寄稿・みんなの作品

純白の富士山には感動、笹子雁ガ腹摺山 = 脇野瑞枝

笹子雁ガ腹摺山(1358m)

2012年5月19日(日)晴れ

メンバー:L佐治ひろみ、石村宏昭、大久保多世子、北山美香子、脇野瑞枝

コース: 初狩駅8:00集合、バス8:45発 → 新中橋9:10着 → 笹子雁ガ腹摺山10:40着 → 米沢山11:55着 ― 昼食 → 御坊山13:15着 → 大鹿山13:55着 → 景徳院15:05着 - バス15:37発 → 甲斐大和駅15:51発 → 帰路

 初狩8:45のバスに乗り、新中橋にて下車した。
 登山口から杉木立の中をしばらく登ると、そびえ立つ鉄塔の下に出る。鉄塔の右側を通り抜け、さらに登りつめて尾根筋に出ると、右手にはこれから登るだろう稜線が続く。
 藪の中、かなり急な登りを頑張ると、笹子雁ガ腹摺山(1357)山頂に着いた。

 まわりには、東国三葉ツツジ? の灌木が目立つ。山頂からの眺めは、続く山々と雪をかぶった美しい富士山とで最高です。
 10:40着。細い道を下って、やせ尾根が続き、三つのピーク、クサリ等を使ってかなりきつい。


 1時間ほどで米沢山(1357)山頂に着いた。昼食を取る。山頂は樹林に囲まれていて展望はありません。

 登り降りを繰り返し、間井沢ノ頭/トクモリ(1412)を過ぎると、西側がパッと開けて展望が良い。しばらく進むと、お坊山山頂に着いた。
 またまた一気に下がって大鹿峠に着く。
 樹林に囲まれ、道も狭く、いよいよ下山になる。目指す景徳院の道がちょっと見つけにくい。暗い樹林の中を一気に下って氷川神社を過ぎ、民家を通り抜けると、立派な山門が目に入る。景徳院です。
 この寺は徳川家康が建立している。二度の火災にあい、山門を残すのみとのこと。手入れが行き届いた庭園を見物した。

 15:37発のバスに乗り、15:51甲斐大和駅発にて帰路に向かう。立川にて反省会。

 全体に道が狭く、樹林の中で、アップダウンが思ったより激しかったように思った。笹子雁ガ腹摺山からの雪をかぶった富士山が素晴らしかったです。

 また、大菩薩山塊には三つの雁が腹摺山にあるが、いずれも雁の飛翔コースにあたるので名づけられたと思われます。
 笹子雁ガ腹摺山は大菩薩連嶺の最南端に位置しています。中央自動車道笹子トンネルはこの山の下を通っているそうです。
 リーダー佐治さん、ありがとうございました。
(なお、トンネルの天井板落下事故が起きたのは、この山行の7ヶ月後です)。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№159から転載

【寄稿・(孔雀船)詩集より】 月を嗅ぐ犬と   脇川郁也

見えない何かを探して
水の声に耳を澄ませたように
犬が月を嗅いでいる
老いて死んでしまった大きな犬だ
その姿を見届けてから
ぼくは
凍った空から射してくる
しろい光に包まれて
死んだ犬のかたちに似せて
立ち上がる

明日には
月のうえに
もうひとつの月がのぼる
そんな晩は
秋の長雨ばかりが思い起こされて
滔々と流れる御笠川の汀にあって
記憶の中に立ちつくしてしまうのだ

まちがまだ眠っている時間に
ぼくたちは
冷たい風に吹かれながら
川べりを歩いて公園に向かった
ときに立ち止まり
周囲の気配を嗅ぎとろうとするおまえは
おもむろにしゃがみ込むのだった
おまえの糞から立ち上がる湯気も
風に消えた

夢にうなされて
悲しげに唸るおまえのことを思うと
ぼくの鼻が鳴るよ
川岸のふちにふと立ち止まれば
いまもそこにおまえの姿があるようで
ぼくは
鼻をうごめかすのだ

月を嗅ぐ犬は
尾を立て
耳を絞り
牙をむいている
ただ目だけが悲しみに満ちている


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

【寄稿・(孔雀船)詩集より】 鼓星(オリオン)通り  高島清子

その通りはここから始まる
緩い坂が降りてゆく先の先は
道がユニオン(団結)通りと名前を変えて続くのである


歩き出せばひんやりと湿った物の怪らしきもの
後をついて来る気配止まず
地霊の声さえ聞こえるではないか
その上ここには
よからぬカビ菌共が棲みついているらしく
肩先に吹いてきた風には
江戸のその先の時代からの匂いがした


追憶の道で回路に残る店は
大儀らしく薄目をあけて
生あくびを噛み殺しながら
この昼下がりをやり過ごしていて
人は歩くともなく歩いている


鼓(オリ)星(オン)通りユニオン(団結)通りとは
よくも名づけたものさ
なにさま田舎モダンの紳士が
オン繋がりで決めたのだな
オリオン通りから星は見えない
時折吹く風が天空からの冷気を送ってきて
夜はまた一際の寂しさが漂うのである


地方都市の今は
何処もこんなものさ
千軒町屋が廃れるのは
人が遠い山裾の方へ移住して行ったからだ
そしてみんな勤め人となって
休日にはデンタル農園でキュウリの棘に参っている
元はといえばみんな先祖は農家さん
次男以下ここには要らない者が
町へ出て行ったのだが
やがて土の匂いが恋しくなり
もっくりもっくりと収穫する根菜の
あまりの真実にたまげている


田舎に住もうというのは人の遺伝子の仕業
そして何という私の誤算であったのか
来てしまった此処は
空のみが広々と青く
オリオン座の鼓の音も時には耳に届く
不可思議な場所であった


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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船 87号」 頒価700円
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【寄稿・(孔雀船)詩集より】 式部の身の上 望月苑巳

昼の月を折る
甍の上の虚構を折る
ペーパームーンね、と笑う
その人の心を折る
遠くから歌がひとつ
手鞠のように
耳元にころがりこんでくる
あなたは何でも折ってしまうのね
それならば、棘だらけのあの歌も折れるのでしょう
と、優しく残酷に笑う。


〽かーごめかごめ、かーごのなーかの鳥は
手際よく折ると
籠の中の歌はブラックホールのように
もう、そこから抜け出せない


人生は迷宮からできているんだよ
それがたとえ薄の穂先や
誰も住んでいない廃寺の中
あるいは、父母の血族が途絶えても


あら、鳥が可哀想
私と同じ身の上ね


骨のように細い筆で
その人は書き終えたばかりの
夢の浮橋に自分を閉じ込めた
関白様の誘いをていよく断った証として。


*「紫式部日記」に藤原道長からの誘いをうまくはぐらかした、という記述があることから紫式部は道長の妾ではなかったか、という説がある。



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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【寄稿・(孔雀船)詩集より】 天空のポスト  北川朱実

志摩半島を迂回して登った
スカイラインの山頂には

夜明けと
真っ赤な郵便ポストだけがあった

この天体の不在届のような静寂

  どこへ帰るつもりだったんだろう
打ち上げられたトビウオを
思いつくまま砂浜に並べた人は

あれから
背中をまっすぐに濡らして

眼下に広がる街の病院で
うずくまる生きものみたいな
文字を並べ直している

何がおかしかったのか
淡く光る海岸を歩きながら
笑いころげ

よそ見した瞬間
遠く流れ出そうとした人

膨らんだり縮んだりしながら
速達便でやってきたあなたの詩集の

肩から背中から
まぶたから知らない太陽が昇ってくる

朝焼けを全部投函する

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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【寄稿・(孔雀船)詩集より】 きみの島に川が流れ   須永紀子

レビヤタンに追われたきみが
逃げかえる島
平坦に過ぎる丘と
疎林のような森があり
以前は友人もいたが
長い無音が水を呼び
時間をかけて川になった


岸につながれたボートで
みんな向こうへ渡ってしまい
「じゃあ、またね
実のないことばが
ぱらぱら足もとに落ちてくる
鳥たちがそれをついばみ
「aui aui
代わりに蹴ちらしてくれる


ひとが消えても
川は川としてあり
島全体が湿って
忘れられた映画のポスターのようだ
下方に並ぶ小さな名前
「そんなひともいたね
ようやく思い出されるタイプの
きみは一人で
生きてきたように死んでゆく
ひそかに望んでいることが
ふるまいにあらわれる
暗幕と暗闇を好み
多くのものを遠ざけた
未来もまたそのようにあると思われた


けれど明日
レビヤタンに追いまわされ
島に逃げこんだきみは
鳥を友に、ボートに揺られて
向こう岸へ行くこともできる

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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【寄稿・(孔雀船)詩集より】 孤独な手帳から  望月苑巳

お母さん
淋しい蚊が寝息の深いぼくを狙っています
でも振り払って助けてくれましたね
蚊だって生とつながりたくて、必死になっていたのに。
松阪木綿の表紙が美しい手帳に
そう書き留めてから半世紀
しんしんと淋しくなりました。

青年を脱ぎ捨て
影まですっかり痩せてしまったぼくは
こうして寒い歳をむかえたのですが
天動説が顔を利かせていた柳通りの縁日で
十円硬貨を握りしめて
金魚すくいに興じたあの夜のユウコちゃんは
どこにいったのでしょう。


父も母も、もう返ってくるはずがないのに
銀河をゼンマイのように巻き戻せば
淋しい蚊が慌てて線香の渦に巻かれ
クルクルと死に際のダンスをしています
だからあの日の露地裏に
ぼくの血がしたたるダリアが咲いていたのですね
お母さん。


でも青春という熱を出して
正しい骨格をした故郷の祭りは
戻ってくるのでしょうか
水のごとく生きて
風のごとく果ててください
そう乱れた文字で
ぼくの松阪木綿の手帳に書き留めた人。


ぼくは致死量の愛が欲しいだけなのに
孤独ばかりがしんしんと、
抱擁した分だけ降ってきますね
お母さん。


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【寄稿・(孔雀船)詩誌より】 トカゲ 坂多瑩子

トカゲが干物になっている
夏の日差しに炙られて

そんなのいっぱい持ってると
教科書のあいだから
見せてくれた男の子がいた


ページをめくると
丸い目が
ペタンといくつも
はりついて
みんな目をあけていた


あたしのトカゲはちっちゃくて
赤ん坊だよこいつ
あかるいアスファルトに 
へばりつくようにしていたけど
きれいな干物になっていた


炙られて
消えた
そんなにんげんもいたと
夏の写真に
日差しがあたっている


ちっちゃなトカゲは尻尾がなくて
そのうち忘れて
夏は終った


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 トカゲ 坂多瑩子 縦書き PDF


孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【寄稿・エッセイ】 女房殿にはかなわない = 廣川 登志男

 今秋、隣家との間にある「カイヅカイブキ」を伐ることにした。

 32年前、家を建てると同時に植えたので、相当に根っ子も張っているし、枝もガッチリと絡み合っている。幹周りは40センチほどだから、直径で12、3センチ。全部で15本だ。

 庭木の刈込みは毎年私が行っているが、65歳になっているだけに最近は疲れてしまう。
 家内から
「手間もかかるし、そろそろ樹を減らしたいわね、カイヅカイブキなんかもういらないんじゃない」
 と提案があった。

 刈込みに手を焼いていた私は、
「私のことを案じてくれている」
 と感謝し、即賛成。早速伐ることにした。


 すでに「サンデー毎日」の身分だったので毎日作業をしたが、とにかく隣家とデッキの間の狭い場所だ。十五本全部伐るのにかれこれ1週間ほどかかった。
 小枝落としは家内が担当。私も手伝ったが、かなりの時間を要した。結局、切り刻んで市のゴミ収集所に持って行くのにさらに1週間かかった。

 手間暇労力はかかったが、伐ってみるとすっきりだ。


 カイヅカイブキ全体の横幅は12、3メートルもあり、樹高は3メートル弱、厚みもいつの間にか一メートルほどになっていた。相当な場所を占領していたんだと改めて気が付いた。

 もともと家と樹の間は距離にして5メートルほどあったので、そこにウッドデッキを作っていた。しかし、カイヅカイブキが邪魔をして陽が射さないためか、日陰になっていた手すりや床面は緑色のコケらしきもので変色していた。

 それが、樹を伐ったら随分と明るくなったし、陽もさすようになってきれいになった。
「こんなに明るくなるとはねー。伐って正解だったね」と、家内と喜んだ。
 作業が完了する間近での話だ。
「デッキと隣との間の隙間が結構あるけど、何かしたいことがあるの。デッキを拡げてもいいんだけど」 
 と家内に尋ねた。すると、
「そうねー。バラでも植えようかと思っているんだけど、どう?」
 と返ってきた。
「ふーん、バラねー。それもいいけど、大変じゃないのか」
 それから家内の思っていることを聴くことになった。
「バラ、きれいでしょ。で、棚を作ってほしいのよ。左側のサルスベリとツゲの木も大きくなりすぎているから、これも伐ったら随分と空間ができるし、あなただって刈込みの苦労が減るからいいんじゃない」
 なになに、えらく絵ができているじゃないか。そして、更にその先があった。
「ほら、ウッドデッキを作ったときに材木を買ったじゃない。そこの会社のAさんに少し聞いてみたんだけど、同じレッドシダ―を使えば何とかなるそうよ。あなた、図面引くの得意だからちょっと考えてみてよ」
なにー、そこまで考えがまとまっているとは。


 もう伐ってしまったものだ。

 今さら後には戻れない。図面を引くのが得意だとか、器用だからとかうまくおだてられたが、DIY(自作)は私の大好きな趣味だ。早速図面を引きはじめた。
 やり始めたら面白くなるのは「技術屋」の性分なのだろう。見栄えにもこだわって何回も修正した。

「こんなのでどうかな。全長8m、高さはデッキ面から2.4m。塀などに使う格子の衝立が売られていただろう。ちょうどこれに手ごろだから、結構な棚、バラ棚になるよ」
 家内からは、
「すごいわー。私が思っていた通りね。私も手伝うから早くやりましょう。買うバラももう決めてあるし、注文もしてあるの。地植え時期は十月くらいだからそれまでに作りたいわ」
 なんだ、買うバラも、時期も決めていて、それに注文までしていたのだ。


 結局、カイヅカイブキの伐採から始まって、バラ棚づくりまで、女房殿の計画にまんまと乗せられてしまった。

「人をこき使いやがって」と思ったこともあるが、自分はひょっとして「手のひらの中の孫悟空」なのかもしれないな、と思っている自分がいた。

沼津アルプスの最高峰392mなり。甘くみたらダメだよ = 武部実

平成27年 2月 7日(土)

参加メンバー : 佐治ひろみ、渡辺典子、後藤美代子、武部実、石村宏昭、市田淳子、中野清子の計7人

コース : 沼津駅バス~多比~多比口峠(大平山分岐)~鷲頭山~志下山~徳倉山~横山峠~沼津商業高校~香貫小学校~バスで沼津駅


 多比の停留所を9:30出発。

 しばらく舗装路歩きだが、水仙や白梅を眺め、みかんの無人スタンドで買い物したり、と最初はゆったりだ。
 30分で、登山口に入る。寒いと思って着込んできた服を脱ぐことにした。15分で大平山との分岐(多比口峠)に着く。
 今回は、大平山はパスして鷲頭山に向かうことに。ここからが、ウバメガシ(備長炭の原料)の長い群生地を左に眺めながら歩く。

 11:20沼津アルプス最高峰の鷲頭山(392m)に着く。
 往きの電車から眺められた富士山は、この時間になると、愛鷹山先の雲の中で裾野が少しだけ見えるだけだ。
 しかし、駿河湾の景色は抜群。眺望を楽しみながら昼食を摂り、11:55に出発する。

 頂上直下には2日前に降った雪が残っていたし、ぬかるんだ登山路で滑りやすい。平重衡終焉切腹地を過ぎると、すぐが小鷲頭山(330m)だ。

 急な下りだが、ロープが設置されていてありがたい。他の登山者を見ると、何人かはお尻が泥まみれ
になっていた。

 すれちがった登山者がどこかで見た顔だと思ったら、登山家の岩崎元朗さんだ。3人を引き連れての大人の遠足だ(HPに書いてあった)。
 そういえば、岩崎さん選定の新日本百名山に沼津アルプスが選ばれているので納得。

 平重衡が隠れていた洞窟を過ぎ、パノラマ展望台等を通り、12:50に志下山(214m)着。太平洋戦争時の防空壕跡を過ぎると、最後の急な登りだ。
 昇り降りをこれだけ繰り返すと、累計標高はいくらになるのだろうか。400mに満たない山だが、1500m以上の山に登った感覚かもしれない。


 13:40今回の縦走最後の頂である徳倉山(256m)着。富士山は相変わらず雲の中だが、箱根の山々や駿河湾の曲線がきれいだ。
 眼下の沼津市内を望みながら、一服する。

 ここからも急な下り道。ぬかるんだ山道だが、クサリが設置されていてホッとする。30分で横山峠に着き、左に香貫小学校方面に降りようとしたら、なんと木の柵で、通行禁止になっているではないか。
 しかたなしに、右折の沼津商業高校に下る。

 10分で高校に着き、地元の人に尋ねたら、トンネルを抜けて15分位で、香貫小学校の停留所に着くと教えられる。
 予定通りの14:55発のバスに乗車した。駅前のマグロ料理屋で、軽く反省会。暖かくて恰好のハイキング日和の一日であった。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№186から転載

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