【寄稿・エッセイ】ハチ=久保田雅子
【作者紹介】
久保田雅子さん:画家、インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験から、幅広くエッセイにチャレンジしています。
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ハチ 久保田雅子
若いころに読んだ本を読み返すと、年のせいか、まるで読んでいなかったかのように、記憶がなくておどろくことがある。
映画鑑賞もおなじだ。先日見た<ハチ公物語>などは、以前に見たと思っていたが、まるではじめて見るようだった。冒頭の秋田犬の出産シーンなどは、印象的だったはずなのに、まるで記憶になかった。
あまりにも有名な映画なので、私は観た気になっていたのか。実際は観ていなかったのか。曖昧である。いずれにしても、よく知っている話なのに、あらためて感動させられた。
私が子供の頃も犬を飼っていた。生まれたばかりの子犬を育てるために、母は近所の大工さんに犬小屋を注文した。やがて、わが家の庭には子供の私が立って入れるような大きな犬小屋が出来た。みんなで大笑いした。まもなく子犬はハチのように成長し、その小屋が体形にちょうどよくなった。
だが、あるとき、仲良しだった愛犬は狂犬病になった。昔は犬に予防注射をしなかったのだろうか? 母がおそるおそる長い棒の先に毒をぬった肉を、犬にやっていたのを覚えている。かわいそう、むごい、というよりも、子供の私には狂犬病の方がおそろしかった。そして、殺された。
私の子供時代はハチのように屋外に犬小屋があって、犬はそこで寝ていた。
今の時代は、犬小屋を見かけない。犬はみんな家のなかで飼われている。人々が、マンション生活になったせいかもしれない。人間と犬の関係も変わってきている。
最近の犬は、自分が人間だと思っているようだ。飼い主が人間のように扱っているせいかもしれない。ハチのように、ひたすらに忠実ではない。ひがんだり、すねたり、いやがらせまでもする。犬は人を見定めて、自分に都合のいい人間にだけなついていく。
現代ではあたりまえなのかもしれないが、なにかが違う気がする。ペットに癒されることは幸せだが、ペットを溺愛して、それが生きがいになってはいけないと思う。
先日、テレビで芸能人が自分のペットに、浴衣とペットと一緒に食べられるデザートを買っているのを見た。(むかし、犬は服など着ていなかったし、食餌は残飯が普通だった……)
ある雑誌では一人暮らしの女性が自分の死後、愛犬がどのようになるか心配で相談コーナーに投稿していた。(むかしは段ボールに入った捨て犬や、野良犬をよく道端で見かけたものだ……)
<ハチ公物語>は大正時代から昭和の初めの頃のことだ。ハチは自然体でたくましく、犬の分際をわきまえていた。いまとは違って当然なのかもしれない。
もしかすると、人間も時代とともに変わってきてしまったようだ。
昔の男子は今より強く、根性と忍耐力があったと思う。いまの子供たちは過保護に育って、成人しても大人になっていない。草食系男子などと言われても反発もしない。
それでも強くたくましい男がよいことは知っているから、坂本龍馬が人気になっている。