寄稿・みんなの作品

【寄稿・詩】 旗 = 平岡 けいこ

『作者・紹介』 平岡けいこ さん 兵庫県出身

中学生の頃から日記代わりに独学で詩作を始める 。

1991年 詩集『わたしの窓から』私家版
1995年 詩集『未完成な週末』近代文藝社
        第4回 コスモス文学出版文化賞
2004年 詩画集『誕生〜ぼくはあす、不可思議な花を植え 愛、と名づける〜』美研インターナショナル/
       星雲社 第4回中国詩人賞

2010年 詩集『幻肢痛』砂子屋書房

日本現代詩人会 関西詩人協会 兵庫県現代詩協会 所属 詩誌「孔雀船」同人

    
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 旗 = 平岡 けいこ 


両腕を振り上げ
力の限りポールを突き刺す
大地に雄々しくはためく
ここまで来た証明

たどり着いた証に
人は旗を立てるのだろうか
人生の淵に
神々しく揺れる旗に
きみは何を描くだろう

月面に立てた星条旗は
強烈な紫外線を受け
白旗となり今も在るのか
答えは月が知っている

存在は持続することで緩やかに朽ちてゆく
永遠などないこの世界では
誰もが一瞬で消え果てるのだ

だからここにいることを
ここにいたことを
私は示す
精一杯の力を振り絞って
旗を振る
きみを鼓舞する旗が見えるか
歓声はきみの鼓膜を震わせるか
ここがゴールだと
導くために旗はあるのか

ここが頂点
険しい山を制覇した証
後に続く人たちへの目印

高く両腕を振り上げて
私は命の旗を立てる
ここが始まり
終わりは未だ見えない

【小説・3回連載】 二十八才の頃(3) 《火》 = 外狩雅巳

『作者の作風』

 外狩雅巳(とがり まさみ)さん

 外狩雅巳が重要視し、高い評価をする近代文学のプロレタリア文学(たとえば小林多喜二「蟹工船」)などは、タコ部屋の労働者であり、食事や睡眠も満足に得られない資本家の奴隷であった。

 時間拘束が生活全体に及び、労働者の全てが商品として買い取られてしまう。

 労働の商品化であり、廃人化により、その商品の再生はできず劣化する。もし、この状態が現在までも続いていたら、プロレタリア革命は起きていたかもしれない。(北一郎・文芸批評家より)

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小説・二十八才の頃 (3) 《火》  外狩雅巳 


 街が沸き立っている。師走の風に浮かれている。ホームから見渡す東京の夕景色が明の気持とは無関係にざわめき立っている。人の波がいくつも続く大通りの交差点。そこから四方に延びる商店街は祭りの時のように灯があふれ人があふれ出ている。そしてその向うに東京タワーがそびえている。全体を飾るイルミネーションがまばゆい。その灯を見ると急になつかしさがこみ上げて来た。

 洋子とあそこに登ったのはいつの頃だったろう。二十歳の日々が突然に胸をつき上げて想い出されてくる。日本海いっぱいまで山並みが迫ったそこにある東北の小さな寒村からの精一杯の脱出。母も父も駅に見送ってくれなかった。少女の暗く感動の少ない生い立ちの記を、それでも胸いっぱいの喜びで聞けたあの日々。短い恋の始まりの頃がやるせなくよみがえって来る。

 電車が入って来た時になって急に腹の様子がおかしくなった。日中も大分便意を催してはいたが、その時は仕事に追いまくられていて一分延ばしに耐えているうち、いつの間にかおさまってしまった。
 そしてそのまま昼食もせず時をわすれて機械と格闘しているうちに終業になっていた。なぜあの時ゆかなかったのだ。それが今頃になってこの強烈な便意はどうしたというのだ。

 ひとつ駅は何とか持ちこたえた。でも二つ目の駅でもう辛抱出来ずに電車を降りてしまった。たまらない便意だ。腹の中がどうにかなっているのだろうか。そうだ、あの店で食べたレバーの刺し身にちがいない、それにあのラーメンも原因かもしれない。昨夜ラーメンを吐いていた光二。あの時いっしょになって吐き戻してしまえば良かったのだ。そうだ、今朝だって光二のよう半裸になってバーベルでも持ち上げて汗と一緒に全部出してしまえばよかったのに…。あの若さが明にはなかったのだ。

 秒刻みで便意は激しさを増してくる。尻の穴に全神経を集中して強く閉じる。それでもしゃがみ込んでしまいそうだ。もうどうにも駄目だ。呼吸が早く切なくなって来た。目が見えない、物がかすれて見える。
 一歩の為にあらゆる努力をする。ここは何としても駅の便所までたどり着かなければいけない。工場のあのボロボロの便所がこれほどまでになつかしいとは。柔らかなその中味が漏れ出してしまわないように尻を動かさぬようにして注意深く足先だけを小さく開いて一歩、また一歩階段を便所に向かって時
間をかけながら近づく。

 そして、そこの清掃中の立て札と入り口を閉じている木の柵の前でもうどうにもたまらず腰を降ろしてしまう。目の前がまっ暗になってしまう、脂汗が額と腋の下にじっとり出ている。

 一歩、また一歩ごとに立ち停まり全身をあえがせて荒い息を繰り返す。息を整えると、また次の一歩を慎重に出す。駅前広場の無限にも感じる長さ。パチンコ店まであと十メートル。自転車の老女が前をよろけて横切る。左折しようとして出会い頭にバイクと向き合って急ブレーキをかける。荷台が明の腰をかすめる、思わず出しかけた足をとめる。よろよろと後方へ倒れかけてその場へ腰を落とした。その時漏れた。わずか、わずかだが汁が漏れてしまった。

 あと五メートル。三メートル。あと一メートル。ドアを押そうとして中から飛び出して来た男に手をふりほどかれて、またよろけた。そしてまた漏れてしまう。どうしょうもなく漏れてしまう。

 街を歩く若い女達の胸に腰に視線が走る。充血した目が何かを求めている。完全に頭に来ている。
 服の中で張り出した胸の先に浮き上がっている乳首が見えるほど視線が狂暴になって来る。顔、胸、腰、足と一人一人をなめつくすように品定めする。今の明には見る事しか出来ないのだ。一文無しの上にズボンの下にはブリーフまでなくなっているのだ。

『月々に月見る月は多けれど、便所の窓から見る月は、これぞまことの運の月』
 便所の落書きのとおりにその小窓からは寒々とした白くて丸い冬の月が良く見えた。まるで今の明の身のさだめを笑っているかのように見下ろしている。
「クソウ、月まで俺をバカにしくさって」
 汚物の滲んだ下着をそのまま便所の落書きにゴシゴシとなすり付けて捨てた。本当なら窓から月に向けて投げ付けてやりたい気持である。不幸な男の心をもて遊ぶようなこの落書きと月の出。なんで便所にも行かずメシも食わずに働き続けた俺をこんな風にからかうんだ。掘立小屋のようなボロボロ工場の工員だからといってバカにするな、俺は、俺はミクロの技師だ。

 そのパチンコ屋のトイレに落として来たのだろうか。それともあの自転車の婆さんに轢かれそうになった時よろけてしゃがみ込んだのがいけなかったのか。まさか電車の中で尻の穴ばかり気を配っていてスラれてしまったのだろうか。確か三十二万と六千円入っていたはずだ、あの茶封筒の中には。

 十二月分の給料とボーナスのほとんどすべてだ。八十なん時間も残業した俺の汗と涙のあれがすべてだというのに。

 ズボンのポケットに入れたままにしておいたのがいけなかった。普通は数千円しか持っていない。
 だから裸の札と硬貨をそのままポケットに入れて生活していた。しかし三十万円は大金である。おのれの不注意としか言いようがない。ハイライト買った時の釣銭の小銭しかポケットにない。気がついたのはもう大分飲んでしまっていた後だった。

 パチンコ店のトイレを出て気分直しに隣の大衆酒場で一杯引っかけようと入った。煮込みとか湯豆腐とかを何品かをたいらげてひと息入れようとライターをさぐった時に気がついた。右になければと左ポケットも探し、上着のポケットも内ポケットもとせわしなく手を入れて見た。そうしてもう一度全部のポケットの中身をテーブルの上に並べた。スーッと気が遠くなるような絶望感。今度は立ち上がってさらに何度でも同じポケットをひっくり返して体中をさぐり廻して駆け出しそうな表情になっていた。

 洗いざらい小銭をはたいて、それでもまだ二十円ほど足りなかった。レジで三名の店員に囲まれながら必死になって言い訳を繰り返し一人一人に米搗きバッタのように頭を下げて回ったあの時のみじめな
気分。殴られて外に放り出されていた方がまだましだ。ドジな自分につくづくあいそがつきた。

 多分無駄だろうとは思っていたが、二度、三度、四度も足取りを思い出しながら夜更けまで駅前をさまよった。揚句にいくらかあきらめがついた。そう言えば三年程前も給料日にこんな事があった。

 一本電車を待てば良いのにそれが出来ず駅の中を走って、それでも乗り損なった上に十万円の入った紙袋と部屋の鍵を落としてしまった。あの時は、会社で次の月の給料の一部を前借りする事が出来たが、今度は年末年始の休みに入ってしまっている。光二の処にまで借りにゆくしかない。

 駅へ向かう人の波に背を向けて歩いて帰る。皆浮かれている、歌など合唱しているグループすらある。どいつもこいつもきっと俺の倍以上のボーナスを取っているのだろう。行き交う女達の胸の盛り上り。尻の丸み。そればかりが目につく。俺は金ばかりか洋子すら失ってしまったというのに、クソオ、いっそ抱きすくめて押し倒してしまおうか。
 捨て鉢な気分に浸りながら通りを抜ける。河が見えて来た。あの向う岸に明のねぐらがあるのだ。
 暗い中にせんべい布団がひとつ。十二月に入って一度もたたまず床の掃除すらしていない。それでも唯一明のねぐらがあるのだ。

 橋の中間から見える二つの大都会の夜景。その上をサーチライトが長い光を照射しながら回転してゆく。まるで燃えているかのように無数の灯をきらめかせている。眠らない夜の都会。町並とまばゆい光の夜景がどこまでも広がって続いている。
 対照的にまっ黒な河口から続く海。見渡しても何も見えない黒い海の向こうから次々と吹き付けて来る寒い木枯し。

 川口の砂洲に乗りあげたままのあの船が強くあおられてゆれている。支えのない船が砂の上で右に左に大きくゆれている。その上の岸のその向こうに密集する家々の窓にともる明るい灯。
 どの家庭にもあと二日でまちがいなく正月がやって来るのだ。そうだ俺にだって来年がくるのだ。しかしその来年に俺はどんな希望があるというのだ。いや今の俺には人並みの正月すらないのだ。

 吹き付ける風をまともに受けた時ジャリッと砂を噛んだ。こみ上げて来る不快感。グルルっと下腹が泣いている。今日はどうも駄目だ。消化しきれなかった豚の内臓とか昆布の切れ端とか野菜の繊維質の部分だけだとかが胃液と酒とゴタゴタに混ざり合って胸から口に逆流してくる。口の中に吐き戻された不快な液体に大きくむせ返る。

 たまらず口からあふれるそのにがみかかった咀嚼物入りの液体を海に向かってぶちまける。次々と腹の底からわき上がってくるアルコール混じりの未消化なドロドロの流動物体がたちまち口の中に広がる。吐いても吐いても限りなく出てくる。いや、気分だけが続いている。目まいのするような吐き気がまだまだ続く。

 身を乗り出して河の上にしゃがみ込んでいる。丸く白い月の姿が流れに浮いていた。吸い込まれゆくような水の流れ。かすんでゆく意識の底をリズムが流れている。どこからかテレビの歌謡曲でも風に乗って来たのだろうか。途切れ途切れにかすかに続いている。そうだあれは森進一の『新宿港町』だ。なぜかそんな事だけが妙に気になってしまう。秋の工場の旅行で光二が歌ったのはあの曲だ。ところで俺は何を歌ったっけ。

 手すりを伝いながらようやくまた歩き出す。もう曲は終っている。静まった海の闇からの風がまた砂を吹き付けて来た。岸辺の家々の灯がひとつずつ消えてゆく。もう足元の川の流れも見えない。闇に沈んでゆく大都会。見上げると冬の星達の耀きが、丸い月の白い明るさが、いっそうはっきりと夜空を飾っていた。

 ようやく渡り終えた橋のたもとに腰を下ろして一息入れる。飲み食いした物は全部吐き出してしまった
ので大分体がスッキリして来た。だがその分一気に眠気が襲って来た。ねむい、ねむい。たまらない眠さだ。胃も頭の中も空っぽになって、体ごと浮き上がって行ってしまいたいような気分だ。何も考えたくない。張りつめていた一ヶ月間の気力が完全に抜けてしまっている。

 働き続けてほとんどまともに寝ないでがんばって来たこの一ヶ月間。特にここ数日はろくろく昼飯も食っていない。立ち通しで機械と格闘していたのだ。

 そうやってまでして手にいれた三十万円も落とした。パンツも捨てた。運がつきた。体中のすべてを吐き捨てた、もう俺には何も残っていない。

 金もない、夢もない、残ったのは疲労と失望だけ。このままここで眠り込んでしまいたい明だった。
 あと少しでアパートの部屋に帰り着ける。眠気を振り払おうとハイライトを一本出してライターを点火する。そのボウッと明るくなった空気の向こう、街並のはるか先のアパートの二階。ライターの炎の中で浮かび上がったその部屋のあかり。思わず瞳をこらす。確かにそれは明の部屋だ。俺は今起きているんだろうな。夢を見てるんじゃないだろうな。

 あの頃はそうやって明の帰りを待っていてくれた洋子。再会のあと洋子の態度は積極的だった。二十四才といえばもう何もかもわかっている年齢なのだろう。やがて当り前のように明のアパートへ来るようになった。
「会社に電話してもいいかしら。先に部屋に入ってる夜は…。そうしたらゆっくり残業してこれるでしょ」
 来れば部屋を片付けて気のきいた夜食等を並べてくれる。そして小さな乾杯と二人だけで持つとりとめもない話。ひとつしかない明の夜具に身を寄せ合って朝を迎える幸福。そんな時の会話だった。
「いやいいよ。仕事中に電話は困るよ。こちらから掛けるから。鍵貸してあるんだから勝手に入ってろよ」
 やはり言えなかった。あの掘立小屋と洋子に知らせている額よりも大分少ない本当の収入を正直には云えることが出来なかった。

 機会を見て大工場の会社に転職してしまおうか。それとも今の工場を知らせるべきなのだろか。日が過ぎる中で明は自分の胸の中とだけ同じ質問を繰り返していた。「母さん。俺、結婚するからね」
 郷里の母への電話の中でついつい気持ちを打ち明けてしまった。洋子との日々で大分散財してしまった。それは母からの送金で埋めるしかない。口実ではなく本気に明は洋子との未来を考えていた。

 ただただ夢見心地で過ぎてしまったその後の数ヶ月。不意に思い立って夜訪ねて来ると、万年床を上げて部屋を片付け、湯を沸かし手料理を並べて、何時間でも明の帰りを待っていてくれた。
 駅を出て、疲れ切った身体を引きずるように帰る夜、角を曲がって突然に自分の部屋の電灯がついているのを見つけた時の喜び。この数ヶ月に何度あったろうか。それ程にわずかの短い二人だけの期間。
 冬になる直前、前ぶれもなく洋子が消えた。

 いや考えれば思い当たる事が次々に出てくる。今まで一度もなかった明への工場への外からの電話。
 それはしかし明が受話器を握った時は切れていた。取り次いだ事務所の男は、相手は名乗らなかったが若い女の声だといってニヤニヤしていた。秋の頃のことだと思う。

 そうだ二万円借りたままだった。あの月末、またまた金欠病になってしまった明は思い余って洋子をだました。職場の後輩の急病に五万円程貸してやる必要がある、いま急な事で一万円程足りないのだが、と話を持ちかけた時、洋子は二万円を渡してくれた。あの時の目の暗さを今にして思う。でもその時の明にはそれが読めなかった。

 そして最後になってしまったあの夜。洋子は何かを決心して来たのだろう。明のアパートに来る事をかたくなに拒んでいた。あの夜洋子は何を話そうとしていたのだろう。酒の中にすべてを沈めて二人で飲み回った夜の街角。行き着いた先の安宿のベッド。驚くほど乱れたあの夜の洋子の声と姿態。今でもはっきりと明の中に残っている。

 洋子から何を打ち明けられるのが怖かったのだろう。薄々感づいていた明のごまかし。それを洋子はどの程度の事として考えていたのだろう。

 そして結局、何ひとつ話さず洋子は消えた。職場に電話を入れても退職した者の行方など知らないと取り付く島もない。郷里に帰ってしまったのだろうか。寮を出て職場を去ったその先はどうしてもわからない。

 何もなくなってしまった明の心の中は涙で一杯になっていた。オモチャを取り上げられた明。無力感をどうする事も出来ないまま、連日の深夜残業の中で狂暴さだけを大きく、大きくつのらせて来ていたのだ。光二の若さにすら抑えようのない怒りが沸き起ることがあった。機械を回しているその時だけが何もかもわすれられる時なのに、そこにすら職長の言葉が追い討ちをかけて来るのだった。

 本当に洋子が来ているのだ。いやそうだ。絶対にそうだ。それしかない。それ以外考えてはいけない。こんな夜だからこそ、行く着く処まで落ち込んだこんな夜だからこそ絶対に最後の逆転があるはずだ。
 俺はミクロの技師だ。俺の削った鉄は砂粒ひとつ分の狂いもないはずだ。工作機械一筋、この十年間、誰よりも良く働いたじゃあないか。掘立小屋で夜中まで太陽の光すら見ずに油と汗にまみれて俺は、俺はひたすら一心に鉄を削って来たのだ。

 気がつけば、もう三十路が手に届く処に来ている。働き始めた十五歳の日から苦学を重ねて来たのだ。かならず俺の青春は今こそ最期の最期で耀く事になっている。そうにちがいない。あれだけ仕事も出来て真面目な俺が報われるのは当たり前ではないか。

 中天から少し斜め下にある満月に照らされた明の体がピョコンと跳ね上がった。そして思いっきり駆け出した後姿が月の光の中で遠ざかってゆく。
 砂の舞う産業道路へ曲がった時ふっと消えた。
 その一瞬。月光の下で二十八才の男の全身が火のように燃えて輝いた。
                           

                                       (了)

【寄稿・エッセイ】 茗荷に勲章 = 遠矢 慶子

 朝、新聞を取りに玄関を出た。
 玄関脇の垣根に、紺碧の朝顔が、大きな緑の葉の間から、競争するかのようにあちこちから顔を出し、15、6個も咲いている。友人にもらった5株で、めずらしい色と形で、花弁の外側が普通の朝顔のように白くぼやけていない。暑い夏の雰囲気を清々しく彩っている。

 庭は好きだが、庭仕事は苦手だ。特に夏の庭の手入れは頭痛のタネだ。藪蚊がひどい。七月初めに刈った草が、1か月でまた伸び放題になり、ヤブガラシ、カラスウリのつるが生垣を覆っている。レンガとレンガの隙間からさえも雑草がしつこく出てくる。

 私は「自然が好きだ」と都合のよいことを言っているが、実は自然派というよりほったらかし派と言うべきかもしれない。
 庭の奥の日の当たらないところに、茗荷の葉が群生している。
 まだ朝露でぬれているが、左右にのびた元気な葉をかき分け、茗荷を探す。
「あった。あった」
 湿った枯葉の間から、透き通るようなクリーム色の蘭に似た小さな花が、えび茶の苞からひょいととび出し、ぶら下がっている。掘り出すように抜くと、白い茎というか根が伸び、茗荷そのものは、中が少しふぬけになっていた。

 子供の頃は茗荷が大嫌いだった。
 家の北側の汲み取り便所の横の暗い所に葉が茂っていた。そんな陰気な汚い場所に生えている茗荷なんて食べなかった。
 その上、茗荷を食べるとバカになると言われていた。
「昔、欲張りな宿屋のおやじがいた。金持ちそうな旅人が泊まると、沢山の茗荷を食べさせ、何か良い忘れ物をしてくれないかと思っていた。ところが大勢の客は、宿の勘定を忘れて帰ってしまった」
欲張りは、こんな天罰があるという落語の落ちだと記憶する。

 本当に茗荷には、バカになる成分があるのだろうか?最近は言わなくなって、むしろ高級食材として大事に扱われている。
 生涯パリで過ごした巨匠、藤田嗣治画伯が、日本の食べ物で一番欲しい物は、紫蘇と茗荷と三つ葉だと言っていた。確かに外国にはない。日本人の繊細な神経を刺激し、香りと味がいっそう食欲を増す食物だ。
 世間ではバカになるとか、アホになるとかの噂の中で、自己をガンコに守り通して、黙って日当たりの悪い所で、滋味を一身に引き受けている。
 夏の野菜として勲章をあげたいような存在だ。 


 お昼に、夫のゆでたソーメンに、私はたっぷりと茗荷と紫蘇を刻んで添えた。

 夕方、庭の水やりを、夫がめずらしくしてくれた。
 ホースで庭木の上から、草花の花の上から、何もかも上から水をかけまくっている。その上、焼石に水というべきレンガ敷きのところに、水をまき散らし、水はレンガにどんどん吸い込まれるばかりだ。
「そんな水のやりかたでは何にもなりませんよ。根元の土と、植木鉢に水をあげて下さいな」と注意する。
「分かっている! バカ! 」
 と夫はのたもうた。
(バカと言った人がバカな人)
 と子供のけんかの時言ったことを思い出した。
 昼食に食べたたっぷりの茗荷で、夫はバカになったのか。恐ろしい。

【寄稿・エッセイ】 ゴーヤ = 和田 譲次

 この夏も我が家の庭ではゴーヤが大豊作で、家内はご近所あちこちに配ってあるいたが、それでも処分しきれなかった。
 省エネを意識するようになり、陽ざしの強い窓辺に生育が早いゴーヤの苗を植えてみた。二か月足らずで1間のガラス戸が緑で覆われるほど成長する。暑さとともに実もつき、日に日におおきくなる。食用が目的ではないが、家内が沖縄料理店で食べたゴーヤチャンプルを思い出し家で調理してみた。美味しくもないが、暑いときには苦みが心地よく感じる。

 私がこの食べ物に出合ったのは30年ぐらい前で、大手業界紙の小倉編集長との会食の場であった。小倉さんは鹿児島出身、薩摩料理の店に案内された。
 豚の角煮、きびなごの酢味噌あえ、薩摩揚げなど定番の料理の中にグロテスクな胡瓜に似た野菜を炒めたひと皿がある。
「これは、にが瓜で沖縄や私の故郷の名物です、東京では滅多に食べられないので、時々無性に食べたくなります」
 小倉さんは美味しそうに食べている。
 一切れ口に入れてみた。苦いし口あたりもよくない。同席していた広報部の大津さんも一口食べてすぐに箸を置いた。二人は声には出さなかったが(こんな不味いものないな)と互いの表情から観てとれた。彼は北九州の出で、あとで聞いてみると故郷では食べた経験はないという。
 その後、沖縄旅行の際に食卓に出ていたような気がするが、家内も私も関心がなくゴーヤという名前も印象にない。                 

 ゴーヤが出回るようになるのは10年ぐらい前からではなかろうか。
 沖縄ブームとビタミン、ミネラルが豊富な健康食材ということが知られ、スーパーにも並ぶようになり家庭でも食卓にのるようになってきた。
 食材本来の味を生かすには、あれこれ手をかけないであっさりした味付けが好ましいが、ゴーヤだけは、豚肉、卵、豆腐などと一緒にチャンプル(炒める)
 したほうが食べやすい。家内と私で、ご近所に美味しい調理法をお知らせするために工夫を凝らしてみたが自信作は未だ生まれていない。

「おばあちゃん、僕、ゴーヤ食べるよ」
 先日幼稚園生の下の孫が,ほめられたいのか、家内に話していた。娘に聞いてみると、甘味噌をベースにして、チーズあじで仕上げたら、子供たちが我先にと食べたという。

 無農薬栽培で皮をむかないで調理するので、薄切りにしてサラダ風に食べることもあるし、さっと炒めて、おかかをかけるシンプルな調理もあるが、いずれもゴーヤの苦みが強く、この味にはまった人でないと手がでないだろう。

 理想的な健康食品だが、私が積極的に食べないのは、お酒との相性が良くないからである。夕食時にはビールを飲んだ後に、料理に合わせて赤か白ワインを飲む。ビールの場合は苦みが増幅し、ワインでは豊饒な香りや淡い渋みが消されてしまう。沖縄通に言わせると泡盛との相性は素晴らしいというが・・。
 酒に合うおかずだけを食べる私を見て、家内は、

「あなたは病気の後、飲む量は少なくなったでしょうが、酒好きの体質は変わっていないわ」
 と卓上に残されたゴーヤ料理を見ながらグチを言う。

【寄稿・エッセイ】 うろたえない= 吉田 年男

 生後3か月のミニチュアダックを娘がひとり暮らしをするときに、置いて行った。それから十五年の月日が流れた。おいて行かれた犬にすれば、思いもよらぬことだが、永い居候生活をえて、いまではすっかり我が家の一員になった。

 犬の名前はレオ。強そうな名だが、性格は穏やかで人なつっこくて、留守番が苦手な甘えん坊だ。みてくれは胴長の短足で、背中の長毛はブラック、脚部は茶色である。両目のうえに、茶色の部分が少しある。それが目のようで、目が4つあるように見える。

 犬はネコと違って、散歩が欠かせない。健康維持のため、雨の日を省いて毎日散歩に出かける。犬好きな人に出会うと四つ目のレオちゃんと声を掛けられる。数年前までは、公園を一周して、町内の決まったコースを歩く25分の散歩を、朝と夕方2回していた。歩く速度が極端におそくなった。それに出かけるときにおっくうそうな顔をする。今は朝1回の散歩にしている。

 犬は、人の4倍の速さで歳を取るという。観察していると、ここ一年で健康状況が大きく変わった。ミニチュアダックは、平均寿命が15年といわれる。仕様のないこととは思うが、明らかに歳を取った感じがする。背中の長毛は、感触が少し硬い。色つやもなくなってきた。血液検査では、肝臓の機能も低下していた。


 レオは目も悪くなった。犬の目は、もともとあまりよくないというが、視力は、明らかに落ちてきている。動物病院で診てもらった。片方の眼球の血管がなくなっていた。「殆ど見えていないのではないか?」と言われた。 トイレを探し回り、所定の場所を時々間違えて、粗相をすることが多くなった。
「弱みを見せない」姿勢と、いやなことは、はっきりと態度で表わすようになった。
「弱みを見せない」は、敵に襲われないように、身を守る本能的な姿勢なのであろう。寝ているところを抱っこしたり、子供をあやす恰好で高く持ち上げたりすると明らかに嫌な顔をする。

 変わらないところもある。持ち前の忠実さと愛嬌のある仕草だ。特に忠実さは、我が家にきたころと全く変わっていない。裏切るような行為も永い居候生活で一度も見せたことがない。
 目が見えないので、家の中を、あちらこちらに、ぶつかりながら、のたのたと歩く。名を呼んでも応答がない。大きな声と同時に手を叩くことで、やっとわかる。耳も確かに遠くなった。

 レオは思うようにならなくなった身体の衰えを自覚して、老いをごく自然に受け止めている。それでもうろたえたところは、全く見せないレオをみていると愛おしくてならない。

【寄稿・フォトエッセイ】 もしもし ぼくだけど = 三ツ橋よしみ

『作者紹介」  三ツ橋よしみさん

 薬剤師です。目黒学園カルチャースクール「フォト・エッセイ」の受講生です。

 東京生まれ東京育ちの作者が、一昨年から、京成電車で1時間余りの千葉県で、「田舎暮らし」をはじめています。それが創作活動に寄与しています。

 通信が発達した現代では、都会と地方と距離感がなくなり、どこでも起こり得る事件です。今回の作品は、それをモチーフにしています。



  もしもし ぼくだけど = 三ツ橋よしみ   

                         
 ある朝、目黒区在住の高橋静子さん(83歳)宅に、息子を名乗る男から電話があった。
「和夫かい? 珍しいね。電話なんかかけてきて。どうしたの、何かあったの?」
「・・・・。何年ぶりかしら。お父さんのお葬式以来?  だったらもう16年たったんだわ。来年、お父さんの17回忌だもの。早いものねえ」

「えっ何? よく聞こえない。お母さんはもう83歳になるの。早いものねえ、この頃少し耳が遠くなって。もっと大きな声で話してくれない?」
「そう、風邪引いて、声が出にくいの、そうなの。和夫、あなたいくつになった? お前ももう若くはないんだから、体に気をつけなさい。仕事仕事で、休みだってろくにとってないんでしょ? ちゃんと休まないと駄目よ」


「えっ、何? 会社で預かった小切手をなくしちゃった?」
「そりゃあ、えらいことだわ。弁償しないと会社、首になっちゃうっての?
あらまあ、それって、いくらの小切手なの? 500万円? 結構な金額だわ。会社の部長さんと電話を代わるって?」


「まあ、部長さんでいらっしゃいますか? いつも息子がお世話様になっております。なんですか、この度は、息子がとんでもない不始末をしでかしまして、ご迷惑をおかけいたします。はい、はい、はい、はい、わかりました。明日までにお金を弁償すれば、今回は警察には言わないで、うちうちでおさめて下さる。まあ、それはそれは、ありがたいことでございます。ご温情、身にしみます」
「和夫、部長さんから事情をきいて分かりましたから、お母さん、すぐに銀行にいって、お金おろしてくるから。お前、午後にも、うちに取りにいらっしゃい。」
「お得意様との約束があって、どうしても今日はこっちにこられない? そう困ったわねえ」

「もしもし、和夫よく聞こえないわ、もう一度言って。会社の部下にお金を取りにこさせるから、その人に渡してくれですって。若いけれど、信用における男なの。わかったわ、そうする。
それと何? 銀行で、窓口の人に、何に使うんですかときかれたら、うちのリフォームに使いますって答えるのね。このごろ、おれおれ詐欺とか言って、年寄りをだます人がいるって。大丈夫よ。お母さん、そんな奴らに、だまされるほどボケちゃいないから。心配しないで」


 静子は、銀行に急いだ。
「あの、高橋様、金額が少し大きいですね。何にお使いですか? 最近、ニセ電話による詐欺事件が多発しております。高橋様は、大丈夫ですか? 」
「ええ、ご心配なく。何ね、うちも結構古くなったので、リフォームしようと思いまして、知り合いの業者に頼んだもんですから、現金が入りようなんです。有難うございます、ご心配いただいて、わたしは大丈夫ですよ、だまされたりなんかしませんから」
「そうですか。相手先の会社に振り込むほうが、お手間はかかりませんし、安心だとおもいますが」
「自分のお金を引き出すのに、なんでそんなにも、ごちゃごちゃ言われなくちゃならないの。振り込みにしようが、現金にしようがわたしの自由でしょ。ほっといて下さい。
まったく銀行ってところは、入金するときは、ぺこぺこするくせに、いざ引き出そうとすると、なんだかだ言って、出させたがらないんだから、まったくやんなっちゃう。」
「わかりました。お客様のおっしゃる通りにご用意いたしますので、しばらくお待ちください。」


 500万円の入った紙袋を、静子さんはハンドバックにギュっと押し込んだ。内心はどきどきしていたけれど、窓口の視線を感じたので、冷静なふりをし、お世話になりましたと、笑顔を銀行員にふりまき、ハンドバックを抱えて銀行を出た。

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【写真エッセイ・寄稿】人生、思い通りには・・①  = 斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ』の受講生として、写真と叙述文に力を入れています。
  

作者HP
  


人生、思い通りには・・①  = 斉藤永江

 世の中、自分の思ったようには進まない。
 私は、2人の子どものお産で痛感した。


 1988年7月20日に長女は産まれた。
 妊娠期間の前半は、母子ともに順調に過ごした。7か月目に入ると、逆子の診断を受けた。本来、赤ちゃんは頭を下にして大きくなるべきところを足が下になっていた。
「逆子で破水をしてしまうと、赤ちゃんが産まれ難くなって危険ですから、逆子体操をして治してくださいね」
 と先生から告げられた。


 四つん這いになってお尻をあげる。15分ほど同じ体勢でいると、お腹の中に空間ができるのか、不思議と赤ちゃんが動き出す。狭い中で必死に正しい場所に戻ろうとする様子が、薄いお腹の皮を通して伝わってくる。まだ見ぬ我が子が健気に思え「ガンバレガンバレ」と声をかけながら毎日、逆子矯正体操を繰り返した。


 1か月後の検診では正位に戻っていた。
(良かった、これで心配なく自然分娩に臨めるわ)
 そんな安堵の日もつかの間、ある日、お腹の中で異常な動きをする気配に嫌な予感がした。


 次の検診は半月後だった。
「あ~また逆子にもどっちゃってますね」先生は、エコー検査をしながら残念そうに私に告げた。
「やっぱりですか。なんて子なんでしょう、もう8か月目に入ったというのに。また体操しなくちゃいけませんね」
 落胆する先生の気持ちを和ませようと、私はつとめて明るく話した。


 連日の矯正体操がまた始まった。私の体もきつくなっていた。四つん這いになりながら、
(ちょっとあなた、頭が下なんだってば。体の向き間違ってるってば)
 とお腹をさすり声をかけ続けた。


 妊娠9か月目に突入し、赤ちゃんの体重は2000gを超えた。
「良かったですね。正位に戻ってますよ」
 先生は、前回の落胆ぶりとは対照的に、この時期にこんなことがあるのかと愉快そうな口調だった。
「良かった。全く、やきもきさせる子ですね。いったいどんな子が産まれてくるのかしら」
(このままね、頭が下で正解だからね)
 更に大きくなったお腹をさすり、絶え間なく言い聞かせ続けた。


 臨月に入ると、赤ちゃんは2500gほどに成長し、お腹は一層大きくふくれた。
 私は肩で呼吸をするようになり、胃が突き上げられ、大食の私があまり食べられなくなってきた。
 窮屈になった子宮の中でも、相変わらず元気によく動き、バタバタした手足がお腹の皮の上からでもつかめるのでは?と思うほどだった。
 強く蹴られて痛みを感じることも多かった。


 6月下旬、掃除機をかけた後に、体を休めようとソファに横たわっていた時だった。
 お腹の中で異常な動きが始まる気配を感じ、ぎくりとした。(ちょっとぉ、何ガギガギ動いてるの?)
(頭が下だからね、今のままでいいのよ、動いちゃダメなのよ)
 お腹を強くさすりながら赤ちゃんに言い聞かせた。
 すると、体位移動など到底無理であろう窮屈なお腹の中で、ガガガと少しずつ回転していく様が感じられたのだ。
(ちょっと、だめだって。動いちゃだめだって)
 時間にして、わずか数十秒の出来事だった。
 お腹に目をやると、すでに赤ちゃんの頭がポコンと私の両胸の真下におさまっていた。
 呆然とした。こんなことってあるのかしら?いつ産まれてもおかしくないほどに成長した赤ちゃんが、また逆子に戻ってしまうなんて。
 私は、胸の谷間に鎮座している赤ちゃんの頭をこずいた。(先生に何て言ったら良いのよ)親身に検診してくれる先生の、がっかりする顔が浮かんだ。赤ちゃんや自分のことよりも、先生に申し訳なく思う気持ちが強い自分がおかしかった。
 次の検診日まで必死に矯正体操したが、お腹の中の状態は、うんともすんとも変わることはなかった。
(ふん、体操したって戻ってあげないもんね)
 すまし顔の赤ちゃんの顔が目に浮かんだ。安心して逆さまの体勢に落ち着いているようだった。

「先生、悲しいお知らせがあります」
 臨月に入ってからの検診で、私は逆子に戻ってしまったことを告げた。
「まさかこの時期に・・・こんなことがあるんだね」
 先生も半ばあきらめたようだ。
「体操はもうやめましょう、体に負担が掛かるからね。とにかく破水しないように気をつけてね」
 と念をおした。
 私はもはや神頼みしかないと、毎日、近くの帝釈天をお参りしては100円を投じた。
(破水しませんように。どうか無事に出産させて下さい。五体満足な子が産まれますように)
 予定日の7月17日は、何事もなく過ぎていった。
 私は、逆子騒動に疲れ果て、赤ちゃんさえ元気ならと、半ば投げやりになっていた。

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【小説・3回連載】 二十八才の頃 (2) 《夢》 = 外狩雅巳

『作者の略歴より』

 外狩雅巳(とがり まさみ)さん


 15歳から働きました。労働者として六十才まで働きつづけました。その中で労働組合に出会い働く者の幸せを目指して活動に没頭した時期もありました。 読書も好きでした、労働組合に関する書物も読み漁りました。講演も聴きました。

 そして二つの壁に突き当たりました。それは「政治と文学」であり「日本革命の展望」でありました。結果として文芸同人会への道に進みました。 働く者が主人公になる国を創ろう! とのスローガンに共感し学習に励みました。

 19才で定時制高校に入り更に夜間大学に進みました。そこで、政治闘争に出会いました。日本の政治を変えようと実力闘争を行う「マルクス主義学生同盟」に出会ったのです。

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小説・二十八才の頃 (2) 《夢》  外狩雅巳 


 色のない風景。薄暗い一面の荒野に木枯しが吹き抜けてゆく。風に追われた男の後姿が視界に現れて遠のいてゆく。そしてまた一人、さらにまた。後姿だけの男。どれも皆同じ。風に髪は乱れきっている、服の長い裾が大きくなびいている。同じ後姿の男達が次々に木枯しに追われて荒野の彼方に吹き飛ばされてゆく。

 遠くから音がする。何かが聞こえている。人の声なんだろうか。呼んでいるのだろうか。自分も呼ばなくては後姿の男を呼び戻さなくては。見覚えのある後姿。だれだろう、だれだろう思い出せない。
 荒野の果てに吹き流されてしまうその男は誰だろう。声が出ない、呼ぼうとするのに声が出ない。気ばかりあせるのになぜか声が出ない。胸が重苦しくて口が開かない。どうしても呼ばなくては呼び戻さなくてはと、自分の中の何かが思いっきり自分を突き動かしている。物音は続く。絶え間なく続きながらしだいに大きくはっきりとしてくる。

 現実との境でついに本物の声が出た。自分の声で気持が急速に夢から抜け始めていた。手が動いた。
 声に振り向いた後姿の男。その顔が判明するより先にとうとう夢から抜け出ていた。目が覚めていた。
 二枚も重ねている胸の布団を両手で押し上げながら目が覚めた。
 頭の上の窓ガラス、その向こうに青空と陽光が見えている。物干しの板がはがれかかって風にあおられ壁を打つ連続音が今度ははっきりと聞き取れた。

 街の上に広がる冬空にはもう朝の太陽が大分昇り始めている。一瞬のうちに感覚が冴える。
 朝だ。今日で今年最後の仕事がある。そうだ会社だ。跳ね起きる。壁に架けた上着を取ろうとしてよろける。腰に来ている。頭の芯も強烈にいたむ。昨夜の酒が抜けていないのだ。

 連日の残業に次ぐ残業。砂と鉄粉の舞うボロ工場。体にギリギリまで無理をさせての重労働の日々。
 そして時たまの酒樽をひっくり返したような安酒での暴飲。日頃の粗食。体のどこかがイカレ出したのか知れない。ベットリと汗をかいている。胃が痛い。いや気のせいだ。それにしても後味の悪い夢を見たものだ。あの振り向いた男の顔。チラリと見えたような気がする。あれ何となく自分の顔のようだった。そう思いながら明は服を着て部屋を出る。
 コートの裾を長く風に流された後姿がアパートから大通りに向うと追いかけるように砂が舞い立ってゆく。

 寝乱れた髪が風にいっそう広がって、両手をポケットにいれた前かがみの体を小走りに工場街の方へ運ぶ。

 納豆と刻みネギの強い匂いが通りまでただよっている。漬物の匂いや焼魚の匂い。そして味噌汁の湯気まで戸のすき間から立ち昇っている定食食堂。明は思いっきり勢いよく戸を開ける。
「オッス。飲んだな。ボーナスも出んうちから。見切りをつけてヤケ酒でもあおったのと違うか。マイッタ魚は目でわかる。とっくに死んでるぞ」
 汁掛け飯を流し込んでいた同じ工場の溶接工が声をかけてくる。
「お互いさまさ。宵越しの金など持ったためしがないのが自慢でね。体だけが資本の俺だ」
 その男も大分アルコール臭い。やはり目が死んでいる。定食屋は周辺の町工場へ通う工員達で満席である。立ったままで大急ぎで汁掛け飯をかき込んで工場へ走る。光二は昨夜と打って変わって平気な顔で自分で作った鉄パイプのバーベルを上げ下げしている。

「爪の先までアルコールで染まってるぜ。大分飲んだなゆんべは。さっきは二十五度の小便が出たぜ」
 明を見て手を止める。顔面から汗が流れ落ちている。裸になった上半身に湯気が立っている。
「朝から張り切ってまた昼寝するなよな。職長に見つかると出るものも出なくなるぞ」
 今さらボーナス減らす事もないだろうが、光二はトイレの中や機械の横に隠れて十分十五分と上手に寝たりしてサボっている。いつも明が注意してバレずに済んでいる。バレているかも知れない。
「汗もクソも出るもんは全部出す。ついでにアルコールも出す。こうやって汗と一緒に全部出してしまわねえと、クソがたまんなく臭いからな」

 突き刺すような朝の寒気を破る程の大声を発して再びバーベルに跳んでゆく乱れを見せないリーゼント。若さが違う。多分昨夜は寝ていないのだろうに何という溌剌とした体の動きであろう。明はその盛り上がった桃色の肩の肉に見入りながらなぜか急に昨夜のあの焦燥感が体いっぱいに湧き上がって来るのを感じた。

 機械が泣いている。がっちりとコンクリートの床に埋め込まれた四肢をそれでも精一杯ゆすって、キリキリキリ、キリリリーンと全身で抗議しているような不調和音の尾を長く引いてゆく。ステンレス材だ。その硬さの前にバイトの刃がひるんだように揺れて、そしてもう一度揺れたときにポキリと折れた。
「クソオー。あせるぜ」
 刃先を入れ替えると、前にも増してハンドルを強く回す。他の工員達はすでに作業を終了して正月休みの為の片付けや機械の清掃に入っている。運河の向こうの大工場はもう今日から休みに入っているのだろう。今朝は九時になってもサイレンが鳴らなかった。

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【小説・3回連載】 二十八才の頃 (1) 《砂》 = 外狩雅巳

著者紹介

 外狩雅巳(とがり まさみ)さん

 1942年、旧満州生まれ。仙台で中学卒業後、商店住み込み店員となる。その後、単身上京。工場労働者として労働運動に力を入れる。
 同人雑誌を中心に地域の市民文芸文化振興と小説執筆での作家活動を行う。著書「この路地抜けられます」、「十坪のるつぼ」)、詩人回廊「外狩雅巳の庭」ほか


小説・二十八才の頃 (1) 《砂》 縦書き 印刷して読む場合もこちら


小説・二十八才の頃 (1) 《砂》 = 外狩雅巳

 風に追われた砂粒が、人気の絶えた露地を次々に疾走して行く。
 両側に連なる町工場や倉庫の軒下には煤と鉄錆にくすんだ吹き溜りの層が重なり、その上を風に運ばれた砂粒達がすっぽりと布を被せたように白くしてゆく。
 薄墨色の雲が低くたれ込め、三十メートル程先の信号機の赤い色が夕靄に溶け込もうとしている。
 風が露地を駆け抜けるたびに、次々に新しい砂粒が地を薙いでゆき工場の板壁に音を立てて吹き付けられてゆく。
 工場の天井近くに張り渡された太いシャフト。それがモーターによって高速で回転している。
 そこから十台程の工作機械のすべてにベルトが引かれている。ひとつの動力源で十台の機械が動いている。
 風が強くなってきたようだ。北からの風が。
 板で継ぎ接ぎされた壁にある幾つかの穴のうち、北向きのその小さな穴からは絶え間なく砂粒が吹き込んで来るようになった。

 露地を隔てた斜め向かいの産業道路を、鉄材を満載した大型トラックが次々に駆け抜ける。運河の橋を渡る音と震動が微かに伝わって来るとペンチーレスの据え付けの悪い足は又小さく震え出した。
 高速で回転する鉄の表面にバイトの先端が近づく。削がれてゆこうとするその薄い鉄の皮にノズルから流れるスピンドル油がたっぷりと注がれてゆく。赤熱した鉄片はその瞬間に白煙を撒き散らして螺旋状に丸まって足元に落ちていった。

「チッ」と舌打ちして明は顔を上げる。また砂が飛んで来たのだ。こうやって大型トラックが左折して通り過ぎる度毎に露地いっぱいに砂粒を舞い上らせる。東京湾を渡って来た強い木枯しがその産業道路に湧き立った砂埃をここまで連れて来た。
「クソォー。また駄目だ。あせるなあ、三つ目だぜ」
 思わず呟いて安全靴の先で機械を蹴り付ける。
 作業の手を止めて睨み付けるその小さな穴から次々に吹き込んで来る砂粒。
 カバーから漏れる作業灯の一筋の光の中を通る時、彼等は一瞬ひとつぶずつが生命を持ったかのように白く耀いてくねりながら進む。その後で工場の隅の吹き溜りの小山をまた少し太らせて降り積もってゆく。

 鉄粉と砂粒と機械油とで固まっている吹き溜まりの高さほどの歴史が、明の日々が、この工場の隅に残っている。
「よせよせあせるなよお、損だってば、明チャンよお、無理なもんは無理。バイトが泣いてらあな、使い方が荒くて困るとさ。どうせ今日も楽しい深夜残業が待ってる事だし、のんびりゆこうよ日本は、そんなにあせってどこへ行く」
 とっくに自分のプレスを止めて煙草を吸っていた光二が間伸びした声でからかって来る。

 赤熱した切削面に砂粒が付着してしまうので寸法測定時にわずかな誤差が出る。それが精密度の高い作業には大きな障碍となる。この木枯しが砂粒を運ぶ季節になるといつも苛立ちがつのって来る明だった。
 風に押されて小さな穴から乱暴に小屋の中に雪崩れ込んで来て、そこでふいに勢いを失う。機械までにたどりつく直前に進みを止めてゆっくり舞い落ちてゆく。
 きらりきらりと白く光を反射させて砂粒ひとつずつがその短い光の中で生を終えてゆくように身をくねらせ、そして消えてゆく。次々と瞬時に多様の生と死を見せて通過してゆく無数の砂粒。

「ミクロの技師だ。砂粒ひとつの誤差も許さないとは本当に頭が下がる思いだ。納品に行ってよお、職長がほめられてよお言うぜ言うぜ。旋盤ひと筋に四十年、私にはこんな事しか取り柄がないもんでだとよ。テメーなんざ事務所でふんぞり返って他人の削った物を納めに行くところだから。よく言うぜ大した口の技師だ」
 はばかりのない大声が機械の音を突き抜けて背中に振りかかって来る。若い声だ。

 その声を見るような仕草で素早く壁の時計を見る。もう十分で終業時間になってしまう。終らない。
 予定の三分の一近くも残っている。光二に向けた薄笑いをバイトの刃先にもどした時には前にも増して焦りが体全部を包んでいた。
「近ごろとんと見かけねえよなあ、口の技師が機械の前に立つ処をよお。それでもって客先で抜かしたわな、イマイチ若い者の腕が上がらんから現役降りるにおりられないとさ。世も末だね」
 昔、光二が不良品を大量に出した時。職長に作業者の名を客先で呼び捨てにされている。
「泣くな光二。今の俺はこの仕事終らす事しか眼中には無いからな。お前のグチにつき合ってらんないよ。悪いけど」
 今日もこの進み具合では四時間残業はたっぷりある。
「その技師の件ですがね。まだ専務の処らしいぜ。朝っからずうっとだからなあ。て事はボーナスは又々渋いんじゃないのかな。こわいですね。本当に恐ろしい事ですね。三年続けてこれじゃあよお、真面目に働いてらんないと思うけどなあ。五分前になっても機械廻してるモンの気が知れんなあ」

 工具箱にのせた光二の足。破れたズボンのその穴からは脛毛が数えられそうだ。ガタガタとその足を貧乏ゆすりさせて光二はなおも話し掛けて来る。
「日曜出て、残業も八十時間やって。技師の名前は勝手に使われるし、バイト駄目にしてばかりいるからと文句言われ、其の上光二の仕事も面倒見てあげなさいね、か。本当にエライッ。明チャンはエライ。俺、勝手に表彰しちゃうもんね」

 そうやってもう十分間もサボっている光二。いつもの事だ。仕事は早い。いや要領がいいのだ。手筋がいいのだ。しかしそうやって早く終ればその分どこかで油を売る光二。けっして給料以上の働きをしようとはしない。
「ヨセヨー。おまえ終ったんなら先に晩メシ喰ってろよ。明日六時までに納品だぞ、この百個」
 毎年、暮れになるとこの忙しさだ。ベンダー。ボール盤。シャーリング。そしてプレス加工。溶接。
 旋盤にミーリング。十人そこそこの工員と機械。朝の八時三十分からぶっ続けで十時間も十二時間も悲鳴を上げ続ける。

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【孔雀船・同人詩人】 アンバさまの夏 = 高島清子

      アンバさまの夏


    今日は盆様送りの訪う十八日だから
    午後の日盛りの内に出かけなければならない
    ハスの葉には西瓜に団子と煮〆天ぷらまでもが巻き込んであるから
    片腕に重くしっかりと抱えた
    送る人の後ろからは何故だか鰹節を転がして送り出す風習があり
    台所の鰹節が唯一存在を示す時だ


    焦げる八月の中にもひと吹きの秋風が通った
    すると遠く地の底からのよう響いてくるのはあの響きだった

  
    ドンドン カッカ ドンカッカ
    ドドメカ ドドメカ ドンカッカ

   
    秋葉大権現の祭りの一団が千年の祭りを担いでくるのだ
    秋葉神社の「防火」「夢結び大明神」が
    なぜか漁網の浮子を意味するあんばにおんぶして
    アンバ阿波様となったのかは判らない


    村人は白装束に袴 太鼓を担ぎ手には大弓
    ドンドメ カッカと鳴りながら灼熱の村道を来た


    アンバ様は村のあちこちで立ち止まっては
    ひとりが弓をギィーッと絞ると
    弓の間を若者がひらりと飛び抜けてみせる
    一子相伝の弓矢を潜ったのは田の草取りに精出している若者だ


    秋葉神社は暗い杉の木の暗い中に沈んでいて
    鈍色の屋根だけが見えたが見えたが誰も訪れることはない
    それにしても何という哀愁に満ちた太鼓の響きであるのか
    盆様は十万億土へと安らかについたか
    

    夜が来た  赤い月の夜だ
    村はいつまで内臓するのか
    あの不思議に心揺さぶる重い響きを
    わたしはいつまで内蔵するのか
    次の夏を待ちながらドンカッカと 

【関連情報】

作品は「孔雀船84号」より転載です。
孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船84号」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

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