A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・フォトエッセイ】 仲間作りは韓国から=井出 三知子

作者紹介:井出 三知子さん
      かつしか区民記者、朝日カルチャーセンター「フォトエッセイ入門」の受講生
      海外旅行と海中写真撮影を得意としています。 


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 仲間作りは韓国から  井出三知子 

 2012年10月3日、成田空港で、ちょっぴり不安な気持ちで友人と待ち合わせをしていた。5日間の予定で韓国に行くためだった。
 長い間一緒に旅行してきた友人が、8月の旅行を最後に母親の介護のため、しばらく海外旅行が出来なくなってしまった。
 私は「旅仲間を求む」と広告でも出したい気分になっていたところ、思ってもいなかった人から声をかけられた。
「アメリカ、ヨーロッパは主人の仕事関係で良くいくけど、アジア圏はダイビング以外で行ったことないのよ。一緒に行ってくれない」。「アジア圏ね。私は今まで長い休暇がとれない時は短期間で行けるアジアを旅行していたので、大体の所に行っているから正直、アジア圏は行きたくないわ」と返事した。本当だったら渡に船、仲間が出来たとラッキーと思うところだが、いままでの彼女の性格と行動を考えると二人で旅行するのは、勘弁してほしかった。

 やんわりと、気分を悪くさせないでお断りをしようと思い。
「うーん、行ける日が有るかな」
「日程はいでちゃんに合わせるから」
「豪華な旅行には付き合えないわよ」
「大丈夫、いいわよ。」
「私、ズートしゃべっていて、うるさいよ」
「慣れたから」
「夜、トイレに起きるから寝れないよ」
 私はあきらめさせようと必死で思いつく限りの言い訳をならべた。
 彼女とは私が4年前にダイビングを始めた頃知りあった。彼女はダイビング歴15年の、ベテランダイバーだった。

 年は私より10歳下だった。普通は日帰で伊豆半島で潜るのだが、彼女はパラオ、グアム、セブ、モルジィブなどのリゾートだけで潜るダイバーだった。みんなは彼女を「セレブ」と呼んでいた。
 ニックネーム通りに行動で、とっつきにくい雰囲気で、近寄りたくなかった。


 いつ頃からかそんなセレブとホテルの部屋は一緒、海中ではバディになっていた。
(バディとはダイビング用語で、目の届く範囲ないで一緒に行動して楽しみを共有すると共に異変起きた時はいち早く発見して、お互いに助けあって事故を未然に防ぐシステム。)
 みんなが敬遠しても海の中の彼女は最高のバディだった。私の足りないスキルをカバーしてくれて安心して潜れた。興味をひく物が有ったら、突き進んでいってしまう私の行動をいつも見ていて振り向くと必ずそばにいた。海に潜ってる時が彼女の本来の姿だと理解して接していた。

 だけれども、陸上の言動を見ている限り一緒の旅行なんて考えられなかった。次の瞬間、心と裏腹に「韓国に行く」と口からでていた。
 私は初めての人と海外旅行をする時は、時間もお金もかからない、韓国ときめている。成田空港で待っていると、案の定ビトンのスーツケース、ハンドバック、ビトンずくめで現れた。私はブランドだらけの人と居ると落ち着かなく、何となく恥ずかしくて、彼女の姿を見たとたんに頭がクラクラしてしまった。

 どうせ我慢するのなら、3日も5日もおなじだろうと思い、前から見てみたい秋祭りと世界遺産を訪ねる旅に決めたが、やっぱり3日にしておけば良かったかなと後悔していた。


 最初に降り立ったプサンの街は私が思っていた以上に活気があった。プサン映画祭の前夜祭だったので、町中はストリートライブで若者達の熱気がむんむんしており、魚市場にいくと大量に盛られた魚の前で、おばちゃん達が、まるでけんかしているみたいに、値段の交渉をして買い物をしていた。
釜山を出てソウルまで、高句麗、百済,新羅の時代栄えていた地域を見て歩いた。
(日本の古墳時代から平安時代位にあたる)

 この地域を案内するガイドは1597年豊臣秀吉の朝鮮出兵境に戦前、戦後と言って案内する。韓国での1番の悪人は秀吉なのだ。秀吉の話になると、もう解ったから400年も前の事はもう勘弁してと、思わず言いたくなるくらいだ。
 この時代を説明する時に、技術を持った朝鮮人が日本に連れていかれ、その人達が日本の文化の礎だと力説する。まるで朝鮮民族は日本より優秀なのだと言わんばかりに。確かに大きな影響を受けているのは、まぎれもない事実である。

 けれど、朝鮮王朝の時に伝わった文化、習慣が,日本で独自に変化、発達していったことなど頭の片隅にも無いのだろか。ガイドの説明を聞くたび不思議に思ってしまう。
 セレブとの旅は何もとらぶるがなく快適だった。お酒が大好きで昼食はビール、夜は、私がコンビニで調達したマッコリと焼酎で底なし沼のように飲み続けていた。セレブはきっとコンビニの安いお酒は飲みたくないと思っているに違いないと思いつつも
「韓国の庶民を感じるのも旅」と言いながら飲ませていた。彼女は文句も言わず飲んでいた。酔うほどに彼女は昼間の片意地をはったような姿がなくなり、愛すべき人に変化していった。旅行が終わるころには、そんな姿を見るのが楽しくなっていた。

 自由時間になると、彼女は免税店でブランド品を買いに、私は珍しい食べものを探しに別々に行動をした。気が付くといつのまにか彼女がそばにいる。まるで海の中で私を探しだすみたいに。旅行が終わってメールが来た。
「だんなと旅行するより、何倍も楽しかったよ。ありがとう。また一緒してくださいね。」
 成田空港で別れる時にいえば良いのにと思ったが、てれくさくて言えない、それが彼女なのだ。メールを見て、来年も一緒に旅にでかける予感がした。
 

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