A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・写真エッセイ】 シニアライフはあかね色 = 乙川 満喜子

作者紹介・乙川満喜子さん : シニア大樂「写真エッセイ教室」の受講生
 

はじめに

  医学の発達や食生活の改善により、人の寿命は驚くほど大幅にのびた。

  それに並行して、家庭や社会にも膨大な医療費が発生したのである。誰しもが元気で長生きしたいものだ。

  快適なシニアライフを過ごしていく為のヒントを探してみた。


   シニアライフはあかね色   乙川 満喜子  


現代の古稀は

 古稀のお祝いは70歳だが、「現代の古稀は100歳に相当する」といわれている。現代では70歳まで生きるのは稀なことではないので、とても古稀とはいえない。 
 そうすると100歳を古稀とするならば70歳はいくつになるのか。
 それには大体7掛けが適当ではないかといわれている。すると70歳は49歳になるので、まだまだ壮年ということになる。古稀だからといって祝ったりしている場合ではないようだ。


                 『写真の人:見た目も若々しい86歳 シニアの趣味作品展で』


100歳は古来稀なり    →  100歳は「よく頑張った。さあこれからひと踏ん張り

90は奇とするに足る無  →  90は「まだ」九十だと心得る

80は大いに為す可し   →  80は学んだことを実践するの意

70は得ること多し     →  70はもっともっと勉強するの意


(中国の有名な篆刻家で詩人の沙孟海(さもうかい、1900~1992)が80歳の友人に送った詩  原田種成薯より)


長寿国になった背景は

 2012年の厚生労働省の調査で、日本人の平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳で世界一の長寿国を保っていることがわかった。
 ところが今から100年ほど前、欧米諸国が平均寿命50歳台を上回った頃は、日本人はわずか30歳台だった。日本はまぎれもなく短命国だったのだ。
「人生50年」が現実となるのは昭和22年のことだったという。長寿国世界一になった背景には、医学の発達とともに、動物性食品による栄養状態の改善、穀類中心から動物性食品を併せて摂る食生活移行などがあったと記されている。

 今後は寿命の長さだけではなく、質の向上が重要と考えられる。
 誰しもが、心身共に元気で寿命を全うできる生き方を考えなければいけない。それには、頭を使う、食生活を考える、運動を意識し、生き生きと自立した生活をすることが大切である。
 日常生活で頭を使い楽しく過ごす
 そうは言っても老いは少しずつやってくる。ただ老いぼれていくだけと、あきらめの心境は私の性に合わない。多少難があっても、これからの人生、未知との遭遇を面白く楽しく過ごしてやろうと思う。だが、特別なことは何もしない。


物忘れ防止で逆発想

 たとえば、出かける前には電気関係や、ガスの消し忘れ防止の為に、玄関の内側ドアにしっかりメモを貼ってある。だがそれらは無用の長物になっていて、外出したあとで気が付き「あっしまった」と思うことがある。
 そこで、忘れることを前提にして考えることにした。電気製品は使い終わったら必ずコンセントを抜く。それが節電や漏電防止にもなる。電子レンジも洗濯機もパソコンの周辺機器も、寝る前にはテレビのコンセントも外す。
 さすがに、冷蔵庫だけは抜くわけにはいかない。残念だ。


キッチンに立つときは           

 生きていく上で、食べる事は欠かせない。したがって、台所仕事を再検討してみることにした。料理は段取りだ。
 献立を考える→材料の買い出し→下準備→手順→熱いとおいしい料理、冷たいほうがおいしい料理がある。だったらいつ火にかけて下すのか、それだけでも頭を使う。
 時には冷蔵庫に入っているものだけで作る。自然に創作料理ができて、美味しくいただけたときは何か得した気分になる。食材がなければないで工夫していく、それが楽しみだ。
 イメージ力を膨らませて工夫するのは脳トレに効果的という。
 料理はこうでなければいけません、というルールはないはずだ。煮物に緑を入れたいな、キヌサヤでも使おうか、とか、カレーライスのご飯にパセリで彩りを…など、食器はこっちの方がカッコイイかな、とか見た目にもこだわってみる。
 年齢を重ねれば重ねるほど、食事は大切だと思う。
 皮むきにピーラーを使わない。野菜のみじん切り器も使わない。それらは、確かに便利だが、手に慣れた道具に勝るものなし、と信じる。
 賞味期限を整理の判断にしない。冷蔵庫の無い時代に生きてきた人間だから、匂いをかげば傷んでいるかどうかわかる。
 それだけで判別できなくても口に入れればすぐわかる。自分の五感を信じる。過去には一度も食中毒にはならなかった。
 但し若い世代には通じないようで、わが子とのバトルは続く。消費・賞味期限に惑わされることなかれ。それが理解できていない。


情報機器を使えば世界は広がる 

 タブレットやスマートフォン・パソコン・携帯など、病気になった時、外出や移動が難しくなった時でも、これらがあれば世界はぐんと広がる。
 必要な情報を集める。音楽を聴く。メールや声で会話ができる。買い物もできる。私たち高齢者に多少の不便が生じても、こんなに楽しく自由に生きていけるのだ。


笑い

 笑顔はその人にとって一番素敵な顔だ。45歳以上になると、顔の表情はその人自身の責任といわれている。もはや親の遺伝ではない。ならば、もっと早く気が付けばよかったが、これからでも遅くはないと自分に言い聞かせる。
 なにしろ「笑い」は医療にも取り入れられており、大きな成果を果たしているという。笑うと脳の配線が変わり、不安の神経回路に血液が流れないそうだ。
 難しいことはわからないが、確かに声を出して笑うとストレスもどこかへ行ってしまう。笑いジワは許すとして、顔の表情筋を鍛えよう。
「シニア大楽」でも、日本笑い学会の藤井敬三氏が講師で普及活動をしており、各地で高い評価を得ている。

 千葉市の学習センターで開催された「笑いの健康学」を受講したことがある。シャキッとしたスーツ姿で講話したかと思えば、次のコーナーでは、派手な動作とピエロまがいの服装で登場、会場は笑いの拍手喝采。一瞬にして緊張感がほぐれた。


夫とのかかわり

 夫とは、趣味が違うこともあり、元気なうちは、あまり干渉せず好きなようにしようと話しあった。幸い彼は器用貧乏のためか、まめによく動き、自分のことは自分でする。タンスの中や本棚は私より整然としている。
 ぬれ落ち葉でないことは確かで、助かるのだが、口うるさいのがたまにキズだ。以前、夫が帰宅したときに「お帰りなさい」の声が気に入らないと言われた。疲れて帰ってきたときに、低く暗い声で言われたら、よけい疲れるとのこと。
「ったくもぅ~ 新婚さんじゃないわいな」
 以来、わざと明るく少し高めの声で「おかえりなさい」ということにした。
 気分がいいようだ、あぁ単純。わたしはストレスが溜まる。


郊外でリフレッシュ

 一番の楽しみは、気のおけない友人とのコミュニケーションだ。
 昔からのお付き合い、趣味を通しての知り合いなどと、昼食を共にしたり、旅行に行ったりして思い切り命の洗濯をしている。
 認知症のリスクを回避することのひとつに、旅行はダントツ1位だ。外の景色を見ながら楽しい会話、おいしく食べる料理。さわやかな空気の匂いなど、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚)をいちどに磨くにはこれに勝るものはない。


身辺整理

 気骨のあるお年寄りは確かにいるが、そのまねが自分にできるとは思えない。病気で苦しめば痛みにぴいぴい泣きそうだし、死期を宣告されれば取り乱しそうだ。
 尊厳死についても疑問がある。自分が元気な時に書いておこうと思っている延命拒否の意思など、その場になってみれば、どう変わるかわからない、過去の日付入りの意思を貫徹することが尊いことだろうか。
 この問題は自分の中では未解決だ。したがってあれだけこだわっていた身辺整理もまだしていない。今はシニアライフを、いかに面白く愉しみ続けるかで精いっぱいなのだ。


編集後記

 歳を重ねるにつれて、体力や知力の衰えを感じてきたが、冊子作りを通して、それらを解決してきたと思う。目標をもって実行することの意義は大きい。

 タイトルは、人生の後半をいぶし銀にたとえ、「シニアライフはあかね色」と名付けた。

                                    2013年11月25日

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