【寄稿作品】 ある日の午後=久保田雅子
20代、30代の頃は、およそ老後などを考えないものです。はるか遠い世界の他人事です。しかし、人間はいつしか歳を取り、老いた身になります。体力も、生活力も弱ってきます。そのときに、社会の厳しい現実に直面します。
それを描いた作品です。
「よい作品ですから、寄稿してください」
目黒駅ビルの4階で、作者と向かい合って依頼していたとき、東北関東大地震が発生しました。私にすれば、後々まで思い出深い作品となるでしょう。
ある日の午後 久保田雅子
突然の電話は、旧知のスナックのママからだった。その店は、私が学生のころ家の近所にあった。その頃、麻布方面に行くときは、時々訪ねたりもしていた。
それにしても、ママとは久しく会っていない。たぶん30年ぶりぐらいだろう。
「まぁ、久しぶりねぇ、元気?」
こうした挨拶もの会話もそこそこに、すぐに会いたいので自宅に来てほしいと言う。
(何かあったのかしら)
はじめて細い路地の奥にある、彼女の自宅を訪ねた。
心臓が悪くて2か月ほど入院後、やっと退院したところだという。パジャマ姿の彼女は妙に小さくなっていて、昔とは別人のようだった。独身を貫いた彼女だが、同居中という男性が付き添っていた。
古い木造の小さな家は病人のふとんが敷かれ、コタツが目立ち、歩く隙間もないほどだ。
ひさしぶりで会った私に、突然この家を買ってほしいと言う。
銀行ローンが返済できなくなった。約1000万の借入残があるので、その金額で私に買って欲しい。そして、自分たちをこのまま住まわせて欲しい…。
唖然としている私に、ふたりでくどくどと状況を説明する。
彼の年金だけで生活していて、持家があると生活保護も支給されず、このままでは食べることにも困ってしまうと涙ぐむ。
73歳になる彼女はいままで年金を払っていなかったので、収入はゼロだ。70歳の彼は元気だが、いまは失業中で、ふたりの生活は彼のわずかな年金だけだという。
若者でさえ就職氷河期といわれている。70歳の男性が就職するのは困難だろう。
銀行ローンを払わないと、競売になって追い出されてしまう、とおびえている。
身寄りもなくワラにもすがる思いで、私にたどりついたのだろう…。どうにかしてあげたい気持ちと、正直、関わりたくない気持ちでもある。
老後はどのようになるか。それは、それまで自分が歩いてきた積み重ねの結果だ。まわりの人とどのように関わってきたか、それが大切だ。
年をとって必要なときに、助けてくれる人がいるか、どうか、それでが決まるのだ。
心配になってきたからといって、急いで準備できるものではない。
いずれ私も老後の身になる。ひらきなおって、過去をふり返れば、たくさんの人に迷惑をかけ、失敗ばかりして、ここまできた。それでも深くかかわってくれた人たちがいた。それらの人たちに感謝しながら、老後を過ごす。それが私の人生の終わり方だと思っている。
(文、写真:久保田雅子さん)
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