寄稿・みんなの作品

【孔雀船93】  痛いと言わない =  臺 洋子

目に見える擦り傷や切り傷なら

消毒をして絆創膏を探す

けれど

心に刺さったままの棘や

ふいに落ちて来た鋭い刃先が

胸の中をぐさりと刺しても


すぐに

痛いと言えない


きっと 見えない痛みは

「そんなこと」も処理できない

弱いものの証しだから

みんな 痛いと言わないのだから


そこから見る空は

たとえ瑠璃色に澄み切っていても

どこか狭苦しく くすんで見える

太陽は行く先を照らさない

ただ周囲を見渡すための照明のように

昼と夜を区別するだけ


コンピューターは痛いと言わない

ロボットは痛いと言わない


人前で

笑顔をつくりつづけ

長引く痛みの血だまりを隠しながら

不具合を起こさない鋼鉄の一員を装い

自分の居場所を守っている


痛いと言わない 縦書き PDF


    イラスト:Googleイラスト・フリーより


【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738

干支の数にちなんで12山だ。めざすは単独山行・甲斐駒ケ岳(2967m)=武部実 

平成26年10月17日(金)~18日(土)

参加メンバー:武部単独

コース:長衛小屋~仙水峠~駒津峰~甲斐駒ケ岳~駒津峰~双児山~北沢峠



 今年の干支はウマ。ということで馬・駒の名がつく山を登ろうと思いついた。

 干支の数にちなんで12山だ。一月に奥多摩の馬仏山(723m)に最初に登り、甲斐駒の前で9山を数えるまでになった。
 ところで駒ヶ岳と名のつく山は全国に20座位あるといわれているが、その最高峰が甲斐駒ケ岳で、最低峰は2月に行った越生駒ヶ岳(363m)だ。
 甲斐駒は本来なら会山行(L佐治)で行く予定であったが、残念ながら雨で中止。その後の皆さんの日程が合わないということで、今年中に何としても登りたかった私の単独になってしまった。              


 今回泊まった長衛小屋は、北沢峠から10分ほどの所にあり、最近リニュアルしたということで小奇麗だ。当日の宿泊客は7~8人なのでゆったりと過ごすことができた。
         
 翌朝5:00出発。外気温はマイナス1度である。ダウンジャケットを着こみ寒さ対策はバッチリ。満天の星空を眺めながら、真っ暗闇のなかを歩き始める。
 登山者と会うこともなく、暗闇の中を一人で歩くのは気持ちのいいものではない。 

 30分で仙水小屋に着。この辺りから空が白々としてくる。と同時に気温が上昇してきたのか、ダウンを脱ぐ。               

 6:10仙水峠に着いた。樹林帯を抜けて見通しが良くなる。正面に摩利支天が、東には鳳凰三山の地蔵が岳のオベリスクが、そして振り向けば雪を被って真っ白な仙丈ケ岳を眺めることができた。
                      
 峠を越えると急な登りになってくる。一時間ほど登り、振り返ると雪で真っ白な北岳が見えてくる。ここから眺める北岳は、尖鋭な形に見えて恰好いい。
    
 7:40駒津峰(2752m)に着。ここで一休み。西に目をやると、今年の8月に登った御嶽山の噴煙が見られ、東には地蔵が岳の後方に富士山が眺められた。

 数日前に降った雪が所々に残っているが、特に問題は無い。しばらくして直登ルートとまき道の分岐になり、今回はトラバース気味に登る。

 9:15山頂に着いた。360度の展望だ。近くの南アルプスはもちろんのこと、中央アルプスや北アルプスまでも一望できて大感激だ。

9:30出発。摩利支天はパスし、先を急ぐ。駒津峰は朝と違って登山客で一杯だ。双児山を通り北沢峠に12:50着。
 13:30発のバスに間に合いひとまずほっとする。ウマ年の山は、駒津峰と甲斐駒2座を加えて11山になる。目標達成まで残りはあと1山だ。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№216から転載

秀麗十二景の10番目の九鬼山(970m)= 開田守

平成30年2月14日(水) 

参加メンバー:L武部実、岩渕美枝子、中野清子、古賀雅子、開田守の計5人

コース:禾生駅~杉山新道~九鬼山~紺場休場~分岐~田野倉駅



 九鬼山は大月市選定の秀麗十二景の10番目の山稜である。集合は富士急行線の禾生駅9:50である。
 富士急線の大月駅から3つ目の禾生駅(421m)から、国道139号線を大月方面へ15分ほど歩き、リニア新線の高架手前の桂川を落合橋で右に渡ると、九鬼山への表示があった。
 平行して古いレンガ造りの落合水路橋がある(発電用のものだそうです)。

 その水路橋のトンネル(天井から氷柱があった)を抜けると道標があって、左は愛宕神社経由の道、右の杉山新道へ行く。枯れ沢に沿ってチラホラ雪のある道を行く。途中には水道用ホ―スの穴が空いていて、その水の飛沫が凍ってきれいな氷になっている。
 急坂をジグザグ登る道は倒木が目立ちます。やがて凍りついた雪道になったので各自アイゼンを付ける。

 何回かのピークを味わい、ようやくさらにもうひと登りで富士見平になる。見事な富士山が自己主張していた(12:07)。天気が良くてよかった。
 ここで日当たりのよい暖かい所で昼食をとる。20分ほど昼食休憩してから山頂へ向かう。数分で九鬼山の山頂には12時47に着いた。

 以前には富士山が眺められなかったと聞く。今は少し伐採されていて見られます。三角点にタッチしてから、北東になるのか尾根を下っていく。
 急な雪面もあって危ない道である。トラロ―プもあったがたるんでいて、これも危険だ。岩場もある。ゆっくり慎重に行く。

 やがて小広い平地へ。ここが紺場休場か、でも道標はない。少し行ってから田野倉駅への分岐へ。まだ雪があるけれど、そろそろアイゼンを外そうかと思って下る。

 雪もなくなったところで、もういいかとアイゼンを外す。やがて林道へ出る。ここは少し凍っているので注意を要する。田野倉駅へと歩きだす。15:23発の大月行にようやく間に合った。

 天気がよいのが何より。私は秀麗十二景の登ってないところは4つほどまだあります。富士山が眺められるのは五分五分、季節は冬がいいのでは。都留市にも二十一秀峰が選定してあるそうだ。

 大月市の山の道標で、真ん中に紫色のロゴがあるのは、猿橋を似せたものかと思っていましたが、大月市郷土資料館の職員さんに聞いたところ、旧笹子トンネルだそうです。反省会は大月で。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№223から転載

武蔵野の自然を満喫できる、日立中央研究所内(野川水源)見学=栃金正一

1.期日 : 2018年4月14日(土)曇り時々晴れ

2.参加メンバ : L栃金 上村 渡辺 伊東 星 野上 武部 岩淵 脇野 中野 
佐藤 古賀 他3名

3.コース : 国分寺駅~日立中央研究所~姿見の池~お鷹の道~殿ケ谷戸庭園~国分寺駅
       

 日立中央研究所(以下中研と表記)、もともとは、今村銀行(後の第一勧業銀行)の頭取の今村繁三の別荘地を日立が譲り受け昭和17年に設立したもの。設立にあたり創業者「小平浪平」の「良い立木は切らずに、よけて建てよ」という意志が、現在も引き継がれ自然環境が維持・整備され、毎年春季に一般開放されている。


 10:30に国分寺駅に集合。日立OBの岡田さんの案内にて、徒歩7分位で中研正門に到着する。
 受付を済まし正面の「返仁橋」と言う深い谷に掛かっている橋を渡る。橋の真ん中あたりで下を覗くと、小さな川が流れているのが見える。橋を渡り切ると大きな噴水があり、その向こうに6階建ての研究棟が建っている。

 建物の脇を通り広場に行くと、ステージがあり催しものをやっている。周囲には模擬店等もあり大勢の人が飲んだり食べたりしながら楽しんでいる。


 広場を通り過ぎ道を下って行くと大きな池に出る。池の大きさは、10,000㎡で周囲は800mあると言うので、池の周囲を回ってみる。途中道からはずれて、国分寺崖線(通称 はけ)からの湧水を見に行く。崖の下から澄んだきれいな水がチョロチョロと湧き出ている。これが、「野川」の源流のひとつとのこと。

 大池の奥に行くと、年2回花を咲かせると言う「十月桜」を、花の終りかけであるが、見ることが出来た。
 少し行くと「生きている化石」と言われている「メタセコイア(アケボノスギ)」が大きく空に向かってそびえている。さらに少し行くと水門がありここから池の水が「野川」へと流れて行く。

 大池巡りを終り、坂を上って行くと「御衣黄(ギョイコウ)」と言う大変めずらしい、花びらが緑色の桜の木がある。残念ながら花は終わりかけていたが、わずかながら緑がかっていた。黄色い「タンポポ」が、一面に咲いている芝生の上で待ち遠しかった、昼食をとる。

 昼食後、中研を後にして西国分寺の「姿見の池」から中央線を渡り広々とした「東山道武蔵路」跡をゆったりと歩き「野川」の源流のひとつである「真姿の池」を見学した。

「お鷹の道」を通り国分寺駅近くの公園でガイドの岡田さんに感謝して解散した。まだ、時間があったので、有志で「殿ケ谷戸庭園」を見学した。今回は、都内に数少ない武蔵野の自然を充分に楽しんだ一日となりました。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№228から転載

眠れぬ夜の百歌仙夢語り<七十八夜>  望月苑巳

 何が楽しくて野郎ばかり三人で飲んだのか分からない。
 その時なぜかパンツの話になった。
 オイラが「俺はトランクス派だよ。風通しがよくて蒸れないから」というと、髪の毛がすだれのY君がのたもうた。
「いやいや、断然ブリーフだね。締まりがあっていい。第一漏れないからな」
「確かに」
 思わず頷いてしまったオイラはお漏らしジジイか。

 そこで黙って聞いていたむっつり助平のK君に「おい、おまえはどっち派だ」と聞いたら胸を張って答えたね。
「それがどうした、俺は紙オムツ派だ」
 心なしか目が虚ろだ。
 そうだよなあ。気がつけば古希。古来稀なりという言葉にドキリとする。坂道を上がれば心臓が鯉みたいにバクバクする。後期高齢者という棺桶に片足を突っ込んでいるんだから。
 神も仏もないとはこういうことか。
 下ネタ続きで申し訳ないが、有名なエピソードを一席。いや、これは神かけて真面目な下ネタだ。

 和泉式部といえば恋多き女として知られる。熊野詣に出かけた時のこと。本宮の近くまできたら、何と月のものが始まってしまった。不浄の身では参拝するわけにはいかない。
 仕方なくその場から熊野権現を伏し拝んだという。
 その時に詠んだ歌がある。

晴れやらぬ身にうき雲のたなびきて月のさはりとなるぞ悲しき

 月のものまで詠んでしまうという、和泉式部の歌に対する情熱にはただ脱帽あるのみだ。さすがとしか言いようがない。しかもこれには後日談がある。
 歌を詠んだ夜、和泉式部の夢枕に熊野権現が現われ

もろともに塵に交わる神なれば月のさはりもなにか苦しき

 と歌を返してきたというのだ。これは「紀伊続風土紀」にあるのだが、伏拝という地名はここからきているという。ふうむ、伝説恐るべし。いや、神様も粋なことを言うもんだ。どうです、真面目な下ネタだったでしょう?

 そんなことを書いたから罰が当たったのか、12月に入って人生初のインフルエンザB型にかかった。
「当選おめでとうございます!」
 医者の結果を伝えるとマグロの奥さん、目をウルウルさせ、ここぞとばかりに娘と孫に一言。
「近寄っちゃダメ、口をきくのもいけないの、目を合わせたらおしまいよ。それだけでうつるからね」
 俺は妖怪人間ベムか。おかげで一週間アルカトラズの独房生活を味わったぞ。
 余談だが、昔読んだ朝日新聞のコラムに工藤雅世という人がこんなことを書いていた。

「私たちは他人と出会ったとき、緊張や警戒心から、無意識に相手との間にある空間を保とうとする。この空間を、心理学ではパーソナルスペースと呼ぶ」
 そしてこのパーソナルスペースの距離は民族や文化によって違うというのだ。
確かにパリのカフェではテーブルが混みあった状態で配置されていても人々は違和感がない。アラブ人やラテン系の民族でもそうした傾向があるという。

 一方アメリカ人やイギリス人は警戒心が強くスペースを大きく取るというデータがあるそうだ。日本人もこの部類に入るのかも(ただしテロが頻発する現代ではこれらのデータは信憑性に欠けるが)。
この大きさを知る「接近実験」という方法によれば女性は男性が近づいてくると大きなスペースを確保しようとするが、男性は逆に女性が近づいても大きなスペースを取ることがないという。

 男はみんな下心があり、女性は「男はみんな狼よ」という歌(昔だから若い人は知らないだろうな)がある通り原始的な警戒心が感覚的に出るのだろう。
 なぜこんなことを書いたかというと、家族とのパーソナルスペースについて考えてしまったからに他ならない。

 さて無事に〝アルカトラズのお勤め〟を終えて久しぶりにアルコールにありついた。おでんをつまみにチビリチビリやっていると、今や安上がり制作のテレビ番組には欠かせない幻の温泉宿という番組をやっていた。
 修験者が宿の裏で瀧に打たれている。
 孫の樹が「源泉かけ流しだね」と言った。確かにその通り。むしろかけ流しというより垂れ流しと言ったほうが正しいかも。
 気がつけばもう高校二年生。先日のテストで赤点があったらしい。頭抱えて
「ドツボだ~」
それも2科目だから
「ドツボのミックスジュースだ~」
「人生の交差点で轢かれた気分だろ。きっと赤信号だったんだよ」と慰め?たら「そんなところに信号機はない」とプンプン。
「少しは勉強して人間の見本になってみろ」といったら、それは「理科室にあるよ」だと。それは人体模型のことだろうが。
 ああ言えばこう言う、社会に出ても口だけが達者な嘘つきな大人にはなってくれるなよ。
「ただいま~」
 そこへ正月のお宿下がりで、すっかり太めになってしまった長女の綾夢姫が孫の明里ちゃんを連れて帰ってきた。
 夫とうまくいっていないのか多少ノイローゼ気味か。玄関を開けていきなりマグロの女房殿に抱きついた。
「充電できた~」
 そうか、バアバはバッテリーだったのか。しかも、家にいて分かったことがある。
この綾夢姫が「(娘の)明里はいくら食べても二時間経つともうお腹が空いたっていうのよ。凄く燃費が悪くて困っちゃう」とこぼすのだ。(知らなかったよ。明里は外車だったのか!)そりゃあ、母親に似たんだろう。早く気がつけよ。


眠れぬ夜の百歌仙夢語り<七十八夜> の全文は、PDFでお楽しみください

眠れぬ夜の百歌仙夢語り〈七十七夜〉 望月苑巳

 朝起きて私と顔が合うなり、我がマグロの女房殿は言葉の十字砲火、怒りにロックオンだ。台風ならカテゴリー4くらいの強さか。
「トイレを使ったら必ず窓を開けてよね」
「え~っ、お風呂の水もう抜いちゃったの、これから洗濯に使うんだったのに~。もう勝手にやらないで」
「パンツは裏返しに干さないで、タオルは端をピンとさせてよね。いい加減常識でしょ」
 終いには付録でこんな一言も。
「何でも先にやらないと気がすまないんだから。あなたは棺桶の蓋まで自分で閉める気ね」
 よく聞くと、身体が太っているので言葉も太っている。
「あなだはがんおげのぶたもじぶんでじめるぎね」
 “立て板に文句“とはこういうことを言うのだろう。苦情のデパートだ(どこかで聞いた言葉だな)。次は「勝手に息を吸わないでよ」なんて言いかねない。オゾロジヤ~。といいたいところだが、そこは大人の対応で、額を床につけ速攻で謝る
「申し訳ございません。どうかお許しください」
(ウソダピョン?)。非常識な顔(どんな顔だよ)が、もはや条件反射になっている。悲し~い。俺はパブロフの犬か(前にも書いたな)。
 でも逆に考えれば、この言葉の速射砲、実はマグロの女房殿の健康のバロメーター。今日も元気印の証拠だと考えればいいだけ。先に逝かれちゃ寂しいからな。

 次女の希望が朝シャンしたらしく〝貞子〟のような姿で降りてきた。
「オカーサン、それじゃオトーサンが可哀想。まるでカスみたいじゃない」と助太刀に入ってくれた、と思ったら続けて「オトーサンにも生きる権利があるんだから」だと。これじゃ共謀罪が成立するぞ。ファッショだ、人権蹂躙だ、祭りでワッショイ! (おちゃらけてはいけません=天の声)
 ヤケクソで「俺を空気と思ってくれ」と言ってしまった。すると、
「空気もオナラするのね」
「それはきっと空気漏れだよ」
「空気漏れってなんでこんなに臭いの?」
「腸内フローラが悪さするからだろ」
「いいものばかり食べさせてあげてるのに恩知らずね」
「どうせ町内の不良ら、さ」
 恩知らずですみません。風評被害が怖い。これ以上言うとまた反撃を喰らう羽目になるので、ただただお腹をさするばかりのオトーサンでありました。おやっ、お腹が無礼千万にもコダマしています。アブナイアブナイ。こそこそと地下の秘密の部屋へ退散といきますか。
 気分一新、天変地異、無知蒙昧が、まさかのジャーマン・スープレックスを食らって床にはべっていた本を開く。

眠れぬ夜の百歌仙夢語り〈七十七夜〉の全文はPDFでお楽しみください

眠れぬ夜の百歌仙夢語り〈七十六夜〉 望月苑巳

 忙しくて昼間洗濯ものを干せない時がある。仕方なく夜中に干そうとしたら「お月さまの匂いがつくからやめなさい」と娘(次女)の希望(のぞみ)に一喝された。
 なるほど、そうかと頷いたら続けて「かぐや姫にも笑われるし」だと。いろいろな考えがあるものだと感心。

 手をつないで寝たら同じ夢が見られると思うほどバカではないが、常識派でもないようだ。
 年賀状を書くつもりが脅迫状を書いてしまった一昨年も、はや記憶の彼方。年明けから母の一周忌法要を終えてホッとしているが、親不孝な娘たちにはいつも手を焼いている。ジイジとバアバ。神経戦は心が休まらない。

「バアバ、具合でも悪いのかな。まだ寝ているから起こしてきて」と孫の樹(いつき)に頼んだら「起きて」というべきところを、何を血迷ったか「生きてーっ」と叫んでいる。


 おいおい、勝手に殺すなよ。
 衣替えがあるんだから「子供替え」や「孫替え」があってもいいんじゃないかとバアバに提案したら「もっとひどい子がきたらどうするのよ。返品きくの?」というから私はきっぱりといいました。
「きっとクーリングオフがあるさ」
「オレオレ詐欺にあうかもしれないし」
「その時は、ボケたふりすればいいだけ」
 そんなことを言っている間に世界は大混乱に陥っていた。

 希望的観測がとんでもない結果を産むという見本が、USAトランプ大統領の登場だろう。民主主義の落とし穴が見つかったわけだ。ドナルド・ダックが世界を混沌の海にぶち込みやがって! 

 おっと、我が家のトランプは大丈夫だろうか。へっ?それは誰だって? 口が裂けても言えません。想像にお任せします。
 花金だというのに気分はブルー。マタニティでもないのにどうしてかな。こういう時は気分転換するに限る。いつものように酒瓶片手に地下世界にもぐるとしよう。

 そうだ、前回、大伴家持について少し書いてみたけど、残尿感のまま出てきたトイレ(汚くてごめん)みたいな物足りない部分があったので、今回もその続きをチョロチョロと(やっぱり残尿感だ)。

 さて真面目に! 万葉集に家持の歌は約二百二十首載っているが、とりわけ彼の持ち味が出ているのは天平勝宝二年以降に作られた作で、巻十九に多いというのが一般的な学者先生方の見解である(おいらはアカデミックな考えは嫌いだ。これって自己分析すればコンプレックスだろうな)。

 さて、お立合い。越中国守として六年の赴任がようやく解け、家持さんが都に帰って来たのは翌三年八月。この時家持は少納言になっている。つまり任が解ける一年ほど前に優れた歌がまとまって生まれたということになる。きっと心の重荷がなくなることになって軽やかな歌心を遊ばせることができたということだろう。

 眠れぬ夜の百歌仙夢語り〈七十六夜〉の全文はPDFでお読みください 

多摩川の水干で、山と水に感謝  笠取山 市田淳子

山岳名 : 笠取山(1941m)
                          
期日:2018年6月2日 晴れ

参加メンバー:L栃金正一、上村信太郎、開田守、金子直美、市田淳子

コース:作場平橋駐車場~一休坂~笠取小屋~笠取山~水干(みずひ)~笠取小屋~ヤブ沢峠~一休坂分岐~作場平橋~駐車場

歩行時間 : 約6時間

 ずっと行ってみたいと思っていた「水干(みずひ)」に行くことができた。水干とは、沢の行き止まりの意味で名付けられた多摩川の源だ。
 ここから雨水はいったん土の中に浸み込み、60mほど下で、湧き水として姿を現し、多摩川の初めの流れとなる。
 一滴の雨水が多摩川の水に……。何とロマンティックなことだろう。私にとって多摩川は子ども時代から親しんできた川、自然との接点だ。

 しかし、その多摩川は小学生の頃、汚染の象徴となった。今、この清い水を目の当たりにして、下流の水を知る私は、やはり自然保護を訴えないわけにはいかない。


               *

 作場平の駐車場から、一休坂を経て、笠取小屋に着いた。小屋の前から大菩薩嶺が美しい姿を見せた。
 笠取山へ向かう樹林帯は、大菩薩嶺から丸川峠に抜ける道に似て、コケが多い。樹林帯を抜けると、急に展望が開け草地が広がる。
 かつて山火事に見舞われ、高木は燃えてしまい、その結果草地が広がるのだが、この景色は滝子山に似ている。
 ここには小さな峰があり分水嶺となり、富士川、荒川、多摩川に分かれ、市民に水を提供している。ほんの少し下ると、笠取山の山頂が見える。

 山頂まで直登であることは一目瞭然だ。あの斜面を登るか、と思うと気が重い。しかし、登ってみると、それほどでもなかった。

 後ろを振り返りながら見える景色は、辛い登りを緩和させてくれた。
 いよいよ山頂だ。初めにある「山頂」の道標は本当の山頂ではなく、その奥に本当の山頂が控える。大菩薩嶺、鶏冠山が見えるので、地図を見て山の位置を確認した。

 北側斜面にはシャクナゲの群落があり、この群落はしばらく続いている。見頃は過ぎたが、かろうじて間に合ったようだ。山頂で昼食を済ませ、水干に向かう。
 岩場を下り「水干」の看板。ここでキバナノコマノツメに出逢った。水干は雨が降ると水滴
が見えるようだが、この日は見えなかった。

 少し下ると、湧き水が現れ、流れを作り、渓流になる。水に恵まれた日本だからこその景観だ。この水があるからこそ、我々は豊かな生活ができると思うと、山の恵みに感謝の気持ちでいっぱいになる。

 砂漠の国では考えられない豊かさであり、水道の蛇口をひねると、水が当たり前に出ること
を今一度、簡単なことではないと、胸に刻みたい。

 ここからヤブ沢峠に出て、心地良い水の音に癒されながら、渓流沿いを歩き、元きた道に戻り作場平の駐車場に着いた。

 天気も良く多少の渋滞はあったものの、ほぼ完璧に予定をこなし、期待通りの笠取山の山行に感謝です! (森林インストラクター)


   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№226から転載

ミツバツツジ 、山桜、アオダモを楽しむ=甲州高尾山 武部実

山岳名 : 甲州高尾山(1106m)

平成30年4月17日(火) 曇り

参加メンバー:L佐治ひろみ、渡辺典子、武部実、中野清子、開田守、佐藤京子、金子直美、宮本武の計8人

コース:勝沼ぶどう郷駅からタクシー~大滝不動尊~富士見台~棚横手山~富士見台~甲州高尾山~剣ヶ峰~柏尾山~大善寺~勝沼ぶどう郷駅


 世界一登山者が多い山は、ご存知のとおり高尾山で、年間260万人が訪れるという。今回登った山はその高尾山ではなく、頭に甲州がつく山梨県にある高尾山である。

 勝沼ぶどう郷駅に8時50分に集合する。2台のタクシーに乗車し、大滝不動尊には駅から15分ほどで到着した(約2000円強)。
 この山は昔から修験霊場として創建されたという。

 大滝の名の通り、石段を登った先にはいくつかの滝がある。説明板には5滝と書いてあるが、水が流れていないのもあり、見ためには2つ位しか見当たらなかった。

 山道に入ると、ミツバツツジをたくさん見かけた。ほとんどが満開で、薄紫のきれいな花弁を見せてくれていた。
 1時間弱で、富士見台に着いた。富士山は雲の中、残念ながら眺めることが出来なかった。ここから30分弱で、今回の登山コースの最高峰である棚横手山(1306m)に到着する(10:30)。

 しばし休憩し富士見台に戻る。ふたたび稜線伝いに歩いて行くと、目に留まるのが炭化している木々で、その傍に植わっている樹木はみんな若木だ。
 それもそのはずだ。4回も山火事があったのだ。不始末か、自然発火が知らないが、残念なことである。


 途中で、昼食を摂り、甲州高尾山に着いたのが12時10分である。


 地図には富士山の展望がよい、と書かれている。あいにくの曇り空で、集合写真を撮ってから、先に進む。5分ほどで、甲州高尾山の剣ヶ峰(1092m)に到着した。三角点が置かれている山である。

 花はミツバツツジに変わって、山桜がそこかしこに咲いていて、ちょうど満開である。今年はこれで何回目の花見だろうか。
 少し下がると、白い花をつけたアオダモが清楚な感じで咲いていた。

 右方向には甲府盆地の塩山駅そばにある「塩の山」を眺めながら稜線歩きがつづく。鉄塔の設置してあるところが、柏尾山のはず。だが、標識は無い。国道沿いにある大善寺に着いたのが14時10分。あいにくバスは行ったばかりで、駅まで歩くことにした。
 ぶどう畑の横を歩いて、勝沼ぶどう郷駅にはちょうど15時00分に到着する。


 今回の山行は、週間天気予報では雨だった。だが、登山中は降ることもなく、松ぽっくりや山菜等の収穫もあり、山登りのもう一つの楽しみを満喫し、快適に歩くことが出来たと思う。

 曇り空で、富士山や南アルプスの眺望はかなわなかったが、これはまたの機会に期待しようではないか。

 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№225から転載

鎖と直立の岩場が連続する、怖れるな 妙 義 山=栃金正一

山岳 : 妙 義 山 (1103m)

1.期日 : 2010年9月11日(土) 天気:晴れ

2.参加メンバ : L 栃金正一 武部実

3.コース : 妙義神社~大の字~奥の院~白雲山~タルワキ沢のコル~相馬岳~タルワキ沢のコル~中間道~妙義神社



 今回の山行は、9月下旬に行く黒部峡谷「下の廊下」のトレーニングを目的として計画した。鎖場などで高度感に慣れておくためだ。

 朝6時ちょうどに三鷹駅を車で出発した。7時45分に、妙義神社に到着する。登山の準備をしてから、8時00に歩きはじめる。

 天気は晴れだが、残暑が厳しく、歩いているだけでも汗が流れ落ちる。神社境内の脇で登山届を出し、奥の院を目指し、登山道を登って行く。
 昨夜、雨が降ったのか、岩がところどころ濡れている。途中、短い鎖場があるが、滑って登りにくい。
 1時間ほど登ると、5メートル程の大きな岩があった。鎖がついており、試し登りが出来る。岩の上には、大きな「大」の字がつけらているため、通称「大の字」と呼ばれている。足場がしっかりしているので、登り易い。

 岩の上からは、眼下に妙義山の裾野が広大にひろがって見える。

「大の字」から更に登ると9時35分に奥の院に到着する。ここから本格的な岩登りが始まる。右手に鎖があり、いきなり30メートルの直立した岩場だ。一気に登る。
 足場をしっかり決め、3点確保で、ゆっくり慎重に登りきる。しばらく灌木の道を行くと、7メートルの2連の鎖場があり、これを登ると主稜線に出る。

 主稜線を左に少しいくと白雲山で、10時00分に山頂に着く。

 山頂からは浅間山や榛名山、赤城山、奇岩の立ち並ぶ裏妙義、それらの山々が見渡せる。稜線づたいには短い鎖場がいくつかある。岩がしっかりしているので、ゆっくり慎重に進めば問題はない。

 さらに稜線をいくと「御嶽三社大神」の石碑がたつ、大またのぞきだ。10時30分に到着する。谷を挟んで、直立する天狗岳の岩壁がすさまじい。ここは、キレットになっており、30メートルの鎖場を下る。

 股の間に鎖を置き、下をのぞきながら下る、文字通り「大またのぞき」である。

 谷を越え、一気に登ると11時30分に天狗岳山頂に着く。さらに西肩のピークを越えてしばらく下ると、人の顔をした顔面岩があった。
 このあたりから一気に下り、タルワキ沢のコルには11時50分に到着する。

 ここで昼食をとる。

 昼食のあと、相馬岳を目指し登り返す。暑さで汗が噴き出してくる。12時35分に表妙義の最高峰の相馬岳1103メートルに到着する。
 山頂からは裏妙義の奇異な山々と、山腹にへばりついているすさまじい登山道を見ることが出来る。

 タルワキ沢のコルに戻り、一気にタルワキ沢を下る。沢道は荒れており、鎖場も2か所ある。慎重にルートを確認し14時10分に中間道に到着。

 第二見晴、第一見晴に立ち寄り、妙義神社の駐車場には15時15分に無事到着する。ふもとの温泉に入り汗を流す。
 温泉からは、いま登ってきた表妙義の山容が手に取るように見へ、より深い充実感が得られた山行となりました。


      ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№142から転載

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