【寄稿・フォトエッセイ】 中毒になってしまったの? =井出 三知子
作者紹介:井出 三知子さん
かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
海外旅行と海中写真撮影を得意としています。
中毒になってしまったの? =井出 三知子
ばたばたと暮れからお正月を過ごして11日にはモスクワ行きのボーイング787便に乗っていた。この機種は日本に導入された最新型の飛行機で座席、テレビ画面、トイレなどが改良されていて、とても快適だった。
トラブルの報道は聞いていたけれど、その時はまったく不安を感じなかったしトラブルに巻き込まれてしまうなんて、頭の隅にも思ってもいなかった。むしろ何もかもが新しく、快適な空の旅を漫喫していた。機内食もとてもおいしく、となりにいる友人もご機嫌で、ジンフィズを飲み、ワインを追加して最新の映画を見て楽しんでいた。私はその横顔をのぞき観ながら、この旅行に来る時にかわした、やりとりを思い出していた。
彼女から電話があったのは10月の半ばぐらいだった。
「来年1月と2月に時間が取れるけ、海外旅行に行かない?」
「えー、旅行はお母さんの介護があるから、去年の8月でしばらく小休止のはずじゃなかったの?」
「そう思っていたけど、母の状態が良くて行けそうなのよ」
「だけど、旦那様にお留守番ばっかりさせて心苦しくない?」
「大丈夫、日ごろちゃんとやってあげているから」
「でもね、しばらく一緒に旅行出来ないと言われたから、私なりに心の整理をして、旅行の枠からあなたを外してしまったから、急に言われてもね」
「だったらまた枠の中いれてよ。」
なかば強引に誘う彼女の言動は、15年前初めての海外旅行に行くときに、旦那様に送られてきた心細そうな人と、同一人物なのかと思ってしまうほどだった。
「だって行きたいだもん。こんな楽しさを吹き込んだ責任をとってよね」
私の性格を熟知している友人は、心をくすぐる言葉を並べて必要にメールを送って誘ってきた。1月はすでに旅行が決まっていた。
「一緒に行ってあげたいけど、肉体もお金もきついよ」
「いつも体力には自信あると言っていたじゃない。お金は天下のまわりもの。ロシアは夏のツアー料金の半値位で行けるよ。前に行きたいと言っていた場所じゃない?」
結局は彼女の熱意にまけてしまったのと、彼女と一緒の旅は気を使わなくて、楽なので人助けの心境で行くことにした。
私にとっても旅行は映像とか本ではなく自分の眼でふれあうことに、このうえもなく贅沢で幸せを感じる時間だ。だから誘われるとノウが言えない。旅が終ると何かおもしろい所はないかと、次の所を探し始めている。また行くのと言われると私は決まって
「麻薬みたいのようなものだから辞められない」
と答えていた。彼女が同じ気持ちかどうか解らないが、とにかく今はむしょうに行きたいらしかった。
私は旅をする時の三原則を決めている1/3分割の楽しみ方だ。行く前の準備に1/3、現地での行動1/3、帰って来ての思い出1/3。今回は行く前の準備ができなくて、ピロシキ、ボルシチ、赤の広場、クレムリン、エルミタール美術館それだけが予備知識だった。
こども達が先生に連れられて課外学習見モスクワの位置さえ解らず中央アジアの近くだろうと、かってに思いこんでいていた。
飛行機の中で地図を見て「ロシアはヨーロッパだったのだ」と驚いて声をかけると「楽しみの1/3を放棄してきたのね。私は何時も言われていることを、ちゃんと守って楽しんできたわよ」と彼女は勝ち誇ったような笑いを返してきた。
仕事を持っていた時は旅行を、決定してから出発までの時間が楽しくて、嫌なことがあっても、元気でいられたのを思い出した。その時の私のように、彼女は無理をした分、充実した時間を過ごそうとしていた。
10時間で雪のモスクワに降り立った。
-13℃だった。思っていたより雪は少なくて寒さを感じなかった。
ホテルに入ってすぐロシア人の国民性にぶち当たった。夕食を食べようと思ってホテルのレストランに行った。ロシアに来たら、まずピロシキとボルシチを食べなくてはと意気込んで注文した。しばらくしてウエーターがやってきてソーリー、ソーリーと言っている。
最初は何を言っているのか解らかった。良く聞いてみると5時過ぎたからコックが皆帰ってしまって作れなと、あやまっていた。5時でクローズか、日本ではありえないことがおきる。
ロシア第1日目の夕食は日本から持参のお菓子と部屋にあったコーヒーだけだった。二人の間では暖かい食事のはずが、お菓子を食べている現実が、むしょうに可笑しくて楽しくなっていた。
その後ツアー旅行ではめずらしいくらい、行き違いなるケースがたびたび起きた。
「誰が悪いんでもないよね、国民性の違いを理解しないと」と言いながら観光をしていた。
日本に帰る日になって787便がトラブルで、飛行延期になり、日本からの便が飛んで来なかった。帰る便がなくなってしまったことを聞いた時は、さすがに顔がこわばってしまった。やっと手配できたのが、ドイツのフランクフルトを経由して日本に向かう便だった。彼女は「ソーセージを食べて、ドイツビールが飲めてラッキーだね」と平静を装っていた。
成田に着いた途端、あせって家に電話をいれていた。本当は家のことが心配で、一刻も早く帰りたいのだろうと思い、
「私を待たずに帰って良いから」と言うと「またね」と言い残して、一目散に税関を抜けて行った。
2月はニュージーランド、6月は15年ぶりの韓国、夏も何処かに行こうと計画しているみたいだ。いつから、彼女は海外旅行中毒になってしまったのだろうか。その情熱が煩わしくならないように私自身のモチベーションもあげておかなくては。
写真・上段 : サンクトペテルブルグで友人と (撮影・現地人)
中段 : モスクワ市街地 (撮影・井出三知子)
下段 : フランクフルト空港でミニ宴会 (撮影・現地人)