3重苦だった。まだある?

旅もいよいよ終わりだ。やっと空港へ到着した。何かしら嫌な予感がある。いつもなら、「やっと、帰って
きたぞ」という安堵感もあった。
今回は、全然違う。このままですみそうにない。「夫が、倒れたり、目がいたくなったり、熱があったりと、いろいろあったからなあ」と合点がいく。「こんな風にいろいろアクシデントのある旅もあるさ」と開き直る。
写真:大西洋をながめる
思い起こせば、飛行機に乗って、すぐ倒れた。風邪をひいていたせいか、旅の間、微熱が続いた。サハラ砂漠では、
「砂が目に入った。目がいたい、いたい」
「なんで、あなただけ、メガネをかけているのに。私やほかの人は、全然平気なのに。運が悪いなあ」
他にも、2~3人いたことを、後で知る。夫にとって、この旅は3重苦であった。ただ、食事がおいしく食べられたのが、唯一の救いだった。おかげで、なんとか旅を続けることができた。

帰国後
翌日、近隣の医者へ行く。「すぐ横浜労災病院へ行って,しっかり、見てもらってください」と、神経内科を紹介された。
神経内科へ行き、MRIを撮った結果、硬膜下血腫が左右にできていることが判明した。「急を要することではないので、しばらく、手術が必要かどうか、様子をみましょう。急ぎの場合は、この面談表を持って、緊急外来へ来てください」と、その旨の書類を持って帰ってきた。
二人で、「よかった、よかった。たいしたことでなくて」と、ほっとする。
一か月は何事もなく、無事経過した。その間、夫は労災へ行き、CTを撮ったりと、経過観察していた。ある朝、二人でいつも通りウオーキングへでかけた。
夫の歩き方がおかしい。右肩が下がり、歩く速度も常に比べると、のろのろと遅い。その日の午後、出かける用事があった。駅の階段を上ったり、下りたりするのに、手すりをもっている。
「まるで別人みたい。普段は階段を一段おきに登っているのに」
その翌日
「すぐ病院へ行った方がいいよ」
「そうだな。自分でも足が重く、もつれる感じがするんだよ」
とすぐ労災病院へ、朝早めに出かけた。
「緊急の場合、携帯に電話してね。午後には帰っているから」
と夫を送りだす。その日、私は仕事だった。
緊急事態発生
午後の英語のクラスが終わり、帰宅し、留守電を聞く。何か入っているが、雑音でよく聞き取れない。夫は携帯を持たないので、仕方がないとあきらめた。
その後、TV番組を見たりして、しばらく所在無げに、夕方まで過ごす。帰宅が遅いのも気になり、念のため、留守電をもう一度聞きなおすと、新しいメッセージが入っていた。
「1時半ごろに、緊急入院されましたので、病院へお越しください」
「えっ、入院だって。たしか病院へは、朝早めに行ってるはずだから、途中で倒れて、運びこまれたりしてないよなあ」
と急に不安を覚え、急いで病院へかけつける。
時間はすでに夕方6時ごろである。
病室へ到着すると、夫は常と変らない様子で、のんびりとベッドに横になっているではないか。ほっとして、
「どうしたのよ」
と当日の経過を聞く。
診察を受けると、金曜日当日、すぐ入院となり、31日、月曜日が手術ということになったらしい。
「ここへ来るまで、心配したのよ。状況がわからないから」
「うん、俺もびっくりしたよ」とこともなげに言う。
「急いで、タクシーでかけつけ、気が気じゃあなかったのに」と少し、ほっとした。
いよいよ手術日がきた
当日、わたしは、少し早めに自宅を出る。手術というのは、どんな場合も、医者の失敗もあるし、不慮の事故もある。心配だ。
これ程、待つのがいやな時間はない。
2時間ほどで、頭に包帯をまいて、夫が病室に戻ってきた。
医者の説明を聞き、何ごともなく、よかったなあと安堵する。手術日は、一日動けず、ベットで、寝たままである。「腰が痛い」と、時々看護師さんに、位置を変えてもらう。
「今日は、一日付き添ってください」
というお達しがあった。昼頃に戻ってきたので、夕方に、「もう帰ります」と伝えると、
「えっ、そんなに早くに帰るんですか」
という気配を察したので、もうしばらく残ることにした。病院は人手不足なので、術後の世話が大変らしく、家族にできるだけ、長くいてもらいたいらしい。
翌日、4月1日の午後、病院へ行くと、元気そうで、朝食も食べたとのことである。これで大丈夫と、ほっとする。順調に回復しているようだ。4月8日に退院の運びとなる。12日間の入院だった。

退院後、しばらくは、なにごとをするのも、ゆっくりと行う。モロッコの話題なども、楽しくなってきた。
約一か月が経過して、家事も元通りにこなせてきた。私も助かる。待望のゴルフへ出かけた。「ドライバーが飛ばないなあ。パットもうまく入らない」と、夫はがっくりしていた。
「やっぱり、しばらくやらないと、アプローチの感じもでないよ」
とため息まじりにつぶやく。その一週間後、妹夫婦と、千葉までゴルフにでかけた。ショットもアプローチも、何とか75%くらいまでもどり、互いにほっとする。
これで2月のモロッコの旅から、やっと、開放された。