【寄稿・エッセイ】失踪者=久保田雅子
【作者紹介】
久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています。
失踪者 久保田雅子
5年前に入社した男性社員が、8月のお盆休みが明けた直後に、突然、
<辞表>をデスクに置いて出社しなくなった。
辞表には、探さないでください、と書いていた。彼は私の部下である。
私は彼のやりかけの仕事を、いそいで他の社員にふりわけるように指示をだした。彼の身を心配するよりも、そうした仕事のあと始末で大変だった。休み明けの気分も一変した。
彼の両親がやがて私の元に謝罪に来社した。本人とは連絡がとれず、どこにいるのかわからないという。
「突然、ご迷惑をかけて申しわけありません…」
「ご心配ですね…」
「まあ、男ですから、そのうちに帰って来るでしょう。」
と、あまり心配している様子ではなかった。
34歳の大人だ。親が心配しても言うことを聞く年齢ではないのだから仕方がない、という態度にも思えた。お互いに気まずい雰囲気だけが残った。
しばらくして、彼の父親から私に連絡があった。
婚約者の女性が突然自宅に訪ねてきて、1ヶ月ぐらい前から彼と連絡が取れなくなった、親しい友人にも尋ねたが、誰も彼とは連絡が取れていないと、彼女は心配で泣いていた、と話す。7月の終わり頃から、彼の様子がなんとなくおかしかったとも、彼女は言ったようだ。
彼には借金を抱えていた様子もないし、仕事上のトラブルもなかった。もうすぐ結婚する予定で張り切っていたはずなのに……。なにがあったのだろう?
辞表を残した当初、私たちは、きっと仕事がいやになって彼女と旅行でもしているのだろう…、と簡単に考えていた。だが、それも違っていたのだ。
婚約者の話から、彼の両親も急に心配になってきたようだ。
私はかえりみた。
彼は以前にも突然出社しなくなったことがある。
それは入社してすぐの頃だった。連絡すると、会社に来ないだけで自宅にいた。その時は母親の説明によると、以前から時々あることで、うつ病のようだと話していた。だが、病院で診てもらったことはないようだった。
この時は2週間後ぐらいに、彼はなにごともなかったかのように出社してきた。
親元から通勤していた彼だが、今回は自宅にも帰っていない。事件でもないので警察に届けても、探してはもらえないだろう。
捜索願の届けをすれば、身元不明者の死体確認のリストに入るのかもしれないが…。成人は個人情報保護法で、深く追求することができないようだ。
このような失踪者はどのようにして探すのだろうか?
推理小説に似た出来事が、突然、身近な話になった。小説だと、まったく別人として、山奥のどこかで生きていたりする。あるいは記憶喪失になっていたり、事件にまきこまれて山林で殺されていたりする。
私はふと北朝鮮に拉致された人々の家族のことを思い浮かべた。残された家族は本人が見つかるまで、不安と心配のつらい毎日が続いていくのだ。どうすればよいのだろうか……?
私はともに深慮するだけで、なんら打つ手を持っていない。
文 : 久保田雅子
写真・編集 : 滝アヤ