寄稿・みんなの作品

【転載・詩】 睦月にくるまれて =  望月苑巳

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。


「孔雀船82号」頒価700円(2013年7月15日発行)より転載
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

睦月にくるまれて 縦書き PDF



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  睦月にくるまれて  望月苑巳

 夕立を匂う
 実朝の匂う。
 やわらな梨花
 その下で夏のような命がながれ
 しなだれる。
 その日は雪曼荼羅の睦月だったが
 小路からは手毬唄が沿うようにながれていた。

 花弁から溢れだすあなたは
 いくら絞っても
 焦点がぼけてゆくよ
 あつもの
 思惟の雑踏に踏みにじられ
 あつもの
 おだやかに舞い降りた
 実朝よ。

 定家がゆっくりと言葉の弓をひけば。
 手毬唄を教えながら
 夕立の、しめやかに虹の橋を渡ってゆく。
 後鳥羽院の弔辞
 どこまでもきなくさい弔辞
 春まで待てないと気は遣って。

 定家は舞ながらうたう
 梨花にくるまれて泣きながら
 燃え尽きるよ
 水の国から
 あなたは言の葉へ。

【寄稿・詩】 いつの日か= 結 城  文

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)さん
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

日英翻訳家



いつの日か=結城文 縦書きPDF

 いつの日か  結城 文 

いつの日か思い出すだろう
この山桃の並木道を――
冬の日はこんもりと暗く
緑に押し黙って
梅雨の頃には
赤紫の実を路にまき散らした
路ゆく人に踏まれ
心の痣のような染みを印した
 
いつの日か思い出すだろう
この山桃の並木道を
夏の日は
くっきりと木蔭をつくって
強い陽射しから私をかばった 
 
いつの日か思い出すだろう
この山桃の並木道を
とある春の日
葉むら深く
巣作りした鳩の
くぐもった啼き声を
駅へと急ぐ私に聞かせた

おお 帰らない日々の――
ノスタルジーは
人のもつ
もっとも高貴な感情といったのは
ロシアの音楽家だったろうか?
忘却に沈みゆく日々の 
いつの日か思い出すだろう
この山桃の並木道を
                        

【寄稿・フォトエッセイ】 地球儀=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験があります。(作者のHPでは海外と日本のさまざまな対比を紹介)。
 周辺の社会問題にも目を向けた、幅広いエッセイを書いています。

「週末には葉山の夕日と富士山を狙っています」。その写真は毎月、ブログの巻頭・巻末で紹介されています。心の憩いになります。

         作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から

    地球儀    久保田雅子    

 わが家の子供たちが小学生のころ、クリスマスプレゼントに地球儀を贈った。
 広い世界を知る素敵なプレゼントだと思ったのだが、かなり不評でがっかりした。子供部屋の棚の上に長いこと置いてあったが、まったく使わない様子を見て、とうとうある日処分した。そのころの私はゆっくり地球儀を見る時間などなく、毎日をあわただしく過ごしていた。

 先日、娘に「誕生日プレゼントになにか欲しいものある?」と聞かれたのですぐに<地球儀>を希望した。最近、地図帳をみていて、シベリアや北極付近などが、ほんとうはどんな形なのか知りたくなっていたからだ。地図帳では赤道付近は正しいが北極や南極に近づくほど、その形は不正確になってしまう。それも目で確かめたかった。
 
 希望した地球儀が誕生日に届いた。さっそく箱から出してデスクに置いてみる。直径30センチぐらいのベージュ色系のおしゃれな地球儀だ。
 斜めに傾いた地球を見て、この斜めは地図帳ではわからないことだと気付いた。23,4度の傾きで、なぜ地球に四季があるのかを、再確認できた。
(そうか…)誰でも知っていることなのに、私はよく理解していなかった…。


 フランス行きの飛行機に乗ると、座席のポケットに入っている小冊子には、飛行経路の地図が載っている。機内のテレビ画面には飛行経路が映しだされて、現在どのあたりを飛行中かわかるようになっている。東京を出発するとすぐに北へ向かい、ロシアの上空を西へ飛行して行く。フィンランド付近からドイツを通ってフランスへ下りていく。その都度(なぜ遠回りするのかな、中国上空を西へまっすぐ行けば、フランスはもっと近いはずなのに…)と思っていた。


 だが、地球儀を手にしておどろいた。東京・パリを直線で結ぶとロシアを通るのだ。中国は通らない。飛行機はちゃんといちばん近いコースを飛んでいたのだ。(地図帳で東京・パリを直線で結ぶと中国を通るのに…)

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【寄稿・フォトエッセイ】切り干し大根はいかが=三ツ橋よしみ

『作者紹介」  三ツ橋よしみさん:薬剤師です。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「フォト・エッセイ」の受講生です。

 東京近郊の「田舎暮らし」がはじまりました。いまは見るもの聞くものが新鮮だそうです。「見慣れてしまうと、感慨が薄まりますから」とシリーズで書かれています。


  切り干し大根はいかが   三ツ橋よしみ   


 佐倉の畑で、大根が150本ほど採れた。友人、知人、ご近所さんに配りました。すくすくと育った姿のいい大根だと、皆さんに喜んでいただきました。
 でも、たこのように枝分かれしてしまった大根は「嫁に出す」には、ちょっと気が引けます。十分耕さなかった土に育つと、ごろ土にあたった根が別れてしまい、たこのようになるそうです。家庭菜園一年目は、そんなことも知りませんでした。

 そんな、たこ足大根が5、6本、家に残りました。
そうだ、切り干しにしたら、たこ足も気にならなくなると、思いつきました。

 さっそくホームセンターに「切干突(きりぼしつき)」を買いに行きました。
 その名も「切干突 羽子板」です。
 羽子板ほどの板の中央に、ぎざぎざの刃をつけただけの簡単な道具で、板には「羽衣」と焼印まで入っています。

 都会では見たことのない道具ですが、この辺りでは簡単に手に入ります。
 見てくれの悪い大根を、千切り大根にしました。

 おっととと、気をつけて。指を削っちゃわないようにね。 

 盆ざるに広げた千切り大根を、玄関先で干します。茶色は、干して2日目。
白いのが、この日干した大根です。3日でからからになりました。

 種から育てた我が家の切干大根です。黄金色に輝いています。
干しあがったばかりの切干大根はどんな味かしら。1本つまんで、食べてみました。まだ太陽の暖かさが残っています。ほんのりとした甘さが口の中に広がりました。

 切干大根を甘酢和えにしましょう。作り方はとっても簡単。切干大根を水に10分ほどつけます。柔らかくなったら軽く水気を切り、甘酢をかけて出来上がりです。切干大根をかむと、はりはりと元気のよい音をたてました。

 写真は、大根といっしょに干したキュウリを、加えて和えたものです。
ビールのおつまみにもぴったり、すっきり夏向きの一品になりました。

【寄稿 詩】 道 = 結城 文

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)さん
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長


日英翻訳家

道 縦書き PDF


  道   結城 文 


小鳥の目になって飛行機から俯瞰する

ひとすじの道がとおっている

おぐらい緑のなかを
ほの白く ほそく 
どこまでもつづいている道は
――女のよう

道には 
往還するものがあるはずなのに
人の子ひとり
トラック一台の影さえもない
街路樹もなくむきだしの道は
完全に空無――
道は
完全な無をのせたまま 
カーブしながらしなやかに前へ前へとのびる
そう 白い道には終りがない

道は 
上をゆくものの時間を刻みながら
道は 
上をゆくものの生の重みを受けとめながら
青い球体の上をほそほそと
どこまでもどこまでもつづいて
ほのかに白い円環となる

道に 
人間の姿が車が現れないことを
なぜともなく祈る

夕闇は
地表の森にもっとも深い
闇は
空からおりてくるのではなく
地上から立ちあがる――
道は
すでに森に没した

かなしいまでに明るい余光のなか
うすずみいろが ぼあっとにじんで 
麗江古城が見え出す

【寄稿・写真エッセイ】手づくり絵本ってなあに~人材バンク~=桑原妙子

 作者紹介

 桑原妙子さんはシニア大楽「写真エッセイ教室」の受講生です。
 S30年生れ。わが子が1才の頃より、手づくり絵本をはじめる。サークル活動中に公民館、生涯学習館、子ども会、保育サークル等で、手づくり絵本&ポップアップカードを教える。


【関連情報】

絵本クリエーター『エクリエ』

作者・ブログ


 

手づくり絵本ってなあに~人材バンク~ 桑原 妙子


 人それぞれと思いますが、あなたは、何にいきがいを感じていますか。

 夫の転勤先の横浜に引越し、荷物の片づけも済んだ頃だ。何もかも、やる気が起きずぼんやり過ごしていた。
 かつての名古屋には仲間がいた。横浜では、絵本のサークルを作るにしても、簡単に人は集まらない。その上、知り合いもいない。名古屋に居残りたかったと、いつまでも未練がましく考えてしまう。そうだ、手作り絵本をつくることは私のいきがいだったのだ。

 春のある日、そう思い立って、横浜の鶴見区役所へ行った。
 広いロビーのラックの中には沢山のチラシや会報誌がある。それらを丁寧に一枚一枚見た。その中に『子育て子育ちフォーラム』があった。鶴見区のいろいろな団体が集まり、子育て関連のイベントや活動を行う会だ。
「ここなら何かできるかもしれない」
 そう思い立ち区役所横にある、区民支援センターに行ってみた。
 担当職員の話を聞き、『子育て子育ちフォーラム』に入会することに決めた。ここでは、私も様々なイベントに参加させてもらった。クリスマスには、子どもたちと一緒にカード作り、春には、親子の飛び出すしかけ絵本作り、バザーや、フリーマーケットなどにもボランティアで参加した。

 この区民支援センターには『人材バンク』制度がある。私は「手作り絵本とポップアップカード」で登録をした。人材バンクからは少しずつだが、公民館や、子ども会、高校から活動の依頼がくるようになった。

 平成16年春には区民支援センターから『夏休みの親子絵本講座』の仕事の依頼がきた。
 逗子市教育委員会からで、講座は親子25組、約50名である。夢のようで、飛び上がるくらい嬉しかった。フォーラムで知り合いになった境さんにアシスタントになってもらい、一緒に講座を受持った。

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【寄稿】 祖父の梅の木 =結城 文

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)さん
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

日英翻訳家



祖父の梅の木=結城文 縦書きPDF

 祖父の梅の木  結城 文 

おじいさんの梅の木が倒される日
朝早くから
ギーイッ ギーイッと尾長が鳴いた

はじめに白加賀が倒された
鬱蒼と幾重にもかさなった深緑の葉むらが消え
ぽかんと隣家の裏口までの空間があいた
根だけで二トンもあったそうな

年毎に薄紅色の花をつけた豊後梅が
次に倒される
フェンスの向こう
逆光に黒ずんだ葉むらが
痙攣するように空にゆれた
それがおじいさんの梅の木を見た最後

尾長が二羽やってきて
戸惑ったように我家の庭木にとまってた
おじいさんの野梅に
群をなしてきていた尾長たちは
その後姿をみせない
もうここに寄ってもしかたがないと知ったのだ

ひらり ひらりと水平に
青灰色の線を描いて飛んでいた尾長たちよ
お前の黒いボンネット
喪ったのは梅の木だけではなかった
尾長も鵯も椋鳥もみんな姿をみせなくなった

木がなくなって 鳥がこなくなって
ぽかっと
ひらいた空間に
まだなじめない私がのこった

【転載】<むかし外国へ渡った日本人>川上貞奴=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験があります。(作者のHPでは海外と日本のさまざまな対比を紹介)。
 周辺の社会問題にも目を向けた、幅広いエッセイを書いています。

         作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


 同HPには、<むかし外国へ渡った日本人>シリーズを展開しています。今回が14回目です。


<むかし外国へ渡った日本人>川上貞奴 サダヤッコ 久保田雅子

 1900年のパリ万国博覧会で公演、一躍パリで大人気になった日本女性がいました。

<川上貞奴 サダヤッコ>1871~1946年

 貞は日本橋の越後屋(質屋)で12番目の子として生まれました。
 7歳で芳町の芸妓置屋「浜田屋」の養女になり、やがて「貞奴」を襲名。日舞その他の芸に優れた貞奴は、芳町一番の売れっ子芸者となったのです。伊藤博文、井上薫、黒田清隆、西園寺公望などの上客が貞奴をひいきにして集まっていました。

 明治27(1894)年、貞奴(23歳)は芸者「奴」を廃業して、自由民権運動の活動家で書生芝居をしていた、川上音二郎(30歳)と結婚します。(写真右 貞奴と音二郎)
 音二郎はオッペケペ節で社会風刺をして、大流行します。やがて滑稽演劇家として川上一座を結成、新築開業しました。
 政治家としての野望を捨てられない音二郎は、国会議員に2度立候補しましたが落選。そのうえ川上座の負債が膨らみ、借金とりから逃れようと、二人はボートで築地の海岸から国外脱出?を試みますが、最終的には淡路島に漂着。一命を取り留めました。

 明治32(1899)年、政治活動をあきらめた音二郎は、新演劇芝居に専念。一座はアメリカ興行に出発します。サンフランシスコ公演で女形が死亡したため、急きょ貞奴が代役を務めて大当たりします。ところが公演の報酬を興行師に持ち逃げされて、一行は無一文になってしまいました。

 餓死寸前の状態で次の公演先シカゴにたどりつきます。死に物狂い?の演技が観客にうけて、ここで貞奴の舞と美貌が評判になりました。翌年ロンドンでの興行を経て、パリの万博会場で公演します。彫刻家ロダンは彼女に魅了されてモデルをしてほしいと申し出ますが、貞奴はロダンの名声も知らず断ります。

 パリ社交界のトップレディとなった貞奴をピカソやドビッシーも絶賛、フランス政府からは勲章が贈られました。
 明治35(1902)年1月に帰国した川上一座は、4月に再渡欧して1年間ヨロッパ各地を巡業しました。(イギリス・フランス・ベルギー・ドイツ・オーストリア・ハンガリー・ユーゴスラビア・ルーマニア・ポーランド・ロシア・イタリア・スペイン・ポルトガルなんと69街78劇場)

 帰国後は日本全国を巡業して舞台に立ちますが、まだ女優というものの価値が認められていない日本では苦労の連続でした。
 日本は長い演劇の歴史で女は女役の男性が務め、女性が舞台に立つことはなかったのです。俳優という職業も最低の身分の時代でした。
 明治40(1907)年には劇場視察と女優養成学校の研究のため渡仏。翌年には帝国女優養成所を創立しました。

  明治44(1911)年、音二郎が病死(47歳)。貞奴は彼の意志をついで公演活動を続けますが、1918年、演劇界やマスコミの攻撃についに女優引退を決意します(47歳)。大阪中座で引退興行終演後、名古屋市双葉町に移住します。

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【寄稿・詩】 夢明かりの果て = 望月苑巳

 望月苑巳さん:日本ペンクラブ会報委員会の副委員長です。現在はジャーナリスト、詩人、映画評論家として活躍されています。

詩集「ひまわりキッチン」(2011年10月10日発行)より転載
発行所 砂子屋書房

著者:望月苑巳
〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

夢明かりの果て 縦書き  PDF


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       夢明かりの果て  望月苑巳   

               
袋小路に踏み込んで
あやうく踏みくだきそうになってしまった思い出。
赤ちょうちん、ドブ板を渡る下駄の音
木洩れる奥居のかすかな天女の香
おまけに、釣瓶井戸辺の少女が、地球に話しかけている。
心の傷口に風がたわむれ
それが嫌で諸葛采の顔色をうかがい

新聞ひろげて井戸の中の蛙の棲み処を知ることになる
そんな春、印刷所の堀の向こうに
刷り上がったばかりの夕陽がはじかれていた
袋小路から順に日が暮れると
灯籠の灯りが人に媚びた鬼灯の悔いを見習う
明るすぎる夢は、目の前の卯の花が息をするせいだ。
夜半には時雨、明け方の燭光
なだらかな女の肩にも似た一日がまた始まるのだ。
夢の中では
湖のような水溜りに語りかける水鳥が
釣瓶井戸辺の少女だったことに気づく
旅の終わりに駄馬が戯れ唄を
うたうのはそのさきにせつない水が
あるのを本能的に知っていたからだろうか。

老婆に呼び止められ
すすめられたサィダアの
なんと思い出の窪みにしみ込むことか。
レントゲンには映らない心の棘が
旱魃のように広がるから
妻よ、その湖を見つめるな
湖に系図を問うな
あれは夢のなれの果て
涙のなれの果てだ。 

【寄稿・写真エッセイ】 同期のナデシコ=野本 浩一

 作者紹介・野本浩一さん:シニア大樂「写真エッセイ」講座の受講生です。
 
 1951年長崎県生まれ。1975年に三菱重工業㈱に入社し、2000年から6年間はフィリピンに駐在勤務しています。2011年9月に定年退職しました。
 ユーモアやジョーク愛好家とともに「ジョークサロン」を結成し、20年以上にわたり、笑文芸作品を持ち寄り、発表する会を楽しんでいます。
 現在はエアロビインストラクターとして活躍しています。
       


   同期のナデシコ  野本 浩一


 2013年のゴールデンウィーク明けに友人からメールが届いた。
「あと一年は勤務する積りだったが、6月末に定年退職となった。残念だが、仕方がない。貴兄が60歳で打ち切られた時の気持ちが分かる気がする。後ろ髪引かれる気持ちを早く鎮静化し、第二の定年後を迎えたい」
 と書いていた。

 久しぶりに貰ったそのメールから、悔しいとつぶやく彼の声が聞こえてきた。

 今回のメールは、いつもの飲み会の誘いに比べると長いものだった。普段の彼は愚痴っぽいことなど書ないだけに、本音が最後に書かれていたと思う。
「定年後の人生に、どんなことをすればいいか考えている。付き合うべき方々と付き合い、見聞したいものごとには素直に手を伸ばしたい。では、また」
 わたしは何度も彼からのメールを読み返した。そして、正直な気持ちを返事した。
「小生は退職後、失業保険を受給する手続きの為に、半年ほどハローワークに通った。職探しを続け、一か所だけ某財団に応募した。予想以上に長く待たされた揚句に、受け取ったのは不採用の通知だった。気持の切り替えには、数ヶ月かかった。
『団塊の下だから、仕事回って来ないよね』と言っていた。

半年程経ったあたりから自分自身の中にあったプライドは捨てて徐々に再活動を始めた。何をしたか、おいおい話す機会を作るよ。以前君に話していたエアロビは忙しくなってきた。いろんなことを試みながら、『とにかく楽しもう』、と気持ちを切り替えた」

 彼は、定年退職を迎えるのはまだ2、3年先と楽観的に考えていたのだろう。だから、今回の肩叩きでショックを受けたのだ。
 彼にはできるだけ早く気持ちを切り替えて欲しいと願っている。

 その2日後の5月10日、わたしはエアロビインストラクターの講習会に出向いた。猛特訓の末、昨年11月に講師認定試験に合格し、ほっとしたのも束の間、毎月2回の講習があり、より一層忙しくなってきた。本音を言えば、定年後にこれほどエアロビ漬けになるとは全く想像すらしていなかった。

 同期の講師合格者は9人で、男性は2人、女性が7人だ。5月10日の講習にはその9人中5人が出席した。ハードな練習の後、都合が悪い1人を除いた4人で飲んで語り合おうと、駅前にあるファミレスを目指した。

 この同期で語り、食べたり飲んだりすることがとても楽しいものになってきた。何故なのだろう。
「エアロビ教室に通い始めた頃の野本さんを思い出すと、インストラクターに合格するなんて、想像すらできなかったわ」
 と笑いながらあけすけに言う人がいる。
「我が家で、インストラクター試験の9人のビデオを見ると、生真面目に取り組む野本さんのシーンで娘たちが大笑いするのよ」
 と、さらに辛辣なことをいう人がいる。
「でも、今では一番頑張って、試験の後、どんどんレベルを上げているって、評判もあるわよ」と優しくフォローしてくれる人もいる。
 

 定年退職するまではどっぷりと浸かっていた会社生活である。それも男性だけの会合では、誰も言わなかったようなコメントをあっけらかんとにこにこ笑いながら投げかけてくる。想像を絶するお喋りや舌戦にたじたじとなり、僕は気おされてしまう。それでも、エアロビ同期との語らいの場は笑顔があふれとても楽しい。

 わたしにとって、定年後の世界は学業成績とか仕事の実績や肩書きとかが関係ない異次元の世界である。その異次元の世界に、かつての会社同期の面々よりも、いち早く溶け込まざるを得なくなった。
そこから這い上がった今は、すっきりしている。

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