A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(12)陸前高田=引取り手のない遺骨が25体

 3.11小説取材で3月下旬も、陸前高田市を訪ねた。ある寺の本堂では、身元不明の遺骨が宗派を超えて、花が飾られた祭壇に祀られていた。市の管理であるが、住職は毎日、読経をあげている。

 陸前高田市はとてつもなく2000人強の被害者を出した。3.11の発生後から、市街地および海洋で発見、収集された遺体の破損はひどく、多くが身元不明者だった。4月8日から、トラックで千葉市と佐倉市の火葬場に運ばれた。

「身寄りもないご遺体ですから、誰にも送られることなく、ひっそりと火葬されているのかと思っていました。しかし、両火葬場では、市長さんや議員、数々の人が喪服で、お見送りしていただいていたと、それを聞いたとき、私の涙が止まりませんでした」
 住職の奥さんが目を潤ませながら、そう語っていた。

 ピーク時には360体の身元不明の遺骨が安置されていたという。現在でも身元がわからない遺骨が25体あった。それら遺骨には「矢作OOO」などの番号を記す。名前がわからないから当然といえば、それまでだが、妙に悲しみを誘う。

 全国からお菓子とか、線香とか、山形県の小学生が作った千羽鶴が送られてきていた。静岡県からは「千体仏の彫刻」もあった。それらの顔は悲しみに満ちている。紙粘土のおひな様、松の地蔵菩薩など、多種が供えられていた。

 故人の氏名がロウソク一本ずつに書かれていた。住職はそれを日々に取り換えて灯りをともしている、と話す。

 同寺の住職から、なぜ高田がこうも被害が出たのか、と見解を示してもらった。古代の貝塚は丘陵の上にある。
「ここならば、津波が来ても安全だ」という古代人にはボーダーラインがあったはず。それら古代人の知恵は現代まで生かされなかった。
 それでも、今から30年前の市街地は、まだ山裾に沿っていた。やがて、それが一気に海岸へと張り出していった。とくに核家族化で、住宅需要が拡大し、それが顕著になった。

「街のなかに家が密集して建つと、少しの起伏でも、かなり高く見えてしまうものです。ところが、大津波で市街地がやられて一面が見渡せると、高田はこうも平らな土地だったのか、と驚かされます」と話す。

 海岸から数キロ奥にあった高田市役所も、海抜はわずか2メートルだった。そんなにも低いとは、多くの市民には認識になかったようだ。
「大きな町ができてしまうと、その中にいると、自然の恐怖が見えない」
 それは大都会・東京でもまさに当てはまると、聞いていた。東京都庁の所在地の海抜など、誰も知らないと思う。

 陸前高田は中世から文明が栄えてきた。金の産出も多かった。それらが平泉の中尊寺まで運ばれていたと、住職から説明を受けた。
 3.11小説では災害のみならず、これら町の特徴、特質も組み込みたい。そのうえで、日本人がなぜ津波の恐怖を知りながらも、海とともに生きる道を選ぶのか。その精神まで突き詰めてみたい、と考えている。

『小説は人間を描くもの』。その取材だけに、3.11による心の変化、考え方の変化、人間関係の変化など様々な角度から聞き取りをしている。
 大災害から一年が経つ。「小説としてぜひ書き残してほしい」という方が多い。と同時に、フィクション小説が大前提だけに、本音で語ってくれる。今後も丹念に緻密な取材を繰り返していく。
 
 このコーナーでは小説取材だけに、心の奥までは紹介できないが、取材概略だけは今後とも記していきたい。

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