A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・エッセイ】2007年8月15日フランスで=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています。

                2007年8月15日フランスで 縦書き・PDF


                作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から


 2007年8月15日フランスで 久保田雅子


 フランスの夏は日が暮れるのが遅い。夜9時過ぎから、だんだんと暗くなっていく。フランスでは8月15日はカトリックの祝日<聖母の被昇天>で休日である。その日、私はまだ西日のまぶしい時間に夕食をとりながら、フランス国営テレビのニュースを見ていた。やがて、気がつくとドキュメンタリー番組が始まっていた。それまでは何気なく観ていたテレビだが、思わずその画面に釘付けになってしまった。

 映像は1945年9月2日の東京湾の横須賀沖だった。私がみたこともないような大きな軍艦は、高い塔と太く長い6本の砲台が備わる<戦艦ミズーリ号>だった。艦上にはアメリカ兵に囲まれた日本人数名が現れた。

 字幕によると、重光葵(しげみつ まもる)外相、陸軍大将の梅津美治郎、岡崎和夫だった。3人はシルクハットにモーニングの正装で、他の6人は軍服姿だ。日本人はとても緊張した表情で並んでいる。降伏文書に調印する直前である。
 白い海軍服のアメリカ兵が艦上の塔の上まで鈴なりで、その歴史的な一瞬をみている。

 梅津が岡崎に付き添われて、大きな紙にサインした。それが終わると、梅津が眉間にしわを寄せて、怒ったような表情で重光になにか言っていた。


 それからテレビ画面は終戦直後の日本の映像に移った。
 路面電車と馬車が並んで走っている、その道端は焼け跡の横浜の街だ。黒こげのビルが立ち並ぶ銀座通りには日本人にまじり、アメリカ兵がたくさん歩いている。帰国した日本兵が船から次々降りてくるのは、舞鶴港だ。大きな袋を背負った人々でいっぱいの闇市はどこだろう……。

 日比谷公会堂の看板には、手書きで<明朗音楽会>(9月6日藤原義江、東海林太郎他出演)とある。早くも明るく立ち上がろうとしている日本人の強さに感嘆した。  

 皇居の室内で昭和天皇と並んで、サングラスをかけていないマッカーサー元帥を私は初めて見た。バルコニーから大きく帽子をふる昭和天皇と、その横でおっとり微笑んでいる皇后様などが映し出されていた。
 ナレーションは英語でフランス語の字幕だった。アメリカの製作フィルムのせいか、最後まで原爆の映像はなく番組は終わった。


 日本の終戦は原爆なしでは語れないことを、フランス人はよく知っている。
 このドキュメンタリー番組が原爆のことに触れなかったことを、フランス人は少し不服だったのではないか、と思った。
 私は、終戦直後にアメリカの報道カメラマンが、当然の事なのかもしれないけれど、これだけ日本中を撮影していたことにおどろいた。
 そして広島、長崎の原爆被災地もおなじく撮影していた、と後になって知った。悲惨すぎて、テレビで映像を映すことができなかったのかもしれない……。

 フランスの第2次大戦終戦記念日は5月8日だ。
 終戦記念日ではない、カトリックの祭日に、ゴールデンタイムに2時間も、日本の終戦記念日にあわせたようなドキュメンタリーの放送をしたのが、不思議だった。


                   映像写真はフランスTVより

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