A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(24)陸前高田=元女子バレー日本一、浜で再起を語る

 三陸の養殖業者たちは大津波で、漁船、漁具、イカダなどの生産手段を失った。若者たちは将来を悲観し、「もう漁師などやってられない、また津波がきたら、一切合切、無くなるんだ。おなじ目に二度も遇いたくない」という考えが強かった。

 かれらは養殖業への再起にたいして意欲がなく、転職を図ったケースが多い。
 7、80歳代の漁師ともなると、体力と気力がなく、仮設住宅でひっそり暮らす。5、60代で、なおかつ跡継ぎがいる漁師から、再起が始まってきた。

 カキ養殖は種付(たねづ)けから収獲まで、2年間を必要とする。その間はゼロ収入である。無収入で精神的にどう耐えられるのか。
 3.11から1年余り、どのような精神状態で過ごしてきたのだろうか。どのように再起を図っているのか。それは私の3.11小説の主要なテーマのひとつである。

 陸前高田市・A地区の養殖ガキ業者は10軒ある。かつておなじ集落に住んでいた。
 3.11の大津波の襲来で、うち9軒の家屋が流されてしまった。漁船を失い、収穫期だったカキイカダも破壊された。その上、妻を亡くした漁師もいる。営々と稼いできた大切な人的、物的な蓄財を一瞬にして失ったのである。そして過去からの建造費や家屋のローンだけが残った。

 3.11から2ヶ月半は為す術もなく、茫然自失の精神状態だったと、50代の漁師の細君が当時の苦境を語る。

「あのころ浜に行っても、家屋や家具のガレキで、海面がまったく見えませんでした。そんな海を見ることすら怖かった。家財産も、漁船も、漁具も一切合切流されてしまい、イカダを作る道具すらもない。大きい漁船がないと、カキの養殖はやっていけない。どう生きたらよいのか、それもわからず、毎日が悲しくて、泣いてばかりいました」
 彼女はかつて高校女子バレーでインタハイや国体で、2度も全国制覇(優勝)を果たしている。実業団でも活躍した輝かしい経歴を持つ。スポーツで鍛えた強靱な精神力を持っているはず。それでも被災を語る彼女は、大粒の涙を流す。

 そして、彼女は一年間にわたる、再起にかける執念や苦労話しを語ってくれた。

「昨年、5月頃から、男手の漁師(10軒)が集まり、カキ養殖業の再起について相談をはじめました。跡継ぎがない人は、これから借金するのも考えものだし、とずいぶん悩まれていたようです」

 漁師の男よりも、浜の女の方が精神的に強かった、立ち上がりは早かった、という話も各地で聞いてきた。
 A地区においても、女性どうしでカキ養殖の再起を話し合ったり、団結を誓い合ったり、そんな打ち合わせはありましたか……? 

「女だけの話し合いは一度もなかったです。9軒はそれぞれ仮設住宅が小学校、中学校とバラバラです。皆して顔を合わせる機会もなかったわけです。お父さん(夫)たちがカキ養殖業をもう一度やるといえば、奥さん連中もそれに従う。そんな感じでした」

 将来への見通しがない。それは精神的にとてもつらかったと思いますが?
「陸前高田は廃墟とガレキの山で、女の働き口はどこにもありません。漁船がない、イカダがない。そのうえ、他に仕事はない。まして、50代になると、なおさら働き口がない。……仕事がないと、生きていても張り合いがない。カキ養殖ができるなら、やりたいな、浜の仕事は数十年やってきたのだから、という愛着が芽生えてきました」
 
 収入はゼロの状態で、生活はどうされましたか。
「息子は働きに出ました。関西の業者から仕事支援で、アクセサリー(ハートのブローチ)の内職の話しが持ち込まれてきました。月2万円か3万円でしたが、収入がないときだから、それでも良いかな、と息子の嫁と2人してやりました」
 
 カキ養殖の再起はどんなところスタートされましたか?
「漁師には漁船がゼッタイに必要です。10軒の漁船がみな津波で流されましたが、陸上に打ち上げられた2艘が、壊れておらず、海上に浮かべられました。この漁船を共同で使えば、養殖はやれる、再起が図れると、光が少し見えました。船がなかったら、復興できませんでした」
 船があったから、やる気が起きた。一条の光りが射した、と彼女はくり返し強調した。

 A地区の10軒の男どうしが団結し、組合方式で再起を図ることに決めた。まずなにからはじめました気か?
「昨年の6月に入り、松島のカキ業者から、『カキの種』が届いたのです。あちらも被災しているけど、私たちが毎年買っていた、永年のつきあいで、種を譲ってくれたのです。種が入れば、働けるし、うれしく待ち遠しかったです」


 松島からカキの種が入荷すると、種付け作業が始まった。
「種を見て、大切なものが手に入った。がんばろう、という意欲がわいてきました。大震災後の初めての気持ちでした」
 ……一枚のホタテ貝の殻に、数十個のカキ種(胞子から数ミリに育ったもの)が付着させている。それをナイフで裏と表の両面に10個ずつ残るように間引き作業する。2年後の収獲にも影響する、大事な仕事である。そして、6月末までに海上のイカダのロープに吊すのだ。

 しかし、壊されたイカダが陸上の畑や田んぼや宅地に打ち上げられている。使えるのか、使えないのか、わからない。新規のイカダ製作に対して、国から補助金が出ることに決まった。【つづく】
 

『船体が陸上(2011.5.3撮影)写真は、取材協力者からの提供』

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