【寄稿・エッセイ】 針を持たざるは = 森田 多加子
当時、交際をしていた彼が突然言った。
「お裁縫できる?」
今の私であれば、(得意じゃない)とはっきり言えるのだが、これから結婚をしようと決めている人に、聞かれると
「できますよ」
というしかない。
細かい表情を見抜く人であれば、その時の私の顔を見れば、(?)と、わかったのではないかと思うが……。
「じゃあ悪いけど、このズボンが1センチほど長いので、直してもらえないかなあ」
「いいよ」
渡されたズボンの裾はダブル仕様だ。出来る筈がない。大体、手でやる仕事が大の苦手である。針などもってのほかだ。
中学時代の、あの一番嫌な家庭科の時間を思い出した。裁縫の時間に浴衣が教材になったことがあった。先生に教わりながら、少しずつ仕上げて行く。
その日は背縫いの時間だ。真直ぐに袋縫い(二重に縫う)ということだった。裁縫は苦手でも、ここは単に運針縫い(いちばん基本の縫い方)をすればいいところなので、一生懸命に縫っていた。
「ちょっと、貴女、なにをなさってるの」
一番苦手な先生は? と聞かれると、迷わずに名前が出る家庭科のおばあさん先生の声だ。
「あらまあ、前身ごろまで閉じたの……、ご丁寧に袋縫いまでやって……、私は長年教師をしていますが、こんな間違いは初めてですよ。この浴衣はどうやって着るのですか? 頭も出ないではないですか。全部ほどきなさい」
真直ぐに縫うことばかり考えていた。言われてみれば、着物の後ろも前も、縫ったので、袋状になってしまって、着られる筈がない。
身長より長い布を往復して縫ったこの努力はどうなるのか? 一瞬脱力感に襲われた。また縫い直しなんて出来るわけはない。
帰って母に全部縫い直してもらった。次の授業では、机の列の間を回って、みんなの作品を見ていた先生が、私の浴衣を見ると嬉しそうに言った。
「あら、私はまだそこまで教えていませんよ」
ちゃんとここまで、と言った筈なのに、母は裁縫が得意で大好きなので、つい先まで縫ってしまったらしい。中学二年の「家庭科」はもちろん目を覆いたくなるような点数だった。
高校では、家庭科は選択科目だったので、大喜びで取らなかった。
そんな私が、紳士もののズボンなど繕えるわけはないのだ。
当然、また母に頼んだ。
「嫌ですよ、私は」
意外にも、あっさり断られて途方に暮れたが、仕方がないので、繕いもの専門にやっている小さな店に持って行った。
きれいに仕上がったので、安心して彼に渡した。
結婚後に聞いた話によると、母親にそれを自慢げにみせたらしい。姑になる人は言ったそうだ。
「なかなかこれだけできないわね」
姑はお裁縫の名手だったので、プロの仕事はわかったと思う。確実に見破られていただろう。それでも息子に言わなかったのは、母心だったのだろうか。
元気に百歳クラブ 『エッセイ教室』 2014年4月作品