A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・フォトエッセイ】 あなたらしい夢を = 井出 三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 

PDF あなたらしい夢を

                           

 あなたらしい夢を = 井出 三知子 

                       
 パラオは何処のポイントに行くのも島から1時間ほどかかる。
 その間ボートの上から海を見ていると水色、青、紺、ぐんじょ色、灰色さまざまな色の変化に移動中もあきることがない。
 今年も1月、寒い日本を離れてダイビングに行って来た。

 夏が大好きな私は、太陽の日差しと時間がゆっくり過ぎていくのが、何とも言えず心地良くて、身も心も解放感で一杯になる。
 パラオには今回で4回目だ。ダイビング歴が6年だから、かなり頻繁に潜っている場所だ。でも飽きることはない。海は広いし同じ所に潜ったとしても、自然は日々変化していて同じ状態で私たちを迎えてはくれない。唯一、ガイドさんの仲良しナポレオンに出くわすと無性に懐かしく、
『今まで敵が多いのに元気で生きていたのね。次に来たときも会いましょうね。』
 と心の中で声をかけてしまう。

 私がダイビングをやり始めたのは、定年まであと1年とせまった頃だった。

 24時間の大部分が仕事にしばられていた生活を卒業して、定年後は新しい自分を見つけながら生きていきたいと考えていた。その頃は仕事がなくなってしまったら、と思うと不安でいっぱいだった。夢中になってやれる物を探していた。
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 そんな時にたまたま地下鉄で隣に座った人が海の写真集を見ていた。
  覗き込んで見た写真は、海の中に太陽の光が差し込んでいて、キラキラと輝いていて宝石のようだった。
 両親にはいつも海は怖い所だと言われ、海水浴にも行ったことが無かった。そんな私が、何の気なしに見た海の写真がダイビングをやるきっかけになった。
 そんなことで海に係わるようなるなんて今でも不思議でならない。年齢、体力、予算、若者の中に入って楽しめるだろうか、そして最大の難関は海恐怖症だった。

 やり始めるまで、不安材料が多すぎてめずらしく、時間がかかった。
 今では水中カメラを持って、あの時に見た感動に出会いたくて潜っている。肉眼では神秘的な光線も、カメラで撮るとなかなかうまく撮れない。
 今回のツアーメンバーは4名の内、3名の女性はシニアだった。成田空港でインストラクターから「和田さんは70歳から始められて、今回は50本の記念ダイブだから楽しく盛り上がろうね」と紹介された。

(記念ダイブとは、50本、100本、200本潜った区切りの時にお祝いをすること)
 前向きで、若々しくて、生き生きしている彼女を見て、59歳で始めてみんなから、
「すごいよ、頑張っているね」
 と言われて、内心は得意になっていた。そんな自分が一瞬で消滅してしまった。自分自身が恥ずかしくなっていた。

 パラオは1914年から1945年まで日本が統治していた。その関係で日本語がそのまま残って現地の言葉になって使われている。たとえば、煮つけ、休み、雨などたくさんある。 
 それらの日本語はすでにパラオ語になっていて日常生活に溶け込んでいる。
 日本に統治されていたのに親日的で、いつ行っても暖かく接してくれる。日本人にいろんなことを教わった。などと言われると何故か、胸がいっぱいになってしまう。 


 パラオの海は、青く透明で最後の一本までは、まったり、のんびりとダイビングを楽しんいた。3時間前は穏やかな海が潜ったとたんに前回と潮の流れが変わっていた。自分の体が維持できないほどだった。初めての経験だった和田さんはそうとうのショックだと思って
「ダイビン怖くて辞めたくなった」
 と声をかけると、
「自分の意志ではどうにもならない自然の怖さ味わったけれど、そうでない時は別世界でわくわくする。これくらいのことであきらめないよ」
 と返事が返ってきた。
 70歳から始めるにあたっては、家族の反対とか、いろんな難関をクリアーにしてやっと、たどりついた50本記念ダイブだったからだ。もう一人のメンバーのラバちゃんも私と同じ年の59歳で始めた。
 末端の関節痛でウエットスーツの着脱も大変なのに挑戦している。とうして始めたのか聞いたら、ダイビングをやっていた弟さんが、病気で若くして亡くなって、変わりに自分が潜れば弟が喜んでくれるかなと思ったから始めたと話していた。


 私は海外旅行が好きで良く行く。今はアジア圏の若者達は元気がいい。将来どうしたいのと聞くと、自分の夢を語り、自分の国をどうしたいのか目標をはっきり口に出して言う。私が聞いても実現しそうもないことでも堂々と話す。いつもうらやましく聞いている。

 日本の若者は返事が返ってこない。国民性の違いで心の中に秘めているのかも知れない。
 だけど、自分の夢と日本の国の未来を熱く語れる若者が多く居てほしい。今の時代は将来が不安で希望なんか持てないよと答えるかも知れない。でも何でもいい、あなたが自分の言葉で、キラキラした目で将来を語る姿を望みたい。

 あなたたは若いことそれだけで、未知数の可能性を秘めていている。だから、私たちもつねに残り時間との闘い、今の自分にあった夢を持ちながら生活している。

 若者たちにはぜひ見てもらいたい。シニアセンター、カルチャーセンター、区の講座、劇場、どこで出会ってもシニア、老人と言われている人たちの向上心を。圧倒されるほどのエネルギーで、貪欲に何でも吸収している姿を。少しでも社会に役に立ちたいとボランティアしている姿を。
 そして、パラオ、シニア三人組の前向きに挑戦している姿を。
 第一歩は、あなたが自分の夢を語ることから始めてほしい。
         
                      写真と文 2013年 3月

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