小説取材ノート(25)陸前高田=10月1日は女が泣く日
高校女子バレーで2度全国制覇(優勝)を果たした、浜の女性から取材を続けた。バレー監督の道があったのに、なぜカキ養殖業に? という疑問から、結婚の経緯を訊いてみた。
彼女は東京の実業団時代に、友人の家で、同郷の男性と知り合い結婚した。東京に住んでいたが、夫はやがて高田に戻り、カキ養殖業の高齢の親の後を継ぐという。夫婦して、高田にもどってきた。
いまや夫は50代の働き盛りで、同市のカキ養殖業で指導的な立場にある。
「私たち夫婦は高田に戻っても、親に頼らず、夫婦で頑張り、漁船も買い、イカダも造り、漁網も、浮(うき)なども増やして貯めてきました。大津波で一瞬にして消えてしまいました。思い出すたびに、涙が出てしまいます……」
と彼女は目元をぬぐってから、
「ただ、私たちの家だけが10軒ちゅう一軒、津波の被災をまぬがれたのです。(9軒は全壊)。夫の祖父母が昭和大津波で家屋を失くし、次なる津波を予測し、丘陵の高所に家を建てたから。私たちはそこに住んでいました。家を失くされた方の前にでると、私の所為(せい)ではないのに、なぜか申し訳なくて、話したくない話題になってしまいます」
彼女は丘陵の家から毎日浜に降りてきて、ブルーシートで覆われた、屋根も壁もないカキ作業所で働いている。
大津波から、1年余りが経った。岩手県・陸前高田市のカキ養殖業者の10軒は組合形式で団結し、再起を図っている。しかし、2013年秋までカキの収入はない。
「被災後、借金をしてでも、もう一度、漁師をやろうと、誰が提案されたのですか。人間には楽天的な人と、悲観的な人がいますし、強気と弱気の性格があるでしょうから」
私の関心はそちらに向いた。
「性格の問題よりも、やはり後継ぎがいるか、どうかですね。私の家には養殖をやる長男(20代)や3男(10代後半)がいました。被災後に家族で話し合いをしました。当座のお金がいるので、息子たちはガレキ処理の現場に働きに出ましたけれど、漁師はやるぜ、といってくれました。それが強い後押しになりました」
A地区で、10軒ちゅう2隻の船が残り、それを組合方式で共有して使う。森林組合から丸太を購入(国の補助金)し、新しいイカダづくりがはじまった。
浜の女たちは5月から、カキの種がついた原板(げんばん)一枚につき20~30個になるように間引きし、垂下縄(すいかなわ)にはさみ込む。(ロープとも呼ぶ)。男たちはボランティアの手も借りてイカダを作り、沖に浮かべ、カキ原板のローブを吊す作業にたずさわる。
「私たち女手は時給なんです。働いた時間だけ、お金を払ってくれるんです。それもやる気が出た一つです」
その原資はどこから出ているのですか?
「男たちが各人、家から10万円持ち寄ってきたのです。10軒ですから、100万円。うちも10万円をだしました。蛸が自分の足を食べるのと同じ。それでも、女は働いた分、お金がもらえますから、涙が出るくらい、嬉しいんです」
2011年5月は、松島(同島も被害地)から仕入れたカキの種は数が少なかったから、1家族から1人だった。ことし12年は各家から2人ずつの割り当てで女が浜にきている。
「津波で奥さんを亡くされた方は、母親が作業場に来ています。みんな一生懸命はたらけば、時給がもらえると、張り切っています。お金が手元に入れば、ありがたい。蛸の足と分かっていても、気持ちが違うのです。近い将来、カキの水揚げがある。収入がもっと上がるはず、という期待につながっているんです」
とにこやかな顔で話す。
浜の男たちは、女の気持ち(遣り甲斐と生きがい)を上手に引き出しているな、と感心させられた。
5月、6月はカキ種を挟んだロープをイカダに吊るす。
8月には温湯駆除法(おんとうくじょほう)を行う。イカダに吊すカキを海中からロープを一本ずつ引き揚げて、船上で沸かした釜の湯(約70℃)に一瞬つけて海中の虫やムール貝を駆除する。そして、ローブ一本ずつイカダに吊し直しする。それを一日中、数限りなくくり返す、重労働。まして真夏日の下で、火を炊くから、過酷な作業だという。
カキの殻に付着した生物を駆除しないと、栄養分が外敵に取られて収穫期のカキに大きく影響すると教えられた。
「これまでは一軒がそれぞれ一艘の漁船を持っていました。だから、浜の女も漁船に乗り、温湯駆除の作業に従事しました。女の顔は帽子をかぶっても、真っ黒に日焼けです。いまはA地区で漁船が2艘ですから、男手10人だけで足りてしまうのです」
昨年も、今年も、女は漁船に乗り込まない、とつけ加えた。
毎年9月29日になると、最初のカキ収穫があり、トラックで東京築地に運ばれる。10月1日に築地魚市場で初競りが行われる。
「この日がとても楽しみなんです。良い物を出せば、値段が高い。選別しないカキはそれなりに安い。毎日セリの値段がちがうのです。築地から朝10時には決まってFAXで、私たちのカキがいくらで落札したと届きます。それが日々の楽しみなんです」
どのようにカキのグレードを上げていくかと、彼女がその取り組みを熱ぽく語っていた。ふいに顔が曇ってきた。
「昨年も、今年も、収穫がゼロですから、内心はとても辛いんです。今年の10月1日も、海を恨むわけじゃないけれど、私はきっと唇をかみしめて、泣くでしょうね。築地魚市場からFAXがこないのですから」
彼女は悲しい顔で語った。
写真提供:河合済一さん(陸前高田市・仮設住宅)
撮影日は2011年3月14日(大津波3日後から)~5月24日