A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(30)陸前高田=確定申告の日が、生死の境い目

 3月11日の大津波に襲われたときは、国税の「確定申告」のさなかだった。
 陸前高田市税務署は、同市の中心部に位置する、市民会館が会場になっていた。大津波で、3階建ビルは完全に水没し、確定申告に来ていた人たちは逃げ場を失い、ほとんどが命を失くした。
(3階会議室と天井との空気層で、生き長らえた人がいる、と一部で報じられている)。

 一つ間違えば、市民会館で命を失くしていた、ふたりの人から話を聞くことができた。その一人は陸前高田市の水産業の大和さん(仮名)である。
「忘れていましてね、3月11日が確定申告の日だった、と。所用で、高田から大船渡に向かっていたんです」
 同市の税務署は各事業者に対して、「あなたは○日に来てください」と申告日が指定されているのだという。(東京は申告者の都合で出向く)。おおかた最終日近くの混乱を防ぎ、職員の手を平均化するためだろう。
「私の車が大船渡市街地の手前にさしかかった時、大地震が発生したんです。車が激しく揺れたし、余震もひどいし、これじゃ大船渡に行ってもダメだな、と考えたんです」
 相手先の事務所は地震できっと物が崩れ、仕事の話などできないはずだ、と大和さんは高田に引き返してきた。山間の高所のバイパスを経由し、高田市街地の低地に入る手前まできた。
「小学生たちが山の方に避難していました。だから、津波かな、と車を停めました」
 わずか数分後に、大津波の襲来があったのだ。
「確定申告で、市民会館に行っていたら、この世にはいなかったでしょうね」
 大和さんは大船渡と、陸前高田と、双方の津波に巻き込まれず難を逃れたのだ。


 もう一人の菅原さん(仮名)は同日に確定申告を終え、市民会館の玄関を出たところで、大地震に遭遇した。やがて、防災無線で、大津波警報が報じられた。
「3-4メートルの津波が来る、と言っていたから、指定避難場所の市民会館に戻ろうかな、それとも市役所にしようかな、と迷いました。市役所(一部・4階建て)の方が広いから、そっちを選びました」
 その庁舎に入ると同時に、津波が襲いかかってきた。
 菅原さんは階段を懸命に駆け上った。屋上まで来たとき、見るかぎり市街地は水没し、津波が渦を巻いていた。(津波は高さ13メートルを超えている)
「屋上も危なくなり、『もっと上へ』と誰かれなく叫び、フェンスに足をかけて給水塔までよじ登りました」(この塔には56人)。

 2波は思いのほか早く来て、黒い濁流が激しくぶつかりあう音を立て、うねって流れていたという。
「目の前に、流される木(家屋?)に座った、母親らしき女性が海の方角を見、小学5-6年の男児が片手をこっちに振っていました。屋上の私たちは、どうすることもできませんでした」
 それはわずか30mくらいの距離だった。少年の声は聞き取れず、助けを求める手はもはや弱々しかったという。母と子は、菅原さんたちの直前を横切り、濁流とともに流されて消えていった。
「すると、もう一人少年が流されてきたんです。どうすることもできませんでした」
 悲惨な情景が語られた。

 津波は真夜中までくり返し襲来するので庁舎から出られず、屋上に避難できた人たちは、寒くて、燃えるものがあったので、たき火で暖を取ったと話す。
 生存者は4階屋上のほうに避難できた方を含め、述べ126人である。なお、庁舎内で亡くなった職員の数も多い。


 写真:撮影2012.8.23.

  上段:陸前高田市の市民会館
  中段:市民会館(左手)エレベーター塔に、高田松原の黒松一本が鋭い先端で直撃し
      その塔が曲がっている
  下段:屋上まで津波に襲われた、陸前高田市の庁舎。屋上に給水塔がある。

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