに分けられている。バイオリニストの指使いが、見える場所を望む客もいるそうだ。
私は全体の雰囲気に浸りたいから、舞台から3分の2のボックスにきめた。ホール全体がよく見渡せる。だが、旅行社は事前にチケットを渡してくれない。何回も「本当に観られるのね。向こうで、チケットが取れなかった、なんてことないわね。」と、くどくど聞き、念を押した。
せっかく行くのだから、「セビリヤの理髪師」「第九」「オペレッタ蝙蝠」も鑑賞することにした。全額支払って初めて、チケットは大丈夫だが、現地で手渡すという。腹をくくる。
音楽三昧の1週間の旅行だ。私を知る人が聞いたら、何と言うだろう。
いよいよ成田空港から飛び立つ。ウイーンでは、中世的なマントのおじさんがボランチヤーで、道案内してくれる。シェーンブルグ宮殿前の屋台で、ホットワインがさし出される。
旅立つ前、T子が振袖を持って行くと言う。「着られるの?」「特訓します。」「えっ」それで、私も訪問着を持参することに決めたのだ。現地では2人で、帯と格闘し、なんとか恰好を付け、会場へ向かった。
「黄金ホール」の内部はイタリヤからの花で飾られ華やいでいる。フランツ・ヴェルザー=メストの指揮はすっきりしていた。
最後は「美しき青きドナウ」と「ラデッ行進曲」の手拍子で、演奏者、聴衆が一つになった。私は異国の会場で、はるか昔、音楽の先生が、聞かせてくださったドナウ川を思い出していた。わけもなく涙が流れた。来てよかった。
ふたたびフランツ・ヴェルザー=メストの指揮が聴ける。待ち遠しい。