寄稿・みんなの作品

【寄稿・詩】 泣かれんよ = 結 城  文

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)さん
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、
日本詩人クラブの各会員

日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

日英翻訳家


縦書き 泣かれんよ

 泣かれんよ  結城 文 


昨日から点滴が五百CCになった
そのせいか少し生気がないような母
枕に泪のしみがある

声をかけると
また泣きそうな表情

「泣かれんよ」
祖母の使ってた松山弁が
私の口からすべりでる

「泣かないで」よりも
「泣かれんよ」の方がいい
「泣かれんよ」
「泣かれんよ」 

いくらそういったって
その心もとなさは
九十五歳になってみなければ 
わからない

思わず口をついて子守唄
「ねんねんたんです ねんねんたんです 
 ねんねんたんですよぉ―」
子供にうたった子守唄

母の唇がかすかにうごく
一緒にうたっているかのように―

私は母の母になった
小さな声でまたうたう
「かーらーすぅ なぜなくのー」
「泣かれんよ」   

【転載・詩】  庭鳥のいる森 = 船越素子

「孔雀船82号」より転載です。

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。


「孔雀船82号」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳


〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

縦書き  庭鳥のいる森

写真提供:滝アヤ

 庭鳥のいる森  船越素子 

 その庭で
 くるひもくるひもまちわびていた
 ウジ虫なのか
 ミカドアゲハの幼虫なのか
 もはやアヤメも知らぬまに
 暮色うっすら
 羽化する痛みが桜色にかわる
 うっとり夢なんかみてるんじゃないよ
 取り返しがつかなくなるよ
 記憶のうしろで声がする
 胸がどきどきするくらい
 蓮っ葉なもんだから
 取り返しはつくのかと尋ねたくて
 喉の奥で ちょっと Rのかたちをまねる
 かなしみのかたちだ
 けれど異国のまねはいけないという
 ましてやまつりごとにもしたがわぬ
 あんちごねいさんのまねなんて
 腐った異国趣味だと断罪されるだろう
 それではと きざはしをのぼり かしわでをうつ
 五十鈴川に架かった橋のたもとで
 しょうすいしきってほねとかわになりたい 
 備長炭で焼かれるまえに
 尾ながく 羽白き鶏たちが
 目玉を突きに来る
 さんくちゅありいな森の向こうに
 食い尽くされるよろこびと
 食い尽くすよろこびを
 その庭で 天秤にかける日々が
 待ち焦がれている 森への道形か

【寄稿・エッセイ】 医療扶助=横川邦子

「作者紹介」

 横川邦子さんは朝日カルチャーセンター・千葉の「フォト・エッセイ教室」の受講生です。

「エッセイは他人に読ませるもの。読者の心が響く、感動作品は、つつみ隠さず、本音を書くことです」と先生に教わったので、過去(幼いころ)から秘めていた事柄を勇気をもって書いてみました、と話す。

 この夏には足関節の手術をしたばかり。写真を撮りに横浜いけないので、滝アヤさんに提供してもらいました。


              

 医療扶助  横川邦子  

             
 私が中学2年の、13歳の時、母が喀血した。大変なことになったと思った。当時、母と私は横浜の本牧緑ヶ丘の伯父の家に同居していた。居候の身だった。そして、私にも疑陽性の反応が出た。
 何とか母を入院させねばならない。
 私は誰にも相談せず、思いきって、地区の世話をする民生委員の家に行った。お寺だった。お坊さん夫婦はよく話を聞いてくれた。市役所の係りを教えてくれて、そこへ行って相談しなさいと、市電の切符までくださった。
 家から、当時桜木町にあった市役所までは八つ目くらい先まで市電に乗って行った。

 市役所では「医療扶助」を受けてもらい、入院できると言いテキパキと手続を進めてくれた。私は手作りの雑巾と花瓶敷きを差出しお礼の気持ちを伝えた。

 それから間もなく母は、横浜市金沢区にある結核専門の病院に入院できた。京浜急行谷津坂駅下車で、目の前の小さな山を登って、山頂に病院はあった。空気のきれいな所だった。母は呑気なもので、「療養俳句」なぞ作って病院内で皆と楽しく過ごしている。
 私は密かに、母を真砂女と俳人風にあだ名をつけた。見舞いに行くたびに、病院への山道を一人で登って行くのは静かな楽しみだった。ホタルブログを見つけたり、シダの葉が美しく、それらを夏休みの課題にしたりして提出した。

 それからしばらくして、通っている大島中学校に市役所の職員が何かの公演に来た。私が廊下を歩いていると、視線を感じた。見上げると、あの市役所の役人だった。目礼をした。彼はあたたかな眼差しで私を見てすれちがった。
 その年の通知表の行動の欄を見てビックリした。「年齢に不相応なほど、しっかりした考え方と行動力を持っている」と評価していた。あの役人がしゃべったのだ。他に思い当たる節はなかった。その通知表を見せる家族は誰もいなかった。私は小柄で痩せていた。子どもに見えたのだ。はずかしかった。医療扶助を受けることは恥だと思っていたのに。
  また、ある時、家庭訪問の後、他の教師が、「御親戚はいいのに」と言った。腹が立った。なぜ担任の先生は何もかもしゃべるのかと。

  近所のおばさんが「邦ちゃん、えらいわね。いつもニコニコして」と言った。別にそんな風に意識していたわけではない。どうにもならないことがあると、不退転の心情で事に当る。きっと道は開かれる。相手の目を見て本当のことをありのまま話すと決めていただけだ。数年後、私は県営住宅を申し込んで補欠に当り、直ぐそれが当選になり、入居できた。この時も、県の職員が親切だったのを覚えている。
  母は退院するときは新しい県営住宅に帰ってきた。のびのびとした開放感は忘れられない。
  家がなく親がいなくても人は生きられる。一回きりの自分の人生、どんな環境にも左右されない生き方をしたいと思った。当時の心情を表した短歌を思い出した。

    春近き海辺に友と遊ぶとき
     さびしき心ふっとよぎりぬ

    陽炎を白きノートに受け止めて
     揺れ動く様飽かずながめん

    幸福と不幸の外で思い切り
     己を高め生きてゆきたし

  私が世間に直ぐに触れた経験である。その方法しかないとき何とかなるものだという変なふてぶてしさが心のどこかにあるのかもしれない。    (了)

【転載・詩】  反転 = 北畑光男

孔雀船・Vol.82より転載


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738


反転 縦書き

 反転     北畑光男

 1
 津波の舌が盛りあがり
 のびてくる
 ぼくのこころのなかで
 不安は繊毛のように波打つ
 街は
 海の舌に呑みこまれる
 口は
 とじたりひらいたり
 壊れた街が吐き出されている
 盛りあがり街の奥に入ってくるのは
 津波の舌か
 じざいにかたちの変わる のない
 幽霊の舌か
 のびていくのは
 前ばかりではない
 横へでもななめでも
 恐怖をつれて
 弱っている方へのびていく

 2
 その日ぼくは
 息を殺して
 テレビに見入っていた
 おしよせてくる
 津波は
 舌を
 陸地へのばし
 枯れた田んぼに
 音をひそませて入っていく
 避けた舌の津波は
  でとまり
 横へ裂けてのびていく
 自動車が逃げていく
 ちがうチャンネルに切り替えるや
 壊れた家が
 崩れて流れている
 自動車はぷかぷか浮かび
 右に左に流されている
 呑みこなれた自動車や家は
 プランクトンであるか
 悲鳴を
 消化したのは津波であるか
 死と破壊を好む津波の口であるか
 みなさんすぐに逃げてください
 逃げて
 の声を呑みこみ
 屋根に逃げたひとをも
 屋根ごと呑みこみ
 高い空からみていた電波の世界は
 大きく反転し
 ぼくを
 テレビから放すのだ
 そしてぼくは思い知らされるのだ
 津波舌は 
 遠く離れた親戚の家を壊した
 積み重ねた家族の思いをもろとも壊した
 

 生い茂った草叢から
 飛び立つ小鳥をじっと見ている
 毛の無い猫
 
 お地蔵さまに耳をあてると
 読経の声がかすかに聴こえてくるのである

【転載・詩】 色彩にこだわっていた春の四連詩=尾世川正明

孔雀船・Vol.82より転載

作者:尾世川正明さん 千葉市在住
「尾世川正明詩集」(土曜日美術社出版販売刊・1400円)
    土曜日美術社:新宿区東五軒町3-10 


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。
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発行責任者:望月苑巳

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縦書き

                           写真:滝アヤ

 色彩にこだわっていた春の四連詩  尾世川正明

          *
    
生きることを休むための扉
  その扉は無地の木でつくられている
  ベンガル州の森のなかに質素な土の家があって
  その奥に扉はあった
  晴れた二月のその朝は扉の周囲に
  西インドのきよらかな光がさしこんでいた
  扉の表面は透明で翅のような光で覆われていた
  訪れた若者はその扉に魅せられると
  石でできた顔のない彫像になった

          * 

チューリップの茎
  チョーリップのハナの下は長いという
  庭で測ってみると十センチはあった
  わたしの鼻の下よりはずっと長い
  イスラムではチューリップはアッラーの象徴
  イスタンブールのモスクで
  壁のモザイクのなかを満たしている赤い花
  くりかえされるチューリップの文様
  アッラーは忙しい

          * 

扉を愛するひとのための扉
  扉を愛する人が行きつけのは
  十五世紀の貴族が作ったレンガの館
  石の壁は一つずつわずかに色が異なる桜色
  厚い木の扉は南フランのエルコラーノ・レッド
  壁に埋めこめられた窓は空を映したラビスラズリ
  向かい側もうひとつの窓にはオークルのカーテン
  それはブルージュの穏やかな一日
  2011年のイースターの朝
 
            *

銀の馬車が走る深夜
  描かれた屏風のなかで桜の花びらが舞う
  明け方までずっと床の中で目覚めている老人
  頭のなかを駆け抜ける車輪の音を聞いている
  馬車はどこからきてどこに行くのか
  墨に流し込まれた眠られぬ性欲
  曙に菜の花が咲く土手の道を過ぎ
  河口に広がる沼地のほそい道を走り過ぎて
  はるかなる避地をめざしてゆく

【転載・誌】 グラス=岩佐なを

孔雀船・Vol.82より転載

作者:岩佐なを さん 東京・千代田区在住
「岩佐なを詩集 海町」(思潮社刊・2400円)
               思潮社:新宿区市谷砂土原町3-15 


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船82号」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

グラス 縦書き


                             写真:滝アヤ

        グラス  岩佐なを         

    

     はるかかなたの夕暮れからととどく
     うすみどりがかったひかりを反射させ
     ふちをきらきら
     きらきらするふちをもったグラス
     両の手で大切ににぎる
     手のひらの広さにおさまる
     グラスの底
     手のひらのぬくもりを信じない
     グラスの底のやみからは
     樹木がそびえていて 
     枝の眼はたちまち
     つややかな葉にかわり   
     幹は風をうけて揺れいる
     背が高くなるのはメタセコイア
     背筋が痛そうな一本
     夕暮れを揺らすと
     グラスのふちから内側に
     酒が流れ落ち
     樹木が濡れてゆく
     少しして
     うつわを割った

【寄稿・写真エッセイ】 防潮堤 = 久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験があります。(作者のHPでは海外と日本のさまざまな対比を紹介)。
 周辺の社会問題にも目を向けた、幅広いエッセイを書いています。

「週末には葉山の夕日と富士山を狙っています」。その写真は毎月、ブログの巻頭・巻末で紹介されています。心の憩いになります。

         作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から

   防潮堤   久保田雅子    

 海は人の心をゆったりさせてくれる。海の好きな私が、週末を過ごす葉山町へ越してきたのは10年前だ。それまでは横須賀市佐島だった。
 佐島のマンションへ入居して間もない頃、目の前の海で工事が始まった。大きなテトラポットが、岸から50mぐらい先の海に次々と積まれていく。
(何のためだろう? 防波堤はすでに海沿いの道路にできているのに…)
 横須賀市役所に電話で問い合わせてみた。あいまいな返答で電話はたらいまわしの末、担当者が留守ということで終わった。

 翌週、魚のイラストつきで「魚の棲家を作ります。横須賀市」という看板が立てられた。
(なんのこと?)
 海にはテトラポットが積まれて、湾内が2つに分断され、カモメの溜まり場になった。
(カモメのための魚の棲家だった?)


(写真左・テトラポット 右・湘南サニーサイドマリーナ)

 しばらくすると、海辺の敷地で工事が始まった。マンションの管理人に訊ねてみると、ヨットハーバーの建設だった。横須賀市役所専属?の港湾工事土木建設会社の社長がオーナーだという。彼はまず横須賀市からの受注で、テトラポット工事を行った。のちに自分が管理、係留する舟艇が、台風でも波をかぶらないようにするためのものだったのだ。

 やがてハーバーオフィスの建物が完成して、陸揚げされたヨットが並び、海は全く見えなくなった。私はあきらめて葉山への引越を決めた。

 いま、東北沿岸(福島、宮城、岩手県)の巨大防潮堤の工事計画が進行中だ。
(私は佐島での経験から、他人事ではなく気になってしかたがない…)

 毎日海を見て暮らしてきた人々が、これからは高いコンクリートの壁を見て暮らす事になる。東北の美しい海岸の風景は失われて、海の見えない海辺の町になるのだ。痛ましい。

(私のように、いやなら引越とはいかないだろう)

 漁業で暮らす人たちは、朝起きたらすぐに海の様子を見たいはずだ。
 観光はどうなるのだろう…。

「北海道南西沖地震」から20年目の奥尻島では、防潮堤ができてから、海産物が半減してしまった。山から、腐葉土の栄養を凝縮した、海の生物に不可欠な表層地下水が、防潮堤にさえぎられて海に注がれなくなったことが原因だ。
 海はアワビやウニどころか海藻も育たない、白い石ころだらけの海底(磯焼け)になってしまった。山と海は一体だったのだ。
 防潮堤工事のころは復興景気でにぎやかだった島も、いまは人口が減少して、復興時の多額の負債に苦しんでいる。

 東北沿岸の防潮堤計画は、奥尻島を参考に熟慮して欲しい。東北の人々はおとなしい。地元のつながりも深く、反対意見は言いにくい。
 海が見えなくなり、海産物が減少したら住民はどうなるのだろう。精神的、経済的な痛手は、今はまだ見えないけれど心配だ。

(横須賀市のような、不思議な港湾工事会社の存在も気がかりだ。彼らは裏に廻ると住民より強い)

 気仙沼市舞根(もうね)では、住民が「海と共にくらしたい」との理由で、防潮堤計画を撤回させた。(拍手)

【寄稿・詩】 セントラルパークの天の池 = 結城 文

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)さん
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

日英翻訳家


セントラルパークの天の池 縦書き


 セントラルパークの天の池  結城 文

            

セントラルパークのゆりの木四本が囲む
楕円の天の池
まだ完全に大きくなっていない嫩(わか)葉(ば)が
レエスのように縁どる
薄青の池
何かが
そこから
宇宙にむかって昇天してゆく――

日常生活では
下を向いていることの多い首を
精一杯伸ばして
その池を見あげる
緑の木立の向こうは車の往来
クランクションや走行音が
思いのほか近い

緑の窪みの木蔭には
乳母車の親子
思い出話の老夫婦
リモートコントローラーで
玩具の白帆を走らせる若い男女

アフガニスタンへ
イラクへ
いまだ派兵している国とはとても思えない
けれど さほど遠くない
タイムズスクエアでは昨日
爆発騒ぎがあったばかり

太平洋をわたって
十数年ぶりにここへきて見あげる
希薄さの――
とりとめもない天の池
 
嫩(わか)葉(ば)がレエスのようにさざめき
一葉が風を捉えるとそれが次の葉に移り
やがて一枝の揺れは木全体の揺れになる
私の生の
貴重な幕間(インタバル)
セントラルパークの天の池

【寄稿・推薦図書】 アンナ・カレーニナの法則=三ツ橋よしみ

『作者紹介」  三ツ橋よしみさん:薬剤師です。目黒学園カルチャースクール「フォト・エッセイ」の受講生です。

 東京近郊の「田舎暮らし」がはじまりました。いまは見るもの聞くものが新鮮だそうです。読書好きで、田舎暮らしに、読書とは贅沢ですね。



  アンナ・カレーニナの法則 三ツ橋よしみ   

                    
 歴史学者、ジャレド・ダイヤモンド博士の著書「銃・病原菌・鉄」(発行:草思社 倉骨 彰訳)は、ピューリッツァ―賞を受賞し、2010年に、朝日新聞「ゼロ年代の50冊」の第1位となり話題になった。
 昨年には文庫本化されたが、上下巻あわせて800ページに及ぶ大著だ。手に入れたものの、なかなかスラスラと読みすすめない。

 この夏の暑さに外出を控え時間ができたので、ようやく上下巻を読み終えることができた。


 ヨーロッパ大陸には多数の文明国が存在する。一方、オーストラリア大陸や南米大陸、アフリカ大陸の先住民族は、文字を持たず、近代文明を発展させることができなかった。アメリカ先住民やインカ帝国は、旧大陸からの移住者たちに、やすやすと征服されてしまった。

 なぜヨーロッパは文明化され、旧大陸は、文明化されなかったのだろうか。

 そんな世界史の疑問を、生物地理学者のダイヤモンド博士が、生物学、人類学、地理学、言語学などの知識を駆使し、といていく。知的興奮に満ちた本だった。
 約700万年前に、人類は、類人猿から枝分かれした。長いこと狩猟採集生活をしていたが、1万1000年前に、野生動物を飼いならし、植物を栽培するようになった。
 ヤリをもって獲物を追いかける暮らしから、定住し家畜や作物を食べる暮らしに変わった。多くの人々が養えるようになり、人は集まって住むようになった。食糧生産をするようになった人々は、技術を発展させ、人口を増やしていった。


 第9章は「なぜシマウマは家畜にならなかったか」というサブタイトルだ。章はこんな文からはじまる。
 「家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである」と展開する。

「おや、どこかで聞いたことがあるような?」
 そうです。お気づきの通りこの一文は、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の有名な書き出し「幸福な家庭は似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸の内容が異なるものである」をもじっているのだ。
「アンナ・カレーニナの法則」ねえ。わたしは、初めてききましたよ。

 なるほど、「幸福な家庭」では、必要不可欠な多くの要素、たとえば愛、経済、親戚関係、性格、宗教、価値観などで、夫婦の意見が一致しているか、まあまあ一致していなければならない。そして、そのうちのいくつかが欠けた場合に「不幸な家庭」ができるというわけである。

 それじゃあ、ダイヤモンド博士のいう「家畜化できる動物」とは何か。

 馬、牛、羊などの大型哺乳類をさす。家畜化できる動物を、大陸内に持っていた国々は、農耕作業をさせ、輸送手段にし、肉や乳製品を手に入れ、経済発展を遂げていく。
 一方、アフリカ大陸のシマウマは、気が荒く、近づく人間は蹴飛ばしてしまう。家畜にならない動物なのだ。アフリカ大陸には、人間生活に役立つ働き者の動物が存在しなかった。それがアフリカの経済発展をさまたげる一因ともなったという。
 様々な要因を重ね、世界の「地域格差」が広がっていった。

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【寄稿 詩】  夜間飛行 = 結城 文 

作者紹介=結城 文(ゆうき あや)さん
 
日本ペンクラブ(電子文藝館委員)
日本比較文学会、
埼玉詩人会、日本詩人クラブの各会員
日本歌人クラブ発行
『タンカジャーナル』編集長

日英翻訳家



夜間飛行 結城 文


 夜間飛行  結城 文 

            

零時五分発成田行き
まどろむともなく目を閉じていたが
眠れぬままに機窓を覗く

稲妻のように赤い光が
一定の間隔をもって 
翼に閃く
地上で見るよりたくさんの大きな星が
みずみずしい光をもってきらめく
地上のオレンジ色の灯
点々と小さな灯をともして
そこにかしこに人は暮らしているのか――

ともす灯のまばらなところをすぎて
都市の在り処をしめすか
豪華絢爛にちりばめたトパーズのビーズ
光のなにも見えない暗黒は海

機窓の右手上方 やや明るんだ空が見え
一筋さっと刷いた薄紅
東方からのわずかな光をうけ
彫刻家の奔放なオブジェのような
雲の林
東天の薄紅は赤みをまし
次第に空は白みはじめる
星はつねに同じ位置に輝いているのだが
見下ろす地上は暗黒になったり
トパーズの明かりになったり
つつましいひとつひとつの灯の点在になったり

天に流れているのは
あるかなきかの移ろいの時間
地に流れているのは
目まぐるしい移ろいの時間

狭い機窓のなか 
錯綜し流れる
広大な空間と時間――
恍として
闇と光の饗宴のなかを漂う

ジャーナリスト
小説家
カメラマン
登山家
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