朝起きて私と顔が合うなり、まるで条件反射のように角を生やす我がマグロの女房殿。言葉の十字砲火、怒りにロックオンだ。台風ならカテゴリー4くらいの強さか。
「トイレを使ったら必ず窓を開けてよね」
「え~っ、お風呂の水もう抜いちゃったの、これから洗濯に使うんだったのに~。勝手にやらないでっていつも言ってるでしょ」
「パンツは裏返しに干さないで、タオルは端をピンとさせてよね。いい加減常識でしょ」
「そんなところに突っ立ってないで。邪魔よ!」
しまいには付録でこんな一言も。
「何でも先にやらないと気がすまないんだから。きっとあなたは棺桶の蓋まで自分で閉める気ね」
よく聞くと、身体が太っているので言葉も太っている。
「あなだはがんおげのぶたまでじぶんでじめるぎね」
〝立て板に文句〟とはこういうことを言うのだろう。苦情のデパートだ(どこかで聞いた言葉だな)。次は「勝手に息を吸わないでよ」なんて言いかねない。オゾロジヤ~。といいたいところ。だがそこは大人の対応で、額を床につけ速攻で謝る。
「申し訳ございません。どうかお許しください、奥方様」
(ウソダピョン?もう古いかも)。非常識な顔(どんな顔だよ)が、こちらも条件反射になっている。悲し~い。ひょっとしてオイラはドMかも。
でも逆に考えれば、この言葉の速射砲、実はマグロの女房殿の健康のバロメーター。今日も元気印の証拠だと考えればいいだけ。先に逝かれちゃ寂しいからな。
次女の希望が朝シャンしたらしく〝貞子〟のような姿で降りてきた。
「オカーサン、それじゃオトーサンが可哀想。まるでカスみたいじゃない」と助太刀に入ってくれた、と思ったら続けて「オトーサンにも生きる権利があるんだから」だと。
これじゃ共謀罪が成立するぞ。ファッショだ、人権蹂躙だ、祭りでワッショイ! (おちゃらけてはいけません=天の声)ドンビキの2乗。北のミサイルより怖いストレス爆弾が恐怖の大王のように降ってくる。
ドツボのミックスジュースでついつい「俺を空気と思ってくれ」と言ってしまった。すると、
「空気もオナラするのね」
「それはきっと空気漏れだよ」
「空気漏れってなんでこんなに臭いの?」
「腸内フローラが悪さするからだろ」
「いいものばかり食べさせてあげてるのに、恩知らずね」
「どうせ町内の不良ら、のせいさ」
恩知らずですみません。風評被害が怖い。
これ以上言うとまた反撃を喰らう羽目になるので、ただただお腹をさするばかりのオトーサンでありました。おやっ、お腹が無礼千万にもコダマしています。アブナイアブナイ。南無阿弥陀仏。いつものように、コソコソと地下の秘密の部屋へ退散といきますか。
気分一新、天変地異、無知蒙昧が、まさかのジャーマン・スープレックスを食らって床にはべっていた本を開く。不埒な日本人の本質みたり春の宵、ってなわけで、第二幕へアタッカで続く。
ほのぼのと春こそ空にきにけらし天の香具山かすみたなびく
突然の場面転換で驚いた向きもあろう。この百鬼夜行のエッセイにふさわしいカスタマイズされた展開にお付き合いいただきたい。
昨年の夏は猛暑ではなく酷暑という言葉がふさわしい。地球温暖化に加えて台風5号が列島縦断、熱波の置き土産、いや最後っ屁というべきか。
だからこの春こそは心をほっかりさせてくれる歌でも…と思った次第。冥途の土産にいいかも。
新古今和歌集巻一春歌上にある後鳥羽天皇の歌だ。元久二年三月の三十首御会で「後鳥羽院御集」に収められている。
一見平明でさらりと理解できる歌だと思ったら大間違い。恐ろしい細工が仕掛けられているからだ。
さて、そこで問題。頭の「ほのぼのと」はどこにかかるのでしょうか。
本居宣長は「春こそ空にけらし」だといい、石原正明は「かすみたなびく」と言った。しかし現代の研究者の間ではまた違った解釈をしているらしい。
石田吉貞氏は「この語の響きを第五句まで預かっておくというのは無理がある」とし、「ほのぼのと――三句にかかる。ほんのりと、ほのかの意」としている。そして丸谷才一氏は「春こそ空にきにけらし」と「かすみたなびく」の双方にかかるのではないかという。
言葉の曖昧性は日本語の特性でもあるが、古典和歌の時代にあっては、なお一層それを利用し、研究を重ねて技巧の極みとしたのである。恐るべし。
ちなみに藤原定家が書いた「和歌手習口伝」の中には、この「ほのぼのと」を手本とした歌が載っている。
よこ雲の別かるる空のかすむよりほのぼのと明けて春はきにけり
そして「おなじことばこころなれども、すこしさまをかへぬれば、くるしからず」と述べている。本歌取りの心得で、これほど解かりやすいものはないかもしれない。「枕草子」の冒頭の名文句との関連性を考えてもいい。
では次へ進もう。
見渡せば花ももみじもなかりけり裏の苫屋の空きの夕暮れ
ご存知、藤原定家の名歌である。だがこれなども、素直にハイ分かりました、とはならない。二種類の読み方が存在するのだ。
まず「桜ももみじもない、春と秋を代表する美の喪失感を風情として表したもの」ととるか、もう一つは「海辺の夕暮れの寂寥感には桜ももみじも及ばない」とするか、ということである。
丸谷氏はここでも、一の説の飛鳥井雅章、二の説の金子金治郎、両説とも認めた上で「二重に入り組んだこころを、この三十一文字に託したように思われてならない」としている。
折口信夫は新古今の歌の散文訳を評して、鶏の羽根をむしったようになると笑ったそうだ。「解釈を一方にしぼり単純化するせいで新古今特有の模糊たる情趣が失われることが大きい」だからそれに気づいて「二様の解釈を立て、しかも彼ら(研究者)の詩学では詩の曖昧性をはっきりと意識できないため、一を取り他を捨てたのであろう」と丸谷氏は言っている(筑摩書房・日本詩人選10「後鳥羽院」)。
春風にいくへの氷けさ解けて寄せぬにかへる志賀のうら波
これは続新古今和歌集巻一春上にある後鳥羽院の歌だが、もとは「雲葉和歌集」巻一。
第二句の「いくへ」は「幾重」と「行方」との掛詞。ここで面白いのは目に見えない情景を歌う詩人としての作業だろう。これも新古今の時代ならではの特性といえるのではないか。
春風が吹く彼方で幾重もの氷が解けている朝である。琵琶湖の波は寄せないのに帰っていく――見えるはずがないものを歌うのも詩人に課せられた業と言うべきか。
ここで誰もが認める後鳥羽院の絶唱について考えてみる。
見渡せば山もと霞む水無瀬川ゆうべは秋と何思ひけむ
(新古今和歌集巻一春上)
M音が繰り返されるよどみない効果が何とも心憎い。そして雄大な景色に見入る己と対比するように心の風情が集約される。もちろん古今集にある素性法師の「見渡せば柳桜こきまぜて都ぞ春の錦なりける」が念頭にあったことは想像に難くない。その証拠に、
深山辺のまつの雪まに見渡せば都は春のけしきなりけり
という歌がある。つくづく新古今の世界は先達詩人たちへのオマージュというべきか、本歌取りの見本市だ。しかしすべての芸術は模倣から始まるのだし、本歌取りという技法が進歩への橋渡しになるのなら、これほど優雅なテクニックはないだろう。
ところで、キッチンでは我がまぐろの女房殿が料理している。お鍋はいつも個人的だ。他人が食う分しか作らない。オリジナルの鶴を折りたがる奴は現実逃避にすぎない。車の暴走が止められないのなら、初めからブレーキの壊れた車に乗らなければいい。
あまりの暑さに考えがまとまらず、こんなシチュエーションばかりが頭に浮かぶ。風評被害には取扱説明書など付いていない。だから気を付けないといけないな。精神病院にでもぶちこまれかねないから。
栄光ある高校二年生。孫の樹が、テストが終わって帰ってきた。暗い顔をしているので「まるでフィラメントの切れた電球みたいだな。どうしたと聞いたら「今はLEDだぜ。時代錯誤も著しい」だと笑われてしまった。
テレビを見ていたらカメレオンが緑の木に擬態していた。「ハイブリッドカーより凄いな」と驚いたら、また樹が「パンツを頭からかぶるのはギタイとは言わない。ただのヘンタイなり」と呟いてから「ジイジはギタイできるだけの毛がないしな」。
毎回言うようだが、私は断じてハゲてはいないし、バーコードでもないぞ。ここに遺言として残しておく。いや血判してもいい(苦渋の決断だが)。
先日、詩人で銀座の文壇バーの経営者としても朝日新聞に載ったほど有名な山口真理子さんから、小説をいただいた。恩田陸の「蜜蜂と雷鳴」である。「望月さんはクラシックが好きだから」という理由らしいのだ。
なるほど分厚い小説だったが五日程で読み終え、山口さんがオススメするだけあって久々に面白い小説だった。映画でもそうだが劇中に出てくるいい曲があると家に帰って聴きたくなる性質だから、読了後にやはり聴きたくなった。
個人的好みで申し訳ないが、CDをかけたらわがマグロの女房どのが「あら、よく聞いた曲ね」という。オリビエ・メシアンの「忘れられた捧げもの」(セルジョ・ボド指揮のパリ管)だった。メシアンには亡くなった山根健一さんが昔フランスで会ってサインしてもらったといっていた。
私はこのメシアンの「キリストの昇天」(ヴァルター・ストラム指揮のストララム管弦楽団)と、JSバッハの「ロ短調ミサ曲」(もちろん91年のカール・リヒターのミュンヘン・バッハ管弦楽団だ。それ以外の演奏は興味がない)、それにアントニオ・ウェーベルンの「パッサカリア」(ピエール・ブーレーズのロンドン交響楽団)を聴くと涙腺が緩むのだ。
余談になるが「ロ短調ミサ曲」は、ソプラノ=アリア・シュターダー、アルト=ヘルタ・テッパー、テノール=エルンスト・ヘフリガー、バス=ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ、バス=キート・エンゲンと、知る人ぞ知るそうそうたるメンバー。その一人ヘフリガーさんに生前会う機会があってサインしてもらったことがある。
記者時代に作曲家の團伊玖磨さん、指揮者の岩城宏之さん、小惑星探査で有名になったロケット博士の糸川英夫さんにインタビューしたことと供に今でも光栄だと思っている(思い出したので書いているだけ。決して自慢話ではありません)。
えらく真面目になってしまった。反省。一度トイレへでも行って出直そう。
とても匂いに敏感なマグロの女房殿は朝、私の部屋に来ると必ず毎日窓を全開にする。どうやら死臭がするらしい。「私、過敏なのよ」というから「活ける花でも買ってこようか」と言ったら、「カビン違いよ。疲れること言わないで」と怒って出ていってしまった。今夜のおかずはまた一品減らされるに違いない。
前の号で「神西清全集」のことを書いたが、それで色々なことを思い出した。例えば二十代の頃、一風変わった作家を探して読むことに熱中したことがあった。へそ曲がりな性分なのだ。
「屋根裏出身者」が代表作の十和田操(1900~1978)全集、「精神病理学教室」が出世作の石上玄一郎(1910~2009)全集、詩人としても知られる永山一郎(1934~1964)全集。以上はいずれも冬樹社刊だ。そして「アンドロギュノスの裔(ちすじ)」が有名な渡辺温(1902~1964)全集(薔薇十字社刊)。
その中でも永山一郎はわずか三十歳で事故死、渡辺温も編集者として谷崎潤一郎に原稿を依頼しにゆく途中で列車に撥ねられ二十八歳で他界したことは有名だ。他にも「命の初夜」の北条民雄や「第七官界彷徨」の尾崎翠などなど。こうした作家や詩人を読んで悦に入っていた若かりし頃を懐かしく思い出す。
ここでまた場面転換させていただく。肩の力を抜いてお読み下され。間違っても魂を抜いてはなりませぬぞ。
心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を
(能因法師、後拾遺集巻一春上)
これを西行が見事に、秋に仕立て直す。
津の国の難波の春は夢なれやあしの枯葉に風わたるなり
すると慈円が挨拶の歌に変えて見せた。
見せばやな滋賀のからさき麓なるながらの山の春の景色を
そして後鳥羽院はというと、こうだ。
心あらむひとのためとや霞むらむ難波のみつの春の曙
と歌ったが、一見何の細工もないただの盗作のようにさえ見える。だが第五句が終わってはじめて春という時間がぴたりと止まり、第三句の霞を眼前に導き出すのである。身の前にさっと広がる絶景が。ちなみに「みつ」は水のことだが皇居御用達の港「御津」を意味する。
ここに新古今和歌集における本歌取りの技巧の神髄を見る思いがした。
霞たち木のめはる雨ふる里の吉野の花もいまや咲くらむ
(後鳥羽院、続後撰和歌集巻二春歌中)
これは紀貫之の「霞たちこのめも春の雪降れば花なき里も花ぞ散りける」の本歌取りだ。後鳥羽院は紀貫之が好きだったらしく、たくさん本歌取りを試みている。
「オトーサン電話よ」
突然地上からマグロの女房殿の声。たちまち現実に引き戻される。重い腰を上げながら、どうせならこんな電話であったらよかったのに、と思う。
「よければ今度の日曜日にドーヴィルまで送りましょうか」
「土曜の昼に電話を下さる?」
「電話番号は?」
「モンマルトル1540」
フランス映画の名作「男と女」でジャン=ルイ・トランティニアンがアヌーク・エメを誘う場面だ。ご覧になった方は記憶にあるだろう。最近懐かしく思いながら見たが、一度でいいからオイラもこんな粋な会話をしてみたかったと思った。我がマグロの女房殿と、フランスの大女優を比べるのが、そもそもおこがましいのだが(女房殿、許してたもれ)。
それにしても新古今の時代の優雅さは、便利さばかり追求した挙句原子炉を爆発させたり、地球の体温を上げて気候変動を起こさせるような、無粋な文明の発達とともにどこかに置き忘れてしまったようだ。
その地球温暖化のせいか、ゴキブリにもGWがあるらしい。連休に入ったら子連れでゾロゾロ出て来やがった。観光地はもちろんキッチン。たちまち起こる娘と孫の断末魔の悲鳴。たまらん。地球最後の日は近いぞ。
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