わたしは海が大好きだ。大きな空、広い海原を眺めていると童心に返り、心が大らかになる。磯や砂浜も更に好きだ。訪れたことのある砂浜の中では石垣島、九州の唐津、西伊豆の松崎の砂浜が好きだ。松と砂とのコントラストが映えて美しい。
ところで横浜市にも昔ながらの砂浜が唯一残っている所がある。わずか100メーター程のものだが正面に八景島シーパラダイスを眺める金沢区の野島公園の浜だ。潮干狩りの名所でもある。というと風光明媚な浜と思われるが現実はそうでもない。
その浜は北に面しているため、北風が吹く日は東京湾のゴミが流れ着き、無残な景色と変わる。台風が近くを通過したあとは大変だ。そのときの量は特別に多い。
10年ほど前、台風の過ぎ去ったあと浜に出たら雑木、芝、竹などが山のように流れ着いていた。手を付けようがない状態だった。その光景を目の当たりにして町内の人たちと途方にくれた。それらは日が経つと水分が蒸発し乾燥した。軽くなり、また汚いものではないので自分が片付けてみようと思い、暇を利用し少しずつ道端に引き上げ、一緒に流れ着いたロープを活用して束ねた。
一週間余り要して全部引き上げ、横浜市の清掃局(今の環境事業局)へ回収を依頼した。1トントラック三台分くらいの量になっていた。浜の姿を元に戻した達成感を抱いたが、これが初めてのゴミ拾いだった。
その後、西伊豆の松崎へ旅したとき、綺麗な砂浜に出会った。夕方、二人の老人が熊手を手にして談笑していた。浜の掃除をした後だったのだろう。その姿は清々しかった。村の大事な美しい砂浜を守っている喜びと誇りにあふれた表情だった。それがわたしの手本になった。それ以来、野島のゴミを拾い始めた。
昨今のゴミはいろいろな種類がある。その中では化学製品が圧倒的に多い。発泡スチロール、ペットボトル、各種のプラスティック製品、レジ袋、菓子袋。そして缶製品。時々、テレビ、冷蔵庫も流れ着く。いちどゴミとなった化学製品は厄介だ。いつまでも残り朽ちていかない。化学品メーカーはせっせとゴミの材料を作っていると言われても仕方がない。
わたしは雨さえ降らなければ毎朝、野島を一周する散歩に出かける。そのとき浜でゴミに気が付くと放っておけない。そして少しずつ袋詰めして片付けている。
ところがその袋をどこへ運ぶかが問題になった時期がある。家庭ゴミではないので町内の集積場へ運ぶわけには行かない。そこでひと先ず浜の近くに置き、まとまった量になったら環境事業局へ回収を依頼していた。ところが潮干狩りに来た人たちの格好のゴミ捨て場として利用されてしまい、未公認の集積場になった。
野島公園の管理事務所は「不法投棄をするな!」という立て看板を取り付けた。私のすることは管理事務所にとって迷惑な行為のようだった。
ある日、浜にいたら所長が近づいて話しかけてきた。
「海のゴミの管轄は港湾局です。船で回収しています」
「浜に打ち上げられたゴミはどこの管轄ですか」
「さぁー。私たちの役割は公園の管理です。浜は管轄外ですが、一応毎月第三土曜日には業者を入れて清掃しています」
「月に一回ですか。わたしはゴミが多い時に見かねて拾っているのです」
まるで余計なことをしてくれるなと言いたげだった。しかし話し合った結果、それ以降は袋を公園内の遊歩道まで運べば回収することで落着した。
残念なことに横浜市には海を清掃する部署はあっても浜を清掃する部署がないことが分かってしまった。市内に砂浜は僅かしかないのだから尤もなことだ。確かに海の浮遊物を回収している船を時々見かける。だが浜が今のままでは
「横浜市の野島には昔ながらの自然の砂浜が残っている」
という謳い文句が泣く。浜に流れ着くゴミは、浜に捨てられた物か、海へ捨てられた物か、風に吹かれ海へ落ちた物だろうが、海は自ら綺麗になりたくてそれらを浜に排泄しているのだろう。
野島にも近ごろゴミ仲間がいるらしい。町内の人が教えてくれた。まだ顔を合わせたことはないが、通じ合うものがあって楽しい。お互いに静かにゴミ拾いをしたい。今のままで行こう。それでいいのだと思う。
朝の散歩とゴミ拾いは私の健康法だ。拾うときの姿勢はまさにスクワット体操そのもの。私の腰痛予防には打ってつけだ。
まあいいか、これからもこれは続けよう。相手は大好きな海の排泄物だから。