寄稿・みんなの作品

ミツバツツジ 、山桜、アオダモを楽しむ=甲州高尾山 武部実

山岳名 : 甲州高尾山(1106m)

平成30年4月17日(火) 曇り

参加メンバー:L佐治ひろみ、渡辺典子、武部実、中野清子、開田守、佐藤京子、金子直美、宮本武の計8人

コース:勝沼ぶどう郷駅からタクシー~大滝不動尊~富士見台~棚横手山~富士見台~甲州高尾山~剣ヶ峰~柏尾山~大善寺~勝沼ぶどう郷駅


 世界一登山者が多い山は、ご存知のとおり高尾山で、年間260万人が訪れるという。今回登った山はその高尾山ではなく、頭に甲州がつく山梨県にある高尾山である。

 勝沼ぶどう郷駅に8時50分に集合する。2台のタクシーに乗車し、大滝不動尊には駅から15分ほどで到着した(約2000円強)。
 この山は昔から修験霊場として創建されたという。

 大滝の名の通り、石段を登った先にはいくつかの滝がある。説明板には5滝と書いてあるが、水が流れていないのもあり、見ためには2つ位しか見当たらなかった。

 山道に入ると、ミツバツツジをたくさん見かけた。ほとんどが満開で、薄紫のきれいな花弁を見せてくれていた。
 1時間弱で、富士見台に着いた。富士山は雲の中、残念ながら眺めることが出来なかった。ここから30分弱で、今回の登山コースの最高峰である棚横手山(1306m)に到着する(10:30)。

 しばし休憩し富士見台に戻る。ふたたび稜線伝いに歩いて行くと、目に留まるのが炭化している木々で、その傍に植わっている樹木はみんな若木だ。
 それもそのはずだ。4回も山火事があったのだ。不始末か、自然発火が知らないが、残念なことである。


 途中で、昼食を摂り、甲州高尾山に着いたのが12時10分である。


 地図には富士山の展望がよい、と書かれている。あいにくの曇り空で、集合写真を撮ってから、先に進む。5分ほどで、甲州高尾山の剣ヶ峰(1092m)に到着した。三角点が置かれている山である。

 花はミツバツツジに変わって、山桜がそこかしこに咲いていて、ちょうど満開である。今年はこれで何回目の花見だろうか。
 少し下がると、白い花をつけたアオダモが清楚な感じで咲いていた。

 右方向には甲府盆地の塩山駅そばにある「塩の山」を眺めながら稜線歩きがつづく。鉄塔の設置してあるところが、柏尾山のはず。だが、標識は無い。国道沿いにある大善寺に着いたのが14時10分。あいにくバスは行ったばかりで、駅まで歩くことにした。
 ぶどう畑の横を歩いて、勝沼ぶどう郷駅にはちょうど15時00分に到着する。


 今回の山行は、週間天気予報では雨だった。だが、登山中は降ることもなく、松ぽっくりや山菜等の収穫もあり、山登りのもう一つの楽しみを満喫し、快適に歩くことが出来たと思う。

 曇り空で、富士山や南アルプスの眺望はかなわなかったが、これはまたの機会に期待しようではないか。

 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№225から転載

鎖と直立の岩場が連続する、怖れるな 妙 義 山=栃金正一

山岳 : 妙 義 山 (1103m)

1.期日 : 2010年9月11日(土) 天気:晴れ

2.参加メンバ : L 栃金正一 武部実

3.コース : 妙義神社~大の字~奥の院~白雲山~タルワキ沢のコル~相馬岳~タルワキ沢のコル~中間道~妙義神社



 今回の山行は、9月下旬に行く黒部峡谷「下の廊下」のトレーニングを目的として計画した。鎖場などで高度感に慣れておくためだ。

 朝6時ちょうどに三鷹駅を車で出発した。7時45分に、妙義神社に到着する。登山の準備をしてから、8時00に歩きはじめる。

 天気は晴れだが、残暑が厳しく、歩いているだけでも汗が流れ落ちる。神社境内の脇で登山届を出し、奥の院を目指し、登山道を登って行く。
 昨夜、雨が降ったのか、岩がところどころ濡れている。途中、短い鎖場があるが、滑って登りにくい。
 1時間ほど登ると、5メートル程の大きな岩があった。鎖がついており、試し登りが出来る。岩の上には、大きな「大」の字がつけらているため、通称「大の字」と呼ばれている。足場がしっかりしているので、登り易い。

 岩の上からは、眼下に妙義山の裾野が広大にひろがって見える。

「大の字」から更に登ると9時35分に奥の院に到着する。ここから本格的な岩登りが始まる。右手に鎖があり、いきなり30メートルの直立した岩場だ。一気に登る。
 足場をしっかり決め、3点確保で、ゆっくり慎重に登りきる。しばらく灌木の道を行くと、7メートルの2連の鎖場があり、これを登ると主稜線に出る。

 主稜線を左に少しいくと白雲山で、10時00分に山頂に着く。

 山頂からは浅間山や榛名山、赤城山、奇岩の立ち並ぶ裏妙義、それらの山々が見渡せる。稜線づたいには短い鎖場がいくつかある。岩がしっかりしているので、ゆっくり慎重に進めば問題はない。

 さらに稜線をいくと「御嶽三社大神」の石碑がたつ、大またのぞきだ。10時30分に到着する。谷を挟んで、直立する天狗岳の岩壁がすさまじい。ここは、キレットになっており、30メートルの鎖場を下る。

 股の間に鎖を置き、下をのぞきながら下る、文字通り「大またのぞき」である。

 谷を越え、一気に登ると11時30分に天狗岳山頂に着く。さらに西肩のピークを越えてしばらく下ると、人の顔をした顔面岩があった。
 このあたりから一気に下り、タルワキ沢のコルには11時50分に到着する。

 ここで昼食をとる。

 昼食のあと、相馬岳を目指し登り返す。暑さで汗が噴き出してくる。12時35分に表妙義の最高峰の相馬岳1103メートルに到着する。
 山頂からは裏妙義の奇異な山々と、山腹にへばりついているすさまじい登山道を見ることが出来る。

 タルワキ沢のコルに戻り、一気にタルワキ沢を下る。沢道は荒れており、鎖場も2か所ある。慎重にルートを確認し14時10分に中間道に到着。

 第二見晴、第一見晴に立ち寄り、妙義神社の駐車場には15時15分に無事到着する。ふもとの温泉に入り汗を流す。
 温泉からは、いま登ってきた表妙義の山容が手に取るように見へ、より深い充実感が得られた山行となりました。


      ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№142から転載

【孔雀船Vol.92】 百人一首が濡れて = 望月苑巳

垣根越しにどこからか聴こえてくる

ピアノの音をほどいて背中を軽くする

なまぐさい世界に通じるのはこの夕焼けか

アゲハ蝶のようにひらひらと

定家は筆をひるがえして、そう思う

からだの中から湧いてくるのは

凧揚げやベーゴマ、チヤンバラごっこ

すべて後鳥羽院に取り上げられてしまった

子供のころの遊びばかり

薄っぺらい矜持だけは守ったが

いやいや、戦だけはいかん

魂の輪郭までなくしてしまうから、と

定家はさりげなく呟いてみせる

伊勢のおいしそうな首筋を思い出して

ゾクリ


難波潟みじかき葦のふしのまも


歌比べをしたのは

あの人の声が陰った時だ

勾欄の影が匂った時間だ

さりさりと悲しみの粒が湧いてきて

草深い里へ夫と帰っていったから

ことさら後ろ髪ひかれるのか


逢はでこの世をすぐしてよとや


百人一首を選びながら

ピアノの旋律をなぞって

定家の呟きは

短調に濡れたままだ


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

【孔雀船Vol.92】  日溜り = 藤井 雅人

池に日と空が映っていた

緑の木々のあいだ 水面の下に

ぬくもりに集う小世界のけはいがあった

蓮の葉は無数の音符となり 漂っていた

なだらかな雲のアルペッジョのうえに

日の光がゆっくりと 蜜の甘さに和むなか

自分のなかにあり 自分を傷つけていた

かたくなな幸せの形は溶けていった

宇宙のひろがりのなかに

静かで底深い 癒しの力のなかに


それは 数十年前のことだった

日溜りに 小さな歌声を絡みあわせていた

水辺の小宇宙をまた訪れようか

そして祈ろうか

おのれの心を もっと溶かしてくれるように

それが謙虚な

宇宙に宥されるものとなるように



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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船Vol.92】 水とりんご=紫 圭子

水の朝

朝の水

昇ってくる太陽

水に時間はあるのだろうか


塩漬けされたりんごは腐らない


幼年の日

祖母の家

水は山の湧き水をパイプで取っていた

水の湧く場所へ登るのがすきだった

初夏の水が音をたてて光っているなかへ

りんごを放すのがすきだった

海辺に住む幼な子は

湧き水のなかに

水平線から昇る太陽そっくりなりんごを見る

りんごをかじって 太陽をかじって

ヤッホー!

山の峰に木霊する声を両手でつかまえて草のうえを転げた


りんごは食べてしまったけれど

水はどうなったの


りんごをつつんだ水

いっしゅん、かたちを脱いで

また別のかたちをつつみにでかけたの


朝の水

手をぬらして過ぎていく

わたくしの手をつぎつぎに包み破って

水の朝は昇ってくる


昇ってきたものは

塩漬けしておいたりんごのもとへかえってゆくだろう


りんごのなかに太陽が入って

太陽のなかにりんごが入って


目を見開くと無数の光る微粒子が

蛍みたいにチカチカ

顕微鏡でのぞいた精子みたいにチカチカ

くうかんをおよいでいるのが見える


純化していく

湧き水に似た宇宙大海

みずが くうかんが

塩漬けされたりんご

記憶を呼び覚ます



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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船Vol.92】 ひょいと=苅田 日出美

ひょいと

むこう側に

寝返りをうつようにして

転がりこむのだろうか


まし時計は

いま6時10分で秒針はすいすいと回っている

ベッドの上から

そんなシーンを眺めている


ひょいと

むこう側へ転がってしまいそうな 朝

暖房のリモコンをONにして

パジャマを脱ぐ


そういえば

これまで生きてきた時間のなかで

ぷっつりと切断された時を

二回だけ経験したことがある


手術のために全身麻酔をされて

気がついたときには何も覚えてはいなかった

夢をみるとか親しい人の声を聞くとかいうこともなく

数時間は空白で

そのままで むこう側に転んだら

なんにも無くて

白紙のようなものがプリンターから

エンドレスに出てくるのかも


ねむい眼をこすりながら ひょい ひょいと

キッチンに降りてきて朝食のパンを焼く

それがルーチンなのだろう

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【孔雀船Vol.92】 ひさしぶり=中井ひさ子

羽音がした

ごきげんさんと声がかかった


カラスごときに知り合いはない

耳の底がうごく

奇妙な懐かしさが

にじんでくる


会ったことあるか


子どもの頃か

いや

もっともっと


なみだつ向こう

おぼろな 

ひかりのなか


目と耳だけで話したな

抱えていた思い


宙にういていたな

いちにのさんで飛び降りた


カラスになってどうだった

トカゲとイモリが怖いねん


人の暮らしはどうなんや

人ってあんがい怖くって


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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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【孔雀船Vol.92】 さくらいろにそまれ廃墟=船越素子

  さくらいろにそまれ廃墟

     新宿梁山泊「少女都市からの呼び声」2018・3・26へ寄せて

                                  船越素子

廃墟のように生きてきたので

そういって帽子をとり会釈する男に

見覚えはなかったが

でらしねのひとだろうか

かすかに古めかしい匂いもする

そのノスタルジアは涙をさそう

胸と石畳に彫り込もうとした

若くて無謀なわたしの記憶を

あなたは空中で抱きとめた

人はノスタルジアで死ぬのですよ

焦がれる思いが胸を突き破る

丸の内三号館 秘密の花園前にて下車

ゴム引きコートの裾翻し

あなたと呼ばれる男が消えていく


都心の一等地のまぼろしの廃墟で

果てしない土地転がしのその先の先へ

スカラベ・サクレの相似・相反性を

いつかはあなたと語りあいたいから

ファーブル『昆虫記』をひもとき

ランチボックスをひろげ

昼の時間を 笑いさざめいていたのだ


気づきもしないだろう

あの中庭のマロニエと

出会ったときにはもう 

恋におちていたということ

樹の根はいのちだから

ガラスの子宮が砕け散っても

密やかな作業が繰り返されること


それからは害虫駆除も剪定も

砂粒のような日々を労働にかえた

地下茎が繰りひろげる

不思議な挨拶の作法が

わたしの身体奥深くに棲みつき

さくらいろのガラス玉が廃墟を埋めつくす

いつしか瓦礫のむこうから

吹き荒ぶ行軍の気配が たしかに近づいてくる


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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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イラスト:Googleイラスト・フリーより

緑と紅のコントラストが魅了する飯豊山(2105m・個人山行)=関本誠一 

日時:2014年9月下旬  晴れ時々曇り

コース:【二日目】大日杉小屋~地蔵岳~切合小屋~本山小屋~飯豊山 (往復:10時間)


『山行』
 南麓(川入)からの山行を計画していたが、昨年7月の集中豪雨で川入に通じる道路が寸断、『開通見込みない』とのこと。

 今年(2014年)はなかば諦めていたが、東麓から登るルート(中津川口)が車利用で可能なことに気づいた。
 まず最寄り駅からのタクシーを考えたが、駅がローカル線で東京から乗り継ぎ不便なのと、タクシー代が約1万円と高額なので諦めた。
 今回は山形新幹線・米沢駅でレンタカーを借りて、3時間かけて登山口がある大日杉小屋まで入る。
 町営の山小屋だが、鉄筋高床式で隅々まで清掃されて、まるで新築のようだ。

 素泊り(,500)のみで、8月迄のシーズン中は管理人も駐在し、女性も安心の山小屋だ。毎夕、見回りの管理人から尾根上の山小屋の情報入手し、翌日に備え、早めに就寝する。

【二日目】

 4時に起床する。朝食後、5時に出発した。今日は尾根にある小屋で泊まる予定なので、シュラフ・コンロ・コッフェル・食料など自炊装備を背負っての長丁場だ。
 登山口からほどなく、ザンゲ坂の急登が待ち受ける。
 鎖はないが、土が滑りやすいので、慎重に行登っていく。このコースは地蔵岳までの急登をどう乗り切るかが、キーポイントになる。
 途中『だまし地蔵』と呼ばれるピークあたりで、疲れもピークに達する。最近は、軽量装備で山頂往復という登山に慣れているせいか、今回のフル装備は一段と辛い。

 8時に地蔵岳に到着、ようやく谷を挟んで、飯豊山の全容を見ることができる。なんと立派な山だろう。これを見たら、誰でも感動する素晴らしい景色だ。
 地蔵岳から、ダケカンバの休憩ポイントまでは、アップダウンを繰り返しつつ、緩やかな下りだ。
 最低鞍部からは、飯豊山、切合小屋、種蒔山に至る稜線が、間近に見え気分も、ハイテンション。残り僅かになった秋のお花が元気を与えてくれる。

 切合小屋の手前にやぶ漕ぎ道があるが、左側から初夏の雪渓跡?を避けていけば、問題なく切合小屋に出る。
 ここからは、飯豊の醍醐味である。この時期は紅葉前線のなか稜線を本山に向う。
 快晴の空、緑と紅のコントラストが素晴らしい。草履塚、姥権現、御秘所と緩やかなアップダウンを繰り返す。御前坂の標柱まで標高を下げ、そこから本山小屋へ最後の急登だ。
 小屋前ベンチに荷物デポ、山頂へは平坦な道を約20分。山頂からは梅花皮方面の眺めも一段と素晴らしい景色だ。


 時間的に早かったので、山小屋には泊まらず、日帰りにすることに決定する。下りは登ってきたコースを逆に辿る。
 飯豊山はアクセスもルートも長く遠い存在だったが、今回ようやく山頂を踏むことができた。
 天気も待ちに待った晴天である。登りのきついということも忘れてしまうほど、なんと景色の素晴らしいことか…。
 しかし、飯豊の魅力のほんの一端しか触れてないと思う。それでも、すでに飯豊のとりこになってしまいそう。
 まさに『飯豊はイイデ~!』(笑)という皆さんの言葉通りの山です。ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。

(草履塚から望む飯豊本山)

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№189から転載 

名もなきキノコの群生地、山梨県・倉見山(1256.2m)=佐治ひろみ

日時…2014年10月7日(火) 

メンバー … L武部実、飯田慎之輔、石村宏昭、大久保多世子、中野清子、佐治ひろみ、関本誠一

コース … 富士急行線・東桂駅 9:30 ~ 山頂12:30 ~ 堂尾山公園 ~ 寿駅15:00


『山行』

 台風で中止になった甲斐駒ケ岳の代案で倉見山に登って来ました。

 東桂駅に9:30に集合する。駅前から南に20分ほど歩くと、長泉院というお寺の墓地に着く。ここが倉見山の登山口になっていて、案内板も出ていた。なんだか変な感じだが、墓地の中からスタートすると、まもなくお堂が出てくる。

 そのまま進むと、道はだんだんと急になり、息も弾んでくる。両側はアカマツの林で、立派な木の根元には松茸が、…あるわけはないが、名前も知らないキノコが大小はえていて、見つけながら登ると面白い。

 鉄塔の所で、おやつ休憩の後、更に急坂を登る。
 道は相変わらず林の中の登り一辺倒だが、たまに木々の切れ間から三ツ峠方面や、下の町並みがきれいだ。

 そのうちに登山道には、トリカブトの花が目立つようになり、下山するまであちこちに咲いていて目を楽しませてくれた。

 それよりも楽しかったのは…、突然大きなナラの木? の根元に何か発見し、一同ざわめきが起こる。それはナメコの形をしたキノコの大株である。あちこちに生えていて、食べられるかは疑問だったが、誰か地元の人に聞くとして、みんなでビニール袋に2つも取ってしまった。

 それを担いで、更に登ったり下ったりすること30分。最後の急坂を登り切ると、頂上に到着する。

        倉見山山頂にて

 目の前に富士山が見えるはずだが、残念ながら今日は雲の中である。
 さっきのキノコを手に持ち記念撮影し、少し先のベンチで、昼食を取ることにした。富士山は見えないけど、6人で秋の果物などつまみながら、楽しいランチタイムだった。

 約30分の休憩後、寿駅に向けて出発する。登りもそうだったが、ここもイノシシが掘り返したのか、登山道はフカフカに耕されて、足には気持ち良い。登りルートに比べると、傾斜も緩やかで、回りも開けた感じだ。

 下りながら、杓子山や富士吉田方面の眺めを味わう。ススキの穂がいかにも秋の山行らしい。
 途中の堂尾山公園の東屋は屋根が壊れていたが、ここまで来ると、もう下界の音もチラホラ聞こえる。
 腰ほどある草をかき分けて下ると、ほどなく車道が見えてきて、14時40分本日の山行も無事に終了する。

 あとは寿駅への車道歩き。道々、地元の人に、先ほどのキノコを見せるが、はっきりとした回答は得られず、大月の観光案内所で紹介された定食屋のおばちゃんに聞く事なる。

 15:13発の電車で大月に戻り、定食屋で≪大≫反省会をして締めくくる。
 
 台風で甲斐駒には行けませんでしたが、武部さんの計らいで一日楽しい山行ができました。秋の味覚のキノコのその後は、中野料理長に聞いてみましょう。

 皆様お疲れ様でした。

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№182から転載

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