【寄稿・エッセイ】カフェの行方=三ツ橋よしみ
【作者紹介】
三ツ橋よしみさん:薬剤師。目黒学園カルチャースクール「小説の書き方」、「上手なブログの書き方」の受講生です。児童文学から大人の現代小説に転身しました。
カフェの行方 文・写真 三ツ橋よしみ
祐天寺駅から徒歩5、6分、通行人がまばらになるあたりに、『カフェA』がある。よく磨かれたガラス窓から、小ぎれいな店内が見える。入口の黒板にメニューが並ぶ。一杯300円のブレンドコーヒーは、このあたりでは、妥当な値段だ。
ある夕方、娘をさそい『カフェA』に行ってみた。店内はベージュの壁にコーヒー色のテーブルが並び、落ち着いた雰囲気だ。壁の所々に張られた鏡に、天井の照明が映って、かがやいて見えた。
ケーキを食べ、コーヒーを飲む。
「まあ、まあね。味は普通かな」
娘はそっけない態度だった。
25、6席ほどある店には、客が5、6人。そこそこはやっているらしい。
メニューには、9時から18時まで、と明記されている。夕方6時以降はどうなっているのか、と妙に気になった。まさか6時で閉店するとは思えない。
レジで勘定を支払うときに、夕方からのメニューをたずねてみた。
白いシャツに黒いチョッキ姿の、店のマスターとおぼしき、おとなしそうな中年男の態度が変わった。カウンターの下から、夜のメニューをいそいそと取り出すと、笑顔をみせ多弁になった。
「夜はアルコールもあります。なかなか出ないんですが」
と聞いてもいないことまでも、マスターはつぶやきながら、ワインやビールが並んだメニューを広げる。
「夜に来てくれている料理人は、北海道出身なんです。出身地の『がごめ昆布』で出汁をとったうどんを、お出ししています。お酒の後、小腹がすいたときにおいしいと評判です」
ほかにアボガド丼は、女性客の夜食に喜ばれている、と付け加えた。
「おいしそう、今度、食べにこようかしら」と、お世辞をいったならば、マスターがよろこんだ。笑顔で目尻にしわがよった。年齢は50才前後だろう。 「昨日で開店一周年になりました。どうぞ」
マスターはカウンターの下から、クッキーの小袋を取り出し、娘と私にくれた。そして、店のスタンプカードにスタンプを押してから、差し向けた。
ふたりして店を出ると、
「脱サラして、念願のカフェをオープンしましたって感じの人だったね」
娘が感想を語りはじめた。
「開店して1年。ちょっと疲れてるみたいだったわ。目の下にくまがあったし。たまには少し休んだほうがいいんじゃないかな」
わたしは他人事ながらその身を案じた。
「まだサラリーマンが抜けてなかったみたい」
「そうね。スタンプカードを渡すとき、両手で丁寧に渡してくれたじゃない?あれって、名刺交換のとき営業マンがよくやるよね」
「1年くらいじゃ癖は抜けないのかな」
「そうね。結構じかんがかかるんじゃない? あの店、この先、大丈夫かな。場所がちょっとはずれてるから」
わたしは心配して言った。
わたしは食べ物ブログを4年ほど続けてきている。2年くらいで閉店に追い込まれた店、そんな店を沢山知っているのだ。流行るか、廃るか、その勘が、警鐘を鳴らしている。
この地にちゃんと根をはるには、このあたりのお客さんが何を欲しがっているか、お客さんの気持ちになって考えないと持ちこたえられない。
(あのマスターにはできるかしら)
あのままだと、家賃と料理人の人件費、光熱費でいっぱいいっぱい。出店時の借金が返せないのではないかしら。人ごとながら危ぶんだ。それらを娘に伝えると
「脱サラも大変ってことだね」
娘がわが身の口調で言った。
私は娘の顔を覗き込み、だいぶ大人になったものだ、と感慨を覚えた。【了】
編集:滝アヤ