作者紹介・野本浩一さん:シニア大樂「写真エッセイ」講座の受講生です。
1951年長崎県生まれ。1975年に三菱重工業㈱に入社し、2000年から6年間はフィリピンに駐在勤務しています。2011年9月に定年退職しました。
ユーモアやジョーク愛好家とともに「ジョークサロン」を結成し、20年以上にわたり、笑文芸作品を持ち寄り、発表する会を楽しんでいます。
現在はエアロビインストラクターとして活躍しています。
同期のナデシコ 野本 浩一
2013年のゴールデンウィーク明けに友人からメールが届いた。
「あと一年は勤務する積りだったが、6月末に定年退職となった。残念だが、仕方がない。貴兄が60歳で打ち切られた時の気持ちが分かる気がする。後ろ髪引かれる気持ちを早く鎮静化し、第二の定年後を迎えたい」
と書いていた。
久しぶりに貰ったそのメールから、悔しいとつぶやく彼の声が聞こえてきた。
今回のメールは、いつもの飲み会の誘いに比べると長いものだった。普段の彼は愚痴っぽいことなど書ないだけに、本音が最後に書かれていたと思う。
「定年後の人生に、どんなことをすればいいか考えている。付き合うべき方々と付き合い、見聞したいものごとには素直に手を伸ばしたい。では、また」
わたしは何度も彼からのメールを読み返した。そして、正直な気持ちを返事した。
「小生は退職後、失業保険を受給する手続きの為に、半年ほどハローワークに通った。職探しを続け、一か所だけ某財団に応募した。予想以上に長く待たされた揚句に、受け取ったのは不採用の通知だった。気持の切り替えには、数ヶ月かかった。
『団塊の下だから、仕事回って来ないよね』と言っていた。
半年程経ったあたりから自分自身の中にあったプライドは捨てて徐々に再活動を始めた。何をしたか、おいおい話す機会を作るよ。以前君に話していたエアロビは忙しくなってきた。いろんなことを試みながら、『とにかく楽しもう』、と気持ちを切り替えた」
彼は、定年退職を迎えるのはまだ2、3年先と楽観的に考えていたのだろう。だから、今回の肩叩きでショックを受けたのだ。
彼にはできるだけ早く気持ちを切り替えて欲しいと願っている。
その2日後の5月10日、わたしはエアロビインストラクターの講習会に出向いた。猛特訓の末、昨年11月に講師認定試験に合格し、ほっとしたのも束の間、毎月2回の講習があり、より一層忙しくなってきた。本音を言えば、定年後にこれほどエアロビ漬けになるとは全く想像すらしていなかった。
同期の講師合格者は9人で、男性は2人、女性が7人だ。5月10日の講習にはその9人中5人が出席した。ハードな練習の後、都合が悪い1人を除いた4人で飲んで語り合おうと、駅前にあるファミレスを目指した。
この同期で語り、食べたり飲んだりすることがとても楽しいものになってきた。何故なのだろう。
「エアロビ教室に通い始めた頃の野本さんを思い出すと、インストラクターに合格するなんて、想像すらできなかったわ」
と笑いながらあけすけに言う人がいる。
「我が家で、インストラクター試験の9人のビデオを見ると、生真面目に取り組む野本さんのシーンで娘たちが大笑いするのよ」
と、さらに辛辣なことをいう人がいる。
「でも、今では一番頑張って、試験の後、どんどんレベルを上げているって、評判もあるわよ」と優しくフォローしてくれる人もいる。
定年退職するまではどっぷりと浸かっていた会社生活である。それも男性だけの会合では、誰も言わなかったようなコメントをあっけらかんとにこにこ笑いながら投げかけてくる。想像を絶するお喋りや舌戦にたじたじとなり、僕は気おされてしまう。それでも、エアロビ同期との語らいの場は笑顔があふれとても楽しい。
わたしにとって、定年後の世界は学業成績とか仕事の実績や肩書きとかが関係ない異次元の世界である。その異次元の世界に、かつての会社同期の面々よりも、いち早く溶け込まざるを得なくなった。
そこから這い上がった今は、すっきりしている。
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