小説取材ノート(9)気仙沼=まるで空爆だった
3.11小説の背景・舞台は、2つの都市に絞り込んだ。大火災が起きた気仙沼市と、市街地がすっかり消えてしまった陸前高田市である。
11月から真冬の被災地で、寒さを体感しながら取材を始めた。1月は陸前高田だった。2月半ばには気仙沼市にでむいた。気仙沼は日本でも有数の大漁港だ、さぞかし大都市だろう、という先入観があった。
「えっ、JR駅がこんなにも小さいの」
それが第一印象だった。駅前は高台で、津波の被害は受けていなかった。
駅前から車で、気仙沼・最大の被害地である鹿折(ししおり)と内湾(ないわん)地区に入った。日本一の水産加工業がある、気仙沼の心臓部である。奥には住宅地が広がっている。
地形は気仙沼の湾が深く入りこむ。それが災いして、大津波が奥まるほどに勢い十数メートルの高さまで駆け上り、街と人々とを襲った。
気仙沼は大型漁船が入港する基地だから、燃料を積み込む石油備蓄タンクがある。重油、軽油、ガソリンなど20基以上がすべて大津波で流された。と同時に、タンクどうしぶつかり合った瞬間に発火し、爆発、炎上した。その火炎が倒壊した家屋に燃え移る。人々は逃げ惑う。
「空爆と同じでした」
そう表現する。決して誇張ではない。石油だから、焼夷弾と同じ、消防士も火炎が強くて近づけない。
消防車の進入路はガレキで阻止されている。街は3日間にわたって燃えつづけた。消防、警察、自衛隊の必死の作戦で、進入路を確保し、やっと消火活動に及んで鎮火した。だが、町は燃えつくされていた。
鹿折の国道脇には、今なお440tの巻き網漁船が国道の横に打ち上げられている。
小説を執筆するうえで、3.11から約半年後の、夏場の気仙沼の状況を知る必要があった。真冬の現況とはかなり違うはず。当時の状況を目撃し、くわしく教えてれくれた方に巡り合えた。
大津波に襲われた直後、大型冷蔵庫の倉庫、加工工場が建物ごと流されて、破壊された。数十万トンの魚が市内に散乱した。
「それらが腐っても、街じゅうがガレキの山で片づけられず、悪臭が市内全域に広がりました。大きなハエが無数に繁殖して飛びまわる、腐敗臭の町でした」と語る。
ショベルカーで拾い集められた魚は、ミンチにして砂利運搬船で沖合100キロの海に棄てられていた。なぜミンチか。大型魚(マグロなど)の原形は、海流に乗り、沿岸に戻ってくるからだ、という説明を受けた。関係者は悲しかったともいう。
水産業に携わる従業員の多くは解雇されている。それら失業者が臨時のハローワーク(仮設・プラザ・ホテルに於いて)に殺到していた。再就職の道がない。失望感とノイローゼの人たちが、昼間からやけ酒を飲み、車を運転する。犯罪も起きる。町の治安は悪化しているようだ。